私の息子は壊れている
今日、夫が出て行った。
連れ子がいると知っても私を受け入れてくれた良い人だった。
息子の充とも仲良くしようと努めてくれた。まるで自分の子であるように扱ってくれた。
私は幸せだった。確かに幸せだった。
「充、ゲーム楽しい?」
「・・・」
「・・・そう」
充が遊んでいるというゲーム機は、前の旦那が唯一、充に買い与えたものだった。
酒を飲んでは暴れ、終いには暴力を振るう最低の人間だったが、充と二人でゲームを
している時は無邪気で優しく、良い父親というより、良い兄の様であった。
私はその二人を見ているのが好きだった。
前の旦那が居なくなってからも充はそのゲーム機を大切にしていた。
夫との出会いは職場だった。
部署違いであったが向こうは私の事を認識していたようで、私がひとり身になったことで
周りが彼と私を引き合わせた。
前の旦那と違って堅実で、何より優しかった。そんな彼に安らぎを感じ結婚に至るまでは早かった。
「前の旦那さんが暴力を振るってたって本当?」
「お酒を飲むとね、普段はそこまで悪い人じゃなかったんだけど。」
「僕はそんなことしないから。」
「知ってる、貴方はお酒を飲むと寝ちゃうもんね。」
「勘弁してよ、あの飲み会の時は緊張してたから。」
「緊張してたの?」
「お恥ずかしながら。」
私にこんな時間が訪れていいのだろうか、私にはもったいないんじゃないか、そう思わずにいられない。
「そういえば、あの絵って・・・」
「あっ、ごめんなさい、嫌だったよね。」
「いやいやそういう訳じゃ、充君にとってはお父さんとお母さんとの大切な思い出な訳だし、僕も描いて貰えるように、君たちの本当の家族になれるように頑張るよ。」
「ありがとう、頑張りましょうね、パパ。」
彼は言葉の通り努力してくれた。良き夫に、良き父親に、良き家族になる為に
「充君?たまにはパパと外に遊びに行かない?」
「・・・・」
「ゲームも面白いと思うけど、外に行くのも面白いと思うよ。ほら、お砂場とかどう?」
「・・・・」
「駄目か・・・邪魔してごめんね、充君。」
「フラれちゃった?」
「うん、まだ心開いて貰えてないみたい。」
「大丈夫、大丈夫だから。」
再婚して、一年が過ぎた。充は小学校に通うようになっていた。
「そろそろさ、子供作らない?」
「え?」
「いや、結婚して一年経つだろ?そろそろいいかなって、収入は安定してるし、充もさ、お兄ちゃんになればもっと・・・」
「ごめんなさい。」
「・・・いや、俺も突然こんなこと言ってごめん。」
「私が悪いの、もう少しだけ、時間を頂戴。」
「・・・分かった。」
もう少しだけ、もう少しすればきっと私だって
この時の私に、優しい夫がやっとの思いで口にした言葉を受け止めるだけの余裕はなかった。
「充まだ起きてたんだ。」
「あ・・・うん。」
「はぁ・・・」
夫からお酒の匂いがした。夫はごくたまだが飲んで帰ってくるようになっていた。
「充、ゲームは一日一時間って言ったよね。」
「・・・」
「宿題はやったの?」
「・・・」
「こっちを見なさい。」
「まぁまぁ、ね、今からやるよね。」
「君も、充を甘やかしたら駄目だよ。」
「ごめんなさい。」
「しっかりしてよ、君がちゃんと躾しないと、小学校の勉強にすら遅れてんだから。」
「はい。」
充は学校に行かなくなった。
夫は充がいじめにあっていたのではと疑ったがそんなことは無かった。
充の持ち物だって綺麗なまんま、ノートなんて名前しか書いてない。
その日、夫の帰りが遅かった。
「おかえり、遅かったわね。」
「遅かった?飲み会あるって連絡入れたよね?」
「え?」
「電話もかけたんだけど・・・」
「あ、ごめんなさい、気が付かなかた。」
「気が付かなった?・・・何してたんだか。」
「え?」
「何でもないよ、充は?ゲーム?」
「・・・うん。」
その時の夫の表情は、前の旦那を思い出させた。
「充、今日の分の勉強やってないよね。」
「・・・・」
「学校行かなくていいから、これだけはやるってパパと約束したろ?」
「・・・」
「充、パパの方を見なさい。」
「・・・パパはいないよ・・」
充はそう言って、ゲームの世界に戻って行った。
まるでこちらの世界には何もないかのように。
その時の、夫の行動は責められるものではないと思う。
ただ一時でいい、充に振り向いて欲しかった。それだけ
私が驚いたのは、ゲームを取り上げようとする夫に充が組みついたことだ。
ずっと静かだった充が見せた激情に夫は驚き、ゲーム機を落としてしまった。
ゲーム機はあっけなく壊れてしまった。
この事件の後も、充はゲームをし続けた。
夫が買った新しいゲーム機は埃を被っている。
「もう無理だよ・・・離婚しよう。」
「どうして?」
「どうして!?」
「最初は俺へのあてつけかと思った。」
「・・・・」
「でもあいつは、ニコニコニコニコして、楽しそうにコントローラーを動かしてる。」
「・・・・・」
「笑ったかと思えば、驚いたり、悔しがったり、悲しんだり、真っ暗な画面に向かって、
まるで本当にゲームしてるみたいに。」
「・・・・・」
「君もそれを見てニコニコニコニコ、君も君の息子も壊れてるよ・・・」
その日からの月日はあまり覚えていない、初めから全てが夢だったように溶けてなくなっていった、後のことは全て彼がやってくれていた。私がしたことなんて紙に名前を書いて判子を押しただけ。当面の間暮らしていけるお金すら彼はちゃんと用意してくれた。
今日、夫が出て行く。
連れ子がいると知っても私を受け入れてくれた良い人だった。
息子の充とも仲良くしようと努めてくれた。まるで自分の子であるように扱ってくれた。
ただただ優しい人だった。
「君たちの事を壊れてるって言ってごめん、言い過ぎた。」
「気にしないで、大丈夫だから。」
「そう・・・最後に一つ聞いていい?」
「なに?」
「あの絵さ・・・」
「絵?」
「あの、充が書いた、砂場の絵・・・・君が人を埋めている様に見えるんだけど・・・」
「気のせいよ。」
「・・・気の・・せい?・・・」
「気のせいよ、だって私の息子は壊れているもの。」