表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/49

一人、また一人

六本木通りに入るころには、辺りはすっかり夜の顔になっていた。

街灯の下に浮かぶ歩行者の影も、どこか湿気を含んで見える。

信号のたびに車を止めるたび、ルームミラーの奥に映る三つの頭が視界の隅をかすめて、ぞわりと背筋を這っていく。


やがて、年上の女がふいに声を上げた。


「すみません、私ここで降ります。」


指さしたのは、赤坂駅近くの大通り。

乗車してからおよそ15分。目的地としてはごく自然なタイミングだった。


「かしこまりました。」


路肩に寄せてゆっくりと停車する。

ハザードを焚いて後部ドアを自動で開けると、女はバッグを手にして、静かに降りた。


「じゃあね。」


助手席越しに振り返った若い方の女に、手を軽く振る年上の女。

そうしてドアが閉まり、再び静寂が戻る。


だが――

ルームミラーには、まだ二人、座っていた。


中央の席にうつむいていた女は、先ほどよりも少しだけ顔を上げ、前を向いている。

やはり喪服ではない。

濡れた黒髪がぴたりと頬に張り付き、その隙間から、乾いた唇がのぞいていた。


息をしているのか、していないのか。

その存在が、もはや“人間”のそれに見えなかった。


俺は自然と視線を前に戻し、発進する。


「すみません……ちょっと気分が悪くなってきて……」


若い方の女が、ぽつりとつぶやくように言った。


「このまま家まで、お願いしていいですか?」


「もちろん、大丈夫です。」


言葉を返すと同時に、目的地の詳細を尋ねようとミラーを覗いた。


「○○団地跡の近くです。……あそこ、まだ道だけはあるんです。」


団地跡。


その言葉に、俺の胸が微かに騒いだ。

やはり――さっき聞いた団地の名と同じだった。

かつて都営だった建物群はすでに全棟取り壊され、いまは再開発予定の空き地になっている。

なのに「帰る」とは?


「あの……今、団地って……もう……」


言葉を濁しながら問いかけたとき、彼女は無言のまま頷いた。

その表情は、悲しいとも、懐かしいとも、ただ「覚悟」を決めた人間のものに見えた。


車は静かに表通りを逸れ、住宅街へと入っていく。

通りの街灯は少なく、時折猫の影が横切るだけ。

道端に立つ自動販売機の灯りが、かえって車内の緊張を際立たせていた。


そしてルームミラーのなか――


中央の女が、まるで“連れて行くことに納得した”かのように、ゆっくりと顔を上げてこちらを見ていた。


いや、見ていたのではない。


見せていたのだ。

そこに、“いる”ということを。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ