第15話 屁理屈みたいで、実は正論パンチ
ドドドドッ――!
地を蹴る音が、俺の鼓膜を叩き続けた。
焼け焦げた大地を、重たい鉄の脚がひたすら蹴り続ける。
バルドと名付けた相棒の背に、俺は必死にしがみついていた。
かつて魔王軍の獣兵として恐れられた魔獣。
今はただ、ひとりの男のために走るだけの相棒だ。
荒れた地面を避けるように、バルドはわずかに進路をずらす。
まるで騎士の相棒のように、俺を背に静かに力強く駆けていた。
「……図体のわりに器用なんだな」
風にまぎれて呟くと、バルドの耳がわずかに揺れた。
ドォン――!
耳を突き刺すような爆発音が、地の底から響いた。
砂煙が上がる。視界の向こうで仲間の影がひとつ、またひとつと崩れていく。
あれは、俺より前を走っていた者たちだ。
あいつらは、ずっと先を走っていた。
選ばれし者、勇者候補――その中で、俺はただ、追いかけるだけだった。
でも。
もう、その背中はない。
「今度は、俺が前に出る番だろ……っ!」
脳裏に浮かぶのは――エイドの拳。メイの叱咤。
ヒナタの静かな微笑み。
あいつらが、ここまで俺を引っ張ってきてくれた。
置いていかれたわけじゃない。
ここまで来たのは、俺自身の足だ。
拳に力が入る。
ふと風に乗って、焦げたパンケーキの匂いが鼻をくすぐった。
「……ネリオの野郎。勝手に離脱しやがって。……待ってろよ」
焼け焦げた希望は、まだ――終わっちゃいねぇ。
バルドの背にしがみついた手に、もう1度だけ力を込め、俺は上半身を起こした。
走って、走って――。
ようやく小高い丘を越える。
「マジかよ……」
焼け焦げた大地の向こうは、空気の色が違って見えた。
いたるところに倒れていたのは、見知った魔獣達。
角を砕かれ、片翼を引きちぎられ、動かない。
バルドがわずかに唸り姿勢を低くすると、戦場の空気が変わった。
凍りつくような冷気が辺りを覆う。
焼けた砂さえ息を潜めるような静寂が、俺の聴覚を狂わせる。
今すぐにでもここから立ち去ってしまいたい程に。
――全ての静寂は、『それ』を中心に広がっていた。
「また来たのか。勇者候補どもは……」
低く、穏やかな声だった。
けれどその声だけで、喉がひゅっと引きつる。
……コイツは、格が違う。
俺を背に乗せたまま、バルドが一歩前に出る。
その瞬間――真横を、赤い閃光が駆け抜けた。
「ギャウッ!」
咄嗟に視線を向けた、その先で――。
俺のスキルで仲間にした魔獣が、空中へ吹き飛ばされていた。
その身体は、地面にたたきつけられたまま動かない。
バルドが、怒りの咆哮を上げる。
けれどすぐさま風を裂く音と共に、何かが――バルドの肩に、突き刺さった。
「バルド!」
俺は叫んだ。
バルドはよろめきながらも――倒れない。
肩口から滲む血が、毛並みに広がっていく。
相棒はそれでも、踏みとどまってくれていた。
……ふざけんなよ。
「テメェ! 何しやがる!!」
バルドの背で、力の限り怒りの声を叩きつけた。
静かに俺を見るその眼差しには、怒りも迷いの色も見えない。
「……裏切り者には罰を。それ以上でも、それ以下でもないだろう?」
ヤツはただ当然のことを述べるように、あまりにも静かだった。
ぐ、と喉の奥が詰まる。
正論だ。
……バルドは、もともと魔王軍の一員だった。
それを無理やりこっちに引っ張ったのは、他ならぬ俺だ。
でも――それで、傷つけていいって話じゃねぇだろ。
「テメェに、バルドを罰する資格があるってのかよ……っ! 動物虐待だろ、それはよぉ!!」
ほとんど叫びだった。
……なんかズレてる気もしたが、言わずにはいられなかった。
ヤツの目が、ほんの一瞬だけ揺れる。
「……どうぶつ、虐待……?」
まさか、というように眉がわずかに動く。
その一瞬の隙を見逃さず、俺は言葉を重ねた。
「こいつは今、俺の仲間だ。背負って、戦ってくれてんだよ!
それを裏切り者だなんて、――そんなの、ただの責任放棄だろ!」
自分でも説明出来ない屁理屈が、口をついて出た。
何でもいい。コイツを――魔王を動揺させることに命を賭ける!
「き、貴様っ……! 自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「ああ、当然だろ!
動物を愛で最後まで世話をするという、飼い主としての重大な責任を放棄してんだよ!」
「……か、飼い主としての責任?」
魔王が静かに呟いた。
ほんのわずかに、視線が揺れている。
「責任放棄……。この我がそのようなことを。まさか――」
(いける! このまま押し通せ――!)
俺は少し悲しそうに俯いて、ありったけの感情を言葉に乗せた。
「そうだ……。バルド達にとって、頼れるのはお前だけなんだよ……!」
「そ、そうなのか……? バルド? ……バルドとは、誰のことだ?」
(しまった……! 名前を出したせいで、少し冷静になっちまったか)
俺は頭をフル回転させる。
(考えろ――考えるんだ!)
ふと、パンケーキの甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「……!」
(ネリオ……どこかで見てんだろ。だったら――やるしかねぇよな)
俺はアイツに感謝しながら、最後の切り札を切る。
「お前、1000年に1度復活してるんだってな!」
予想に反して目の前の男は、ポカンと口を開けて俺を見た。
「な、何の話だ? 1000年? それに我は、復活などしていないが……」
「は? ……いや、でも王が言ってたぞ? お前が復活するから倒してこいって」
……互いの視線が交差する。
気まずい沈黙だけが、やけに長く感じた。
(なんだ、この間は……)
鼻先をくすぐった、あの――パンケーキの甘い香り。
ネリオの残り香のような、それはどこか懐かしくて、心強くも感じられた。
……なぁネリオ。
お前を信じていいよな……?