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文句と微笑み

車は静かに、青山通りへと出た。

六本木方面に向かう通りは、まだ少しだけ混んでいたが、信号をいくつか過ぎると車の流れも落ち着いてきた。


ルームミラーには、依然として三つの人影が映っている。

中央の女はうつむいたまま、身じろぎ一つしない。

まるで最初から“そこにいた”かのような馴染み方だった。


後部座席の左側に座っていた、若い方の女が口を開いた。


「まったく……最後まで自分勝手だったね。」


突然の言葉に、俺の指先がわずかにハンドルを揺らした。


「ほんと。亡くなる直前まで、あの人らしいっちゃ、らしいけどさ。」


年上の女も、ため息交じりに返す。

声の調子から察するに、二人は故人の親族ではないのだろう。

近しい知人か、長年の付き合いがあった職場関係か――

どちらにせよ、弔意は薄い。


「結局、最後の最後まで人に迷惑かけてたんじゃない?」


「うん……そう思う。あの人、“そういう人”だった。」


笑い声がこぼれる。

乾いた声だった。

だが、それに混じって、もうひとつ、低くくぐもったような笑い声が聞こえた。


くくっ――


ルームミラーをそっと覗く。

中央に座る“女”が、わずかに顔を上げ、口の端を吊り上げていた。

笑っている。

しかしその笑いには、何の感情も込もっていない。

笑い方を“知っているだけ”の何か――そんな印象だった。


俺は視線を前に戻した。

聞こえなかったふりをする。

これは、関わってはいけない種類の存在だ。

都内で深夜のタクシーを転がしていれば、年に一度か二度はこういうことがある。

それを“どう処理するか”で、生き延びられるかが決まる。


「運転手さん、すみませんね、聞き苦しくて。」


年上の女が声をかけてきた。

ミラー越しに目が合うが、俺は軽く会釈をして返す。

聞き流すことに慣れている。

それはタクシー運転手としての習性であり、同時に自分を守る唯一の方法でもあった。


「いや、大丈夫ですよ。」


そう返しながら、また少しだけミラーの角度を変える。

今、中央の女は微動だにせず、ただ真っ直ぐに前を見ている。


──いや。


その視線は、ルームミラー越しに“俺の目”を見ていた。


ぴたりと合ったその目に、俺は喉の奥が引き攣れるような寒気を覚えた。

黒目が、妙に大きい。

まるで“濡れて”いるように艶があり、だがどこにも焦点がない。

その目は、見ていながら“見ていない”。


女たちの会話が続く。


「それで、最後に会ったのいつだっけ?三年くらい前?」


「いや、もっと前かも。あの団地がまだあった頃だから……」


「団地……ああ、○○団地? あそこ、今はもう無いでしょ?」


「そう。取り壊されて更地になったって聞いた。」


団地。

その言葉に、俺の意識が微かに引っかかった。


その団地の名は、数日前にも聞いた記憶がある。

別の客が口にした。

「子供のころ住んでいた団地に戻ってみたが、地図から消えていた」と。

確か、渋谷寄りの外れ、かつて都営だった場所。


俺は思わず質問したくなる衝動にかられたが、やめた。

中央にいる“何か”が、こちらの反応を伺っている気がしてならなかった。


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