第2話 「英雄ごっこの終わり」
湿った土と獣の匂いが鼻をついた。
俺達は「魔鼠の巣窟」の入り口に立っていた。
どう見てもヤバそうなダンジョンだが、エイドとメイは黙々と装備を整えていて、やる気満々だった。
そんなふたりに向かって、俺は腕を組んで仁王立ちしながら偉そうに言ってやった。
「お前ら、前に行け。俺は後ろから敵を警戒してやる。
……ま、俺が前に出たって何にもできねぇしな。ヤバくなったら逃げればいいだけだろ?」
一瞬、ふたりの顔が曇った気がしたけど、まあ気のせいってことにしておく。
と、その時。巣窟の奥から、ゴゴゴ……みたいな不気味な咆哮が響いてきた。
うわ、マジで来た。魔鼠どもがウジャウジャ押し寄せてくるのが見える。
エイドが剣を構えて、メイが詠唱を始めたその瞬間――。
俺はすかさず、音もなく一歩引いて身を翻し、岩陰へと素早く身を隠した。
「よし……。お前ら、盾は任せたぞ」
そうつぶやいた時には、俺の姿はもう戦線からフェードアウトしていた。
◆
「おーおー、やってるやってる」
俺は安全な岩陰から、ふたりの健闘ぶりを眺めていた。
いきなり転生して魔獣と戦うなんて、やってられるか。俺は日本人だぞ? もっと安全なとこで生きてきたんだ。
「すげぇ…。エイド、3頭一気に片付けたぞ」
ふたりの活躍に感心しながら、3人分の食料が入ったバッグから保存食を1つ取り出し、無造作に口へ運ぶ。
あとでバレないように調節しておかないとな……。
「キャアァァァ!」
「メイ!!」
バッグの中身に夢中になっていた俺は、洞窟内に響き渡る叫び声に、思わず岩陰からのぞき込む。
その視線の先に広がっていたのは、息を呑むような光景だった。
大量の魔鼠にも驚いたが、それを襲う魔狼――。
エイドとメイはすでに、周りを囲まれていた。
「ヤ、ヤベぇ……」
魔狼の口からしたたり落ちる血に、身の毛がよだつ。
「ぐあっ!」
「エイド!」
エイドの肩にじわりと血が滲む。
俺は慌ててあいつらの元へ駆けつけた。
「お、おい……。エイド」
グッタリとうなだれる彼を、メイが支える。
「クソッ!」
俺は腰の剣を引き抜き、震える手で構えた。
足がすくんで動けなかったがそれでも逃げるわけにはいかない、と歯を食いしばる。魔狼は俺達に飛びかかってきた。
「痛ってえぇぇぇっ!」
俺が叫んだその瞬間、どこからか声が響いた。
【逆ギレカウンター】──新たなスキル。
→ 魔狼に精神ダメージが入り、一瞬ひるむ。
エイドを回復していたメイは、短く詠唱すると氷の刃を放った。
パニックに陥った彼女が涙を流した瞬間、また俺の新たなスキル【女の涙ガード】が発動。
→ ユウマ全能力3倍化(1分限定)
「よっしゃあぁ!!」
俺は、勢いで前に飛び出した……が、スキルは容赦なく1分で終了。
パワーアップで魔狼に多少ダメージを与えるも、時間切れでグダる。
「もうダメだ! メイ、逃げるぞ!」
「何言ってるの!? エイドを置いていけるわけないでしょ!」
そのときだった。
洞窟内に眩い閃光が走り、轟音と共に魔狼が吹き飛ばされた。
何が起こったのか理解するより早く、白銀のローブを羽織った長身の男が、静かに俺たちの前に現れる。
「大丈夫ですか?」
低く落ち着いた声。細めた瞳の奥に一瞬、光が宿る。
男の手にはローブとは正反対の真っ黒な杖――その先端には、今も微かに火花が踊っていた。
「この辺りは魔物が多い。早く外へ出たほうがいい」
彼の言葉に、俺もメイも小さくうなずいた。
──まさかこの男が、『魔王の手先』だなんて。この時点では、誰も知る由もなかった。
◆
俺たちはギルドへと、何とか戻ることができた。
治癒魔法を施してもらったものの、エイドの傷は予想以上に深く、しばらくは動けないそうだ。
メイは何度も頭を下げて事情を説明していたが、ギルドの受付嬢の顔色は冴えない。
「あなたたち、近くに魔狼の巣があるって話したでしょう? ……まさか聞いてなかったの?」
「へっ?」
俺の声が間抜けに響いた。
「最初に説明したでしょ? 『このエリアは魔鼠だけじゃなく、魔狼も出没する可能性がある』って」
「え? ……あ、あれ?」
そういや受付の姉ちゃん、なんか言ってた気もする。けど、やたら早口で、俺ほとんど聞いてなかった……。
「まさかあんた、話聞いてなかったの?」
ギルド嬢の視線が、突き刺さるように冷たい。
「い、一応聞いてたけど……ちょっと、記憶が……」
「エイドがこのまま動けなくなったら、あんたの責任よ?」
……俺の中で、何かが静かに崩れた気がした。
彼女の声が静まると、ギルド内にざわめきが広がった。
「あいつが……」
「メイがいなかったら全滅だったな」
「聞いてなかったとか、ありえねぇ……」
ヒソヒソと交わされる声が、まるで針のように俺の背に突き刺さる。
目を逸らすと、メイの視線が真っ直ぐこちらを向いていた。
「ユウマ……」
その呼びかけは、どこか冷めていた。怒っているというより、もう失望しきっているような響きだった。
「しばらく、私ひとりでやるわ」
静かな口調だったが、その一言がはっきりとすべてを終わらせる。
「え……おい、ちょっと待てよ」
メイは一瞬だけ目を伏せた。言うべきかどうか、迷っているようにも見えた。
「……また同じことが起きたら、取り返しがつかない」
言葉を返そうとしても、喉が詰まって声にならない。
ギルドの壁に背を預け、俺はただその場に立ち尽くしていた。
俺はその日、パーティーを追放された――。