少年12
少年12
もう、津村の手術を伸ばすわけにはいかない。執刀しよう。彼を許そう。自分に言い聞かせながら、僕は津村の病室に入った。
「先生。おはようございます」
珍しく目を覚ましている津村が、僕に挨拶した。僕は彼をじっと見つめた。許さなくちゃ。美佳と約束しただろ? 分かってる。許さなくちゃ。
手首の傷が、疼く。十四歳の痛みが、まだ続いてる。子供の傷がこんなに深いなんて。
少年。子供なのは、誰だ? 居谷くんか? 反省しない津村か? まだ許せない僕か?
「先生。お疲れなんですか?」
津村が覗き込む。病人に心配される医者か。どちらが病気だか分からないな。病人が病人を診ている。笑えない冗談だ。
「アアアアアアアア!」
断末魔のような絶叫。僕と津村は息を飲んだ。他室の患者の悲鳴だ。患者の高声なんか慣れているはずなのに、驚いてしまった。僕は少し疲れているようだ。
「ああ、先生。何だか大変なことになっているようですよ。僕は後回しでいいから、あの患者を診てあげてください」
津村の言に、僕は目を丸くして彼を見た。
「津村くん?」
「あれはきっと、凄く苦しいんだと思いますよ。僕も頭が痛いけれど、痛いからこそ、放っておけない」
「……」
驚いた。津村がこんなことを言うなんて。うるさい気違いと罵倒していたのに。昔から、弱い者には容赦ない男じゃなかったのか。他人の痛みなんか、全然意に介さない奴だったのに。こいつに弱者の心配が出来るなんて。信じられない。頭の病気でちょっと変になってるんだろうか。
「先生?」
「あ……。いや、心配しなくてもいいんだ。ちゃんと担当の医師がいるから」
「そうですか」
津村は胸を撫で下ろした。こいつ本当に、弱い者のことを案じていたのか。どうして? どうして? 何が、このガキみたいな唯我独尊野郎を変えたんだろう。
津村が、苦しげに表情を歪めた。
「痛む?」
分かり切ったことを訊くと、津村は頷いた。
「痛いのは辛いですね……。僕は、脳膿瘍なんて病気になるまで、痛みというものがこんなに嫌なものとは知りませんでした。今までは他人が泣いたり叫んだりするのを蔑んでいたけれど、僕も痛みを持つようになってから、そんな気持ちはなくなりました。まったく痛いのって、自分がなってみないと分からないものなんですねえ」
「……」
「あ、でも先生はお医者さんだから、痛み苦しみなんて、僕なんかに言われるまでもないですよね」
津村は、照れたように笑った。
……。
絶句。僕は俯いた。
津村に、他者の苦痛を慮り、いたわる心が芽生えるとは。この男に、痛みが届いたのか。
僕の痛みが分かったか、津村。どれだけ僕を苦しめたか、ひどいことをしたか、やっと分かったか。悪かったと思うか。僕の傷を自分の痛みとして、苦しみ悔やむか。
津村は、僕をただの医者だと思っている。昔のいじめられっ子とは分かっていない。でも他者の痛みが分かるようになったなら、昔日の罪を悔いて反省出来るだろう。
涙が出てきた。十二年の時を越えて、津村が僕と同じ傷を負って、謝ったように思えた。
そうか。僕が彼にいつまでも復讐したのは、僕と同じ目に遭わせたのは、憎いからだけじゃなく、同じ痛みを知って欲しかったからなんだ……。でもこの鈍感野郎にはなかなか伝わらなくて、復讐はなかなか終わらなくて……けれど、やっと。
「大丈夫ですか先生。どうしたんです?」
「津村。君にも、やっと分かったんだね……」
ただ謝るだけじゃ、許せない。痛みを知った上で、同じように傷ついた上でなければ、許せない。傷つき、反省し、血を流して心から悔いなければ、許せない。人を傷つけた津村は、痛みを知らなければならない。傷つくことが、どれほど辛いか。
「痛いのは辛いだろう。本当に苦しいだろう。分かっただろ。ああ、やっと、やっと、君にも痛みが届いたんだね……」
津村を執刀しよう。僕は決意した。




