第9話 ヒモ覚醒モード、発動
──王都への試験を控えた、ある朝。
朝の光が差し込む台所で、パンケーキの焼ける匂いが広がる。
俺は椅子にふんぞり返り、ぼんやりと黒く焦げたパンケーキをつついていた。
(……毎朝これってすごいな)
ふと気になって、パンケーキを見つめるその男に声をかける。
「なあ、アンタ。……そういえば名前、何ていうんだ?」
「ネリオです。一応そう呼ばれています」
少し間を置いて、彼はそう答えた。
「そう呼ばれている、か……」
なんとも言えない曖昧な返事だったが、それがかえって印象に残った。
気づけばネリオは、まだパンケーキを凝視していた。
「……この焼き目、実に興味深い」
真っ黒に焦げた表面を、彼は目を細めて観察している。
その視線はまるで、魔道具か古文書でも見ているような鋭さだ。
(コイツ、マジで何考えてるかわかんねぇな……)
──その時だった。
村の外から、小さな咆哮が響く。
「魔獣!? またかよ!」
外へ飛び出すと、小型の魔獣が畑を荒らしていた。
村人たちの悲鳴があがる。
「ユウマ! 魔獣が!」
ヒナタの声に反応して俺が駆け出そうとした瞬間── 。
背後で、風を切るような音がした。
──ドンッ。
凄まじい魔力の衝撃が走り、魔獣は一瞬で地面に叩きつけられ絶命していた。
視線の先──畑の向こう側に、ネリオが立っている。
彼は指を、ただ一度軽く振っただけのように見えた。
「……いま、なにが起こったんだ?」
「……あいつ、一体何者なんだ……?」
動揺の声があちこちから上がる。
ざわつく村人たちの中で、俺もヒナタもばあちゃん達も──言葉を失って立ち尽くしていた。
◆
「アイツは、白銀の観察者ってあだ名で呼ばれてた奴じゃないのかねぇ……?」
その日の昼下がり、ヒルダばあちゃんがぽつりとつぶやいた。
「え、なにそれ、厨二病?」
「ちゅうに……? ……何だいそりゃ。昔ギルド仲間に聞いたことがあるんだよ。姿かたちがそっくりだ。
……もし本当にそうだとしたら、村に置いておくのは少しマズイね」
「でもネリオは俺達を助けてくれたんだぜ? ヒルダばあちゃん」
苦笑しながらも、心のどこかでは何かが引っかかっていた。
(でも……。たしかに、あの魔力は尋常じゃなかったな)
「まさか、な……」
そう言って笑い飛ばしたが、胸の奥はざわついたままだった。
そんなわけで、俺は『勇者候補選抜試験』に参加することになった。
受験者数:5000人
内容:バトル、知能、モラル、カリスマ性……etc
俺:クズ、職業・村の防衛隊長
「無理ゲーじゃね!?」
だが、奇跡は起きた。
「この試験、『審査員の直感で』選抜を行います!」
「運ゲーかよ!? ……で、俺が通ったの!?」
なぜか高評価をもらって2位通過。理由は不明。
【試験:魔物討伐】
魔物が怖すぎるのか、試験官たちは城壁の上に避難していた。
はるか彼方から、拡声魔具を使ってひとりが叫ぶ。
「さあ、そこにいる魔物を討伐してください!」
「いや待て! 俺まだ武器持ってねぇって!!」
そのとき、現れたのは――。
「……ユウマ。これ、使って」
ヒナタが、俺用の「対ドラゴン級特攻剣(パンケーキ・重さ50キロ)」を警備兵に運ばせてやってきた。
警備兵はゼェゼェと息を切らしている。
「重っ……なんだこれ……」
俺はおそるおそるそれを受け取った──その瞬間、ドクンと脈打つ感覚。
(ん……? な、なんだこの感覚……!?)
体が熱くなる。
筋肉が活性化し、視界がクリアになる──。
ヒモ覚醒モード、発動。
「……あれ? 思ったより重くねぇな……?」
気づかぬうちに、全ステータスが微妙にブーストされていた。
仕方なく振り回すも――。
「うおおおお!? 剣が飛んでった!? ……って、直撃して魔物倒れたァァ!!?」
「……今の、見たか? 狙ってたのか……?」
「……いや、アレは事故だろ」
試験官たちのそんな小声が、遠くから聞こえた気がした。
偶然すぎるミラクル勝利により俺は『実力枠での通過』と勘違いされ、勇者候補に正式決定される。
――完全に事故なのに。
その夜、王都の裏通り。
俺は、酔った勢いでフラフラと歩いていた。
まだ酒が抜けきらず、足元も心許ない。
ふと──薄暗い路地の先に、黒装束の男が立っているのが目に入る。
(え……あれ、ネリオ!?)
彼はフードを被った人物と、低い声で話し込んでいるようだった。
「──次は、計画通りに」
俺は何故か、慌てて建物の陰に身を潜める。
耳を澄ませながら、そっとふたりのやり取りを窺った。
フードの男の手が外灯の明かりに照らされ、甲にはうっすらと紋章が浮かんでいる。
(何だあの紋章みたいなの? ヤバい気がするな……)
胸騒ぎを感じながら、俺は足早にその場を後にした。
そして、試験結果発表。
「……嘘だろ……?」
合格者の中に、しっかりと自分の名前があった。
「ユウマさん、おめでとうございます」
「あ……。ああ、ネリオか」
俺は昨夜の光景を思い出し、少しだけ後ずさった。
「貴方のご活躍をたのしみにしていますよ?」
ネリオは踵を返すと、思い出したように俺の耳元でそっと囁いた。
「……昨夜の風は、心地よかったですねぇ」
(……気付かれてた。あの距離で……?)
その瞬間、俺の背筋を冷たいものが走る。
運命の歯車が、音を立てて回り始めた瞬間だった。