第4話 ばあちゃん、ギルドマスター
朝日が差し込む村の中心──といっても、古びた一軒の木造建物がぽつんとあるだけ。
──そこが、村唯一の冒険者ギルドだった。
「……あれ? 誰もいない?」
おそるおそる引き戸を開けた俺の目に飛び込んできたのは──。
「ようこそ。依頼かい? 登録? 愚痴?」
「……ば、ばあちゃん!? ここ、ギルドなの!?」
受付に座っていたのは、例のあの老婆。まさかの展開に、俺の頭は混乱する。
「ギルドの管理人はわしひとりさ。ほら、こんな村じゃあ他にやれる人おらんからね」
「いやでも、ちゃんと運営されてるっぽいけど……」
「ふふ……手旗信号と狼煙通信、それとカラス便と伝書ね。通信だけは一流だよ」
──本当に、ばあちゃん一人で成り立ってるらしい。
しかもこの村のギルド、噂では「最果てネットワークの要」とも言われてるとかなんとか。
あの老婆、まじで只者じゃない。
「ユウマ、仕事ほしいなら今日の依頼ここにあるよ?」
ばあちゃんがぽんっと机に置いたのは、しわくちゃの紙束。
その最上段には「スライム粘液の分別」「老犬・タロウの散歩(凶暴)」「ゴブリン鼻毛収集」などの、なんとも言えない依頼がずらり。
「……相変わらず、地味すぎるだろ……」
「でも命懸けだよ。なにせ老犬のタロウは、前回依頼に行った男のズボンを完全に破いたからね」
「お、おう……」
とはいえ、俺は恩を返したかった。何でもいい、できることから始めたい。
そう思った俺は、全ての依頼に手を伸ばした。
「よっしゃ、全部やったるわ!」
「いい心がけじゃないか。……じゃ、まずは鼻毛を集めてくるんだね」
こうして俺の、『クズなりの再起生活』が始まった。
村人たちは相変わらず優しかったし、ばあちゃんは絶妙に放任しながら見守ってくれる。
そんな日々の中──。ある日の夕方。
村外れで薪を集めていた少年の悲鳴が、風に乗って届いた。
「魔獣だああああ!!」
その声を聞いた瞬間、俺の足が勝手に動いていた。
「クソッ、今度は逃げねぇぞ……!!」
あのとき逃げたこと、仲間の顔、悔しさ……全部が頭をよぎる。
でも今ここで逃げたら、本当に“終わり”だ。
震える足を叱咤しながら、俺は声がした場所に駆けつけた。
そこには──。
「あ! あれは……!」
俺が追放される原因となった、魔鼠の群れだった。
「やる気スイッチが入ったと思ったらこれかよ! ばあちゃん、こいつら魔鼠だ!
群れの後には、必ず『魔狼』が控えてるって話してくれただろ! ……マジで来るかもしれねぇぞ!」
「何だってぇ!? ……こりゃ、ちとマズいね。誰か、村の奴らを避難させな! 早く!」
ばあちゃんの合図で、村人が駆けだしていくのが視界の端にチラリと見えた。
魔鼠の群れがじわじわと村へ迫ってくる。俺はその場に落ちていた木槍を拾い、罠の方へと走った。
村の男たちが掘った落とし穴には、鋭く尖った枝が仕込まれている。
そこに魔鼠を誘導し、落ちたやつを上から槍で突く──地味だが確実な戦法だ。
「よし、こっちだこっちぃ!」
叫びながら魔鼠を誘導し、汗まみれになりながら俺は走った。次々と穴に落ちていく魔鼠たち。
そこへ村の女衆が矢を射掛け、炎で焼き尽くす準備を進める。
「このやり方……意外と効くな!」
だが──その時、耳をつんざくような咆哮が響いた。
木々の向こうから、巨大な黒い影が跳ねるように現れる。
「ま、魔狼……!!」
魔鼠とは比べ物にならない巨体。跳躍力で穴など軽々と越えてくるはずだ。
「くそっ、こいつには……!」
落とし穴を超えてきた一匹の魔狼の目の前に、俺は剣を構え立つ。
脚がすくむ。息が上がる。けど、逃げられねぇ。
村を守るために俺は今、ここで踏ん張るしかない。
俺の背中越しに村の周りを囲うように、空高く炎が上がる。
村人たちが、日頃から少しずつ準備していた『火の囲い』が、今まさにその役目を果たしていた。
「よし、これで安心だ……。ははっ、お前ら獣は火に弱いんだろ? 来いよ……! 俺はもう逃げねぇって決めたんだ!!」
そのまま飛びかかってきた魔狼の爪を受けた俺は、地面を転がる。
──激痛。
俺の名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、目の前が真っ赤に染まって何も見えなくなる。
意識が、遠のいていく──。
……ふと気づけば、天井があった。
がちがちに固いベッド。ふと顔を横に向けると、小さな女の子がスプーンで何かを混ぜている。
「……あ、起きた! よかった……」
「ここは……?」
「私んち。あんた、すっごいケガしててさ。寝ててもずっと『村が……』ってうわ言言ってたよ?」
俺は、薄く笑った。
「無事で……よかった……」
「ほら、お礼に朝ごはん! パンケーキ焼いたの」
「……あ、ありがと……な……」
一口食べたその瞬間、俺は顔をしかめた。
「……カッチカチやないか!!」
「えっ、うそ!? レシピ通りにやったのに!」
こうして、戦いの翌朝は、固すぎるパンケーキと、優しすぎる看護で幕を開けた。