第一章 優しい嘘
雨に打たれる彼女を見たとき、僕は美しいと思った。
憂いを帯び、雨粒と混ざるように涙を流すその姿を。ただ、そのときの僕はまだ知らなかった。彼女の抱える深い悲しみを。
僕は近づき、無言で傘を差しかけた。彼女がゆっくりとこちらを向く。
濡れた睫毛の奥で揺れる瞳は、何かを探すように彷徨っていた。
「……ありがとう」
かすれた声が、雨音の隙間からそっと漏れる。その一言に、胸が強く波打つ。傘の下は、二人だけの小さな世界だった。彼女の濡れた肩に触れることもできず、僕はただ立ち尽くしていた。
「寒くない?」
自分でもわかるほど、ぎこちない声だった。
彼女は小さく首を振る。けれど、その仕草がむしろ心の奥の冷たさを語っているようで、僕は息を呑んだ。
頬を伝う雨粒が、涙なのか、ただの水滴なのか。もう判別がつかない。
「……泣いてたの?」
問いかけると、彼女はほんの少し口元を歪め、笑った。
「泣いてなんか、ないよ」
それは、あまりにも優しい嘘だった。
だからこそ、胸がひどく締めつけられた。
――あのとき、もう少し彼女の痛みに触れる勇気があったなら。傘を差し出すだけじゃなく、その心の奥へと踏み込むことができたなら。
そんな悔いが、今も雨音のように胸の中で、ぽつり、ぽつりと落ち続けている。