クリスマス・イブ3
クリスマス・イブ 3. 松永克巳
津村を許して退院させた後、恋人が欲しくてたまらなくなった。そんな僕をあざ笑うように、世間ではクリスマスが近づいていた。日本中が発情期に入ったみたいになって、忌々しいことこのうえない。
今までイブを寂しいなんて思ったことはなかったのに、女性不信が和らいで猛烈に人恋しくなっている。もう最低の売女でもいいから、一夜の孤独を慰めてほしい。
そんな追いつめられた気持ちの時に、津村と再会してしまった。安サラリーマンがイブにこんなホテルに来るところを見ると、美佳とうまくいっているらしい。畜生。
美佳のことを思い出すと、合コンで待っている女たちが全部くだらなく思えた。やっぱり最低の売女なんて嫌だ、イブは可愛い女と過ごしたい。
津村を陥れて、美佳と一緒にホテルを出た。美佳は迷惑そうだった。津村と婚約までして、もう僕には未練がないみたいだ。ちょっと、いやかなり、胸が重くなった。
「美佳さん。お願いです」
スマートに誘うつもりだったのに、僕は惨めにすがっていた。そんなに美佳が好きなのか寂しくてたまらないだけなのか分からないけど、とにかく今日はこの人と過ごしたかった。女のことで取り乱すのは、中学の無惨な初恋以来だ。みっともない。
でもこの惨めさが美佳の同情を買ったのか、彼女は頷いてくれた。
「今日だけですよ。明るい内だけ、いやらしいことはナシですからね」
良かった。重い胸が軽くなった。
「美佳~」
津村が追いかけてくるのが見えた。
「じゃあ、行きましょう」
僕は早足で美佳と連れだった。
追ってくる津村が目障りなので、僕は彼が入れないような高級店に入った。美佳が目を丸くしている。少し、気分が良い。僕は彼女に見栄を張りたくなった。
「何でも好きなものを選んで下さい」
「こんな高い物、買えませんよ」
「僕が払います。クリスマスプレゼントです」
「え……でも」
戸惑っている美佳に、僕は糸目を付けずにドレスをあつらえた。
「やあ、よくお似合いだ」
「……」
美佳は、鏡にうつった自分の艶姿に、陶然となっていた。僕は彼女の腕を取った。
「じゃあ、行きましょうか」
「え、この格好で出るんですか」
「その格好が相応しい一日にしますよ」
店を出ると、津村が寒空に立ちつくしていた。僕らが出るのをずっと待っていたらしい。
「美佳……」
津村は、ドレスアップした恋人に目を見張った。スーツで決めている僕に、ドレスアップした美佳。対して津村は、鼻水垂らして待ちぼうけ。みっともない奴。僕は小さく笑った。けれど美佳は、店に入れず少し凍えている彼氏に、一瞬陶然から覚めた顔をした。
「行きましょう」
僕は美佳の肩を抱いた。
「てめえ松永! なに人の彼女に手ぇ出してんだよ!」
津村が飛びかかってきた。胸倉を掴まれたが、例の注射針を刺すとすぐに大人しくなった。
「孝介……?」
美佳が怪訝に振り返る。
「心配いりませんよ」
麻酔で動けない津村を道端に置き、僕は美佳と連れ立った。
会員制のレストランで、美佳にランチをご馳走した。美佳は、ナイフとフォークの扱いに少し困っていた。レディーに恥をかかせてはいけない。僕は注文を会席料理に変えた。
「デザートはイチゴパフェですか?」
美佳が、イタズラっぽく訊く。僕は苦笑した。こういう店では、それは食べられない。今日はイブに相応しく、華やかに過ごすつもりだ。
まわりを見ると、アベックばかりで、皆幸せそうだ。きっと僕と美佳も、端からはカップルに見えるだろう。僕も、幸福な恋人たちの仲間入りをしたんだ。そう思うと、なんだか嬉しくなった。
と。上品で穏やかな雰囲気を、携帯電話の着信音が遮った。
「ごめんなさい」
美佳は席を立ち、携帯を開いた。誰だろう、無粋な奴だ。しばらくして、美佳は戻ってきた。やれやれ。と、また携帯が鳴った。
「すみません」
恐縮しながら、美佳は携帯を開いた。
「誰なんですか?」
携帯を閉じた美佳に、僕は尋ねた。美佳は曖昧に笑った。また電話が鳴った。
「しつこいな」
僕は舌打ちした。立て続けだ。同じ奴なんだろうか。ストーカーか?
美佳が席に戻ると、また携帯が鳴った。
「貸してください」
僕は苛立ち、半ばもぎ取るようにして、美佳の携帯を取った。
「いい加減にしろ、落ち着いて食事も出来やしない」
『松永か?』
返ってきた男の声は、津村のものだった。僕は少し驚いた。
『なんでおまえが美佳の携帯に――』
津村は何か言っていたが、僕は電話を切った。
「しつこい電話は津村さんだったんですか……」
ため息をつき、僕は携帯を美佳に返した。津村め、どこまで醜態を晒せば気が済むんだ。
「もう、電源は切っておいてください」
美佳に電源を切らせ、食事を再開する。上品なムードが戻り、僕は微笑んだ。そう、イブはこうでないと。
なのに美佳はどうしたのか、そわそわと落ち着きがない。
「どうかしましたか?」
「いえ……」
話しかけても、なんだか上の空のような返事。津村のことを考えているんだろうか。
「美佳さん。今は僕とデートしているんですよ」
釘を刺す。美佳は息を飲んだ。
「……すみません」
肩を落とす。いけない、今日は楽しみたいんだ。僕は笑みを作り、朗らかに振る舞った。美佳にも笑顔が戻ってきた。
「乾杯」
ワイングラスをコツンとぶつける。
「……先生は、相変わらず女あしらいがお上手なんですね」
美佳が、酔いのためか恍惚のためか、かすかに頬を染めて言った。
「大勢、女性を手玉に取ってきたんでしょ」
「そんなことはありませんよ」
「なんでもかんでも余裕であしらって……なんか、ズルいな。女が必死になるのを見て、鼻で笑ってるんでしょ」
美佳は少々酔っているようだ。
「そろそろ出ましょうか。少し、外の風に当たったほうがいいですよ」
僕が席を立ちかけると、美佳は僕の手を取って引き戻した。
「ほらそうやってはぐらかす。もう少し座って、話をしましょうよ」
「酔ってますね」
「ええ。でも先生はちっとも酔ってない。先生みたいな人でも、誰かに必死になることって、あるんですか……」
酔いのなかにも真剣な目で訊く。女に夢中になったことなんてない。強いて言えば美佳くらいだ。
ふと、遠い日の初恋がよぎり、頭を振った。思い出したくもない。
「困りますよ、なんですかあなた」
店の出入り口が騒がしい。何事かと目を向け、驚いた。
津村が暴れている。
「なんで津村がここに……」
呟き、すぐに思い当たった。美佳が、電話で場所を知らせたのだろう。
「美佳さん」
振り返ると、美佳は小さく舌を出した。
「ごめんなさい。でも孝介は、みっともないくらい必死でいてくれたから……」
美佳は、表口で暴れている津村を見やった。津村は何度も叩き出されながら、中に入ろうとしていた。裕福な客たちが、眉をしかめて注目している。
「みっともないですよね」
そう言いながら、美佳は嬉しそうだった。
「ごちそうさまでした」
美佳は席を立った。僕は彼女を追いかけようとして、出来なかった。高級店で、津村のように醜態は晒せない。美佳が津村と去っていくのを、僕は見送った。
外に出ると、雪が舞っていた。ホワイトクリスマス。道行く恋人たちは否応にも盛り上がっている。イチャイチャしやがってだらしない奴らめ。僕は腹立たしく舌打ちした。けれど本当に腹立たしいのは、カップルたちではなく自分自身なのかもしれなかった。
本気で人を好きになったら、体裁なんてかまっていられない。美佳に振られてしまったのは、自業自得なのかもしれない。
中学時代の初恋を思い出す。苦い思い出、トラウマでさえある失恋だったが、傷つくくらい人を好きになれたのは、あの時だけだ。そう思うと、あの辛い記憶にも、意味があるように感じた。
僕は一人、帰途についた。雪がひどく冷たい。
「ただいま戻りました」
帰宅すると、寒気が遮られるためか、温かく感じた。
「おかえりなさい。早かったのね」
イブなのに早々に帰ってきた息子に、養母は首を傾げた。
「振られてしまいました」
「あらそう……残念ね」
養母は小さく睫毛を伏せた。
「たいしたことじゃありません」
そう言って、僕は夕食が出来るまで、自室にこもった。
……。
腹が減ったな。
時計を見ると八時を回っているが、まだ呼ばれない。僕は自室を出、食堂に向かった。いい匂いがしてくる。
「ごめんなさい、もう少しで出来るから」
食事の支度をしていた養母が、申し訳なさそうに言う。テーブルには七面鳥やケーキが並べられていた。ご馳走に、僕は目を丸くした。
「どうしたんですか」
「クリスマスだからね」
養母は微笑んだ。もしかして、イブに振られた息子を慰めるために、手の掛かる料理を拵えたのだろうか。
「そんな気を遣ってくれなくてもいいのに」
そんなふうに気を遣われると、かえって惨めだ。
「違うわよ、家族で過ごすのが嬉しいから。今日は珍しく、お父さんもお休みなの」
養母は本当に嬉しそうに言った。キャンドルに火を灯す。本格的だ。普段落ち着いている養母がはしゃぐ姿に、僕はフッと頬が綻んだ。寂しさが和らぐ。
「そうですね。家族で過ごすクリスマスも、いいですね」
負け惜しみでなく、本心からそう思えた。恋人と過ごすだけが、クリスマスじゃない。幸せは、愛情は、ここにもあったんだ。
「よし、出来た。お父さんを呼んできてちょうだい」
「はい」
頷き、僕は養父を呼びに食堂を出た。




