カベノキズ
悪魔がいた。
悪魔だろうか。そうだ。一度目蓋を強く閉じる。
ほら、悪魔だ。
鮮やかな赤の化粧を、髪は見窄らしく頬に垂れ、目はやや垂れて鼻はナイフのように真っ直ぐに。唇は薄くx軸に延びている。ゆっくりとその両側が持ち上がる…
見惚れた、ワタシはそれに見惚れていた。
綺麗。美しい。まだ満ていたい。見ていたい。
「喋ってもいい?」「ああ、どうぞ」
それはそう言って腰掛けた。そこに椅子があったかしら、まぁ良いわ。気にしてあげない。
「何故?」
「えっと…何が?」
「何故こんな、こんな事をするの?」
それは微笑う。
「どうだろう、美しいって分かる?」
「私が聞いてるの。ええ、分かると思うわ。例えば絵画や歌に人生がみえること。」
「うん、そうだ。人は弱く醜い。前に進むとどうしても足掻かなければならない。それは周りには見えない。でも芸術を通して周りの人間にも見える様になる。そういう事だよ。」
「もう一度あの人に会いたいわ。もう会えない。」
「そうだね、もう会えない。そしてそれは綺麗だ。」
口から血が混じった息が出た。眠たい。
霞む視界にそれが映った、貴方はきっと後悔する事になるわ。彼はきっと貴方を許さない。私もそう。
「彼に伝えて、お願いって。」
「うん。」
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広島県の中区、紫のネオンが照る飲み屋街の二つ目の信号を右に曲がり、澱んだ道に5階建てのアパートがある。その3階の突き当たりに僕は向かう。
肺炎の山羊みたいなベルを鳴らしてここの主人が出るのを待つ。いつ聴いても少し不愉快になる。盛り塩の役割だろうか。
「美上さあん。僕です。宮成ですよお。」
昔はさぞかし美しかったであろう小汚い木製のドアから声がした。
「どうぞ、開いているよ。」
「頼まれてたもの、持ってきましたよ。ほら。」
何に使うんだか、彼の懇意の電気屋でラジコンを借りてきてやったのだ。何に使うんだろう?
「何に使うんです?」
「まぁちょっとね。今相談を受けてる件で使えそうだ。古ぼけたラジコンなんて探偵らしくないかい?」
そう、この美上聡一郎は探偵である。この平成も終わろうかというこの時代に探偵なんて職業があるなんて、信じられない。それでもこの美上探偵事務所は案外繁盛している。何故ならば美上が優秀だからだ。
「まぁ良いんですけど、僕もうすぐゼミの発表があって忙しくなりますから。こんな頼み事は当分難しいですよ。」
僕はこの広島県トップクラスの偏差値を誇るH大学のM2だ。こんなのでも結構賢いのだ。おそらく僕の今いる浅田研究室と共同である薬品を開発する研究をしている企業で働く事になる学徒である。
総一郎は頬に両手を当て、左右にいっぱいに掌をみせて爽やかに笑っている。どういう意味だろう。きっと何かが開花した様子を模倣しているのだろう。意味不明である。
「さあ、そろそろ出掛けるとしよう。」
「いってらっしゃいませ。」
「君もだ。神楽さんの所へ行くんだ。来るだろう?」
頭の中で満開の美上が笑っている。僕も出かけることにした。