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第5章 共鳴する時間

 春の終わり、昼下がりの光がオフィスの机に淡く差し込んでいた。

 蛍光灯よりもやわらかい自然光が、モニターの角を照らしている。

 そんな穏やかな午後だった。


 「高瀬さん、今度のリリース確認って何時でしたっけ?」

 川瀬が軽く首を傾げながらこちらを覗き込む。

 彼女の髪が肩に落ちる、そのわずかな仕草が妙に自然だった。

 「十五時からですよ。前回より短いと思います」

 「よかった。ちょっと資料の見直しが終わらなくて」

 「手伝いましょうか?」

 「えっ、いいんですか? 助かります」


 そんなやり取りが、最近ではもう珍しくなくなっていた。

 彼女と話すことに構える必要がなくなり、

 言葉を交わすたびに、なぜか空気が柔らかくなる。

 それが少しだけ心地よかった。


 昼休み。

 社内の休憩スペースに、軽い笑い声が響く。

 テーブルでは数人の同僚が話していた。

 その中に、初めて見る女性がいた。

 栗色の髪を軽くまとめ、よく通る声で話している。


 「新しく配属になった沢口です。前は営業事務でした!」

 明るく笑いながらそう言う。

 加賀が横で「俺の後輩なんだ」と紹介した。

 加賀は相変わらずの調子で、場を和ませるように軽い冗談を飛ばしている。


 「高瀬さん、この人すごいんですよ。前の部署で締め日全部一人で回してたらしい」

 「ほんとですか。それは大変だったでしょう」

 「まあ、慣れちゃいましたけどね」と沢口は笑った。

 その笑顔は素直で、誰にでも好かれるようなタイプだった。


 それから数日後。

 社内での会話の輪に、自然と加賀と沢口が加わるようになった。

 加賀は情報通らしく、いつもどこかの部署の噂を持ってくる。

 「人事の岡島部長、また異動の話進めてるらしいですよ。

  一つ中規模のプロジェクトを完遂して、今度は本部規模の新プロジェクトを立ち上げるとか。

  そのメンバー探しをしてるんだって」


 「岡島部長……ですか」

 僕がなんとなく繰り返すと、

 加賀は「そうそう、三十代で部長。超エリートですよ」と肩をすくめた。

 川瀬が小さく相槌を打った。

 その名前に、どこか引っかかるような反応を見せたのが印象に残った。


 その週の金曜。

 仕事帰りに、加賀たちと軽く飲みに行くことになった。

 川瀬も誘われていたが、「今日は用事があって」と断った。

 代わりに沢口が「じゃあ行きましょうよ!」と笑顔で言った。


 小さな居酒屋のカウンターで、加賀が焼き鳥をつつきながら言う。

 「高瀬さんってさ、真面目すぎるんだよ。もっと気楽に生きなきゃ」

 「いや、これでも十分気楽にやってますよ」

「うそだなー。川瀬さんにいっつも優しいじゃん」

 「……そんなつもりじゃないですよ」

 「でもさ、いいじゃない。あの子、感じいいし」

 沢口がその言葉に笑って「川瀬さん、モテそうですもんね」と口を挟む。


 僕は曖昧に笑ってごまかした。

 けれど心の奥が、少しざらついた。

 他人の口から彼女の名前が出ると、なぜか落ち着かない。

 嫉妬というよりも、何か言いようのない嫌悪に似た感情が胸の奥で静かに広がる。

 自分でも理由がわからなかった。

 ただ、それが心地よくないことだけは、はっきりしていた。


 翌週。

 川瀬との距離は、また少し縮まった。

 昼食を一緒にとることも増え、

 パキモンの話題で笑う時間も増えた。


 彼女が微笑むたびに、胸の奥に小さな波が立つ。

 それは喜びでもなく、不安でもない。

 ただ、静かに“何かが変わり始めている”ことだけを知らせていた。


 そんなある昼下がり、加賀と沢口が談笑している声が聞こえた。

 「岡島部長、この前、川瀬さんに声かけてたね」

 「へぇ、やっぱそうなんだ」

 「なんか、人事で新しいプロジェクト立ち上げるらしいですよ。

  一つ大きい案件を成功させて、次のメンバー探してるって」

 「なるほど、そういうことか。あの人、目つけるの早いな」

 「でも、川瀬さんなら向いてるかもね。まじめだし」


 何気ない会話。

 ただの雑談のようにも聞こえた。

 けれどその瞬間、胸の奥が冷たくなった。

 仕事の話――そのはずなのに、どこか違う意味を含んでいるように聞こえた。


 たぶん気のせいだ。

 そう思いながらも、

 “これから何かが変わっていく”という予感だけが、静かに残った。



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