助手席
近づくと、母親が手を上げた。
男の子は彼女の脇に立ったまま、顔を上げようとしない。
俺はゆっくりと窓を下ろした。
「お迎え、〇〇小学校からで間違いないですか?」
「はい、すみません。……お願いできますか?」
声は疲れていた。
だが、詫びるような柔らかさがあった。
どこかで見た顔のような気もしたが、特に言葉を続けることはなかった。
「どうぞ、足元お気をつけて。」
自動ドアを開けると、母親がゆっくりと乗り込み、男の子に「乗って」と小さく声をかけた。
すると、男の子は――
後部ドアを素通りして、運転席側の助手席に回り込んだ。
「――あっ」
母親が息を呑んだが、子供は黙ったまま、ぬかるんだ靴のまま助手席に乗り込んでしまった。
俺は一瞬、言葉を失った。
このご時世、子供とはいえ助手席に乗せるのは避けたいのが本音だ。
だが、その子の表情を見た瞬間――何も言えなかった。
色白で、目元に薄くアザのような痕があった。
目を合わせない。
どこか、あの“座席”を選んだことに意味があるように思えた。
母親が、後部座席から俺に目で詫びるように頭を下げた。
俺は無言で小さく頷き、車を出す。
ワイパーが再び動き出す。
そのリズムが、妙に気になって仕方なかった。