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少年7

少年7


「……」

 僕は息を吸い込んで、自宅を見上げた。

「ただいま、戻りました」

 挨拶して居間に入ると、養父母がいつものようにキチンとしていた。主はピンと背を伸ばしニコリともせず、妻は端然と夫の脇に仕えている。江戸時代の武家夫婦のようだ。付け入る隙の無いような空気に、改めて萎縮しながら、思い切って口を開く。

「あのう。お尋ねしたいことがあるのですが」

「先日、西崎の母がここに来た際、本当は何の話をなさっていたのですか」

 養母の動きが、一瞬止まった。

「世間話よ。どうしたの」

「患者の身内が、西崎の母を訪ねました。その人に実母は、息子は死んだと言ったそうです」

 藪蛇かもしれない。養父母を問いつめることは、僕の違法な復讐を暴露することになりかねない。でも僕は、疑惑をぶつけた。ただでさえ養子という肩身の狭い立場なのに、そのうえ家族に隠し事があっては、この家で暮らしていけない。不法行為を働いている身に、養父母の不思議な動きは脅威だった。

「なぜそんな嘘を、西崎の母が言うんです。どうして実母に、患者の身内が来ると分かる? お養母さん、あなたが先日、西崎の母に言ったのでしょう。患者の身内が訪ねてきたら、息子は死んだと追い返すようにと。そして僕の患者や仕事のことをお養母さんに伝えたのは、お養父さん、あなたしかいない」

 養父母は、二人で組んで僕に隠し事をしている。厳しいけれど、公明正大な人たちだと思っていたのに。やはり僕は、この家では所詮他人なのか。問いただすうちに、僕は激高してきた。

「何なんですか。この前の午前様だってそうだ。出張なんかじゃなかったんでしょう。僕に隠れて、二人して、何をやってるんだ。僕のまわりでゴソゴソするのはやめてくれ。言いたいことがあったら、言えよ!」

 養子になってからの八年の鬱憤が爆発したみたいに、僕は叫んだ。思えば僕は松永家に従うばかりで、養父母に本音をぶつけたことは無かった。もう大人だ、親に反抗したり甘えたりする年代は過ぎた。愛してもらおうとは思わない。これは取引。松永家は跡継ぎが、僕は学資と設備が必要、互いの利害が一致した取引。養父母とは大人同士割り切って付き合っていけると思っていたのに。

 吐き出すように怒鳴った後、僕は呆然となった。己の激高に自分で驚く。八年間、声を荒げたことも無かったのに、どうして怒鳴ってしまったのだろう。これじゃまるで、勝手に部屋を掃除されて怒っている中高生だ。

 大人しい従順な養子の爆発に、養母は目を見開き、養父は据えた目を返した。

「おまえはまだ子供だ」

 養父が、僕の内心を見透かしたように口を開いた。

「おまえは、中学時代のいじめから、まだ立ち直れていない。体だけ大人になっても、心は中学生のままなのだ」

「な……なんですか」

 僕はたじろいだ。まさかこの養父に、僕の一番の古傷を言われるとは。

「昔のことは、どうでもいいでしょう。お養父さんには、関係ない」

「子供の命に関わることを、親が知らんぷりでいられるか」

 そう言って、養父は僕の手首に視線を落とした。袖で隠れているが、僕は手首を押さえた。

「これと、あなた方の隠し事と、なんの関係があるんです」

「津村孝介が、おまえの受け持ちで入院しているだろう。おまえを自殺未遂にまで追い込んだいじめっ子が」

 僕はギョッとして養父を見返した。養父が津村のことを知っていたなんて。

「患者の記録に津村の名前を見た時には、驚いた。まさか彼が当院に来るとは……」

 養父はため息をついた。この几帳面な院長は、外来から入院患者まで、膨大な患者の概要をすべて頭に入れている。だが今は養父の生真面目さに感心するよりも、彼が最初から津村を知っていたことに驚いた。養父は言った。

「同姓同名の別人とは思えない。息子を苦しめたのがどんな男か、夜中当直職員の目を縫って、確認してみた。どこにでもいるような若者だったが、これが息子に死ぬ思いをさせた男だと思うと、あどけない寝顔が悪魔のようにも見えた」

 出張と偽って、養父は津村を覗いていたのか。僕は、津村が夜中に自分を見ていただろうと掴みかかってきたことを思い出した。それは養父だったのだ。養子とはいえ僕は親戚、養父とは体格や顔つきが似ている。夜目には、養父が僕に見えたのだろう。

 養父は僕を見つめ、

「おまえが津村をどうするつもりなのかうかがっていると、脳膿瘍の正しい診断を下した後は、執刀もせず、外界から隔離するように、個室に移したな。そして医師の立場を利用して報復、患者を虐待した……」

「……」

 僕は唾を飲んだ。背に冷たい汗が流れる。養父は全部、分かっていたのか。なんてことだ。

「そこまでご存じなら、どうして傍観していたんですか」

 僕は言い訳せずに己の不当を認め、問うた。ここまで掴まれていては、とぼけることも出来ない。僕の行いは、この厳格な院長にとっくにバレていたのだ。ならもう、言い訳はすまい。どうとでも、処分してくれ。開き直ると、養父の態度が不審に思えた。

 養父は院長として、僕を糾弾し津村を救うべきではないのか。他の病院なら不祥事をもみ消そうとするかもしれないが、松永壮一はそういうことをしない人間のはずだ。なぜ、津村のことを放っておいたのだ。

「そうだな。それが、正しい対処なのだろうな」

 養父は目を伏せた。

「不正を正すどころか、隠蔽するように西崎の母を抱き込んでおく――私は、医者失格だな。だが」

 養父は顔を上げた。まっすぐに僕を見る。

「私は、父親だからな。どんな不正を働いても、息子を見捨てるわけにはいかんのだよ」

「……!」

 胸を突かれた。家族を見捨てないと言った養父の言葉が蘇る。

 まさかこの定規のような四角四面な男が、僕のために正義を曲げるとは。嘘だろう。信じられない。病院が大事だから、不祥事を隠したいだけなんじゃないのか。僕は疑い深く、養父を見つめた。

「私は、藪医者だな。大勢の患者を診てきたのに、息子の病気も治せない。もし津村に万一があったら、私がすべての責任を被る。病院をたたむことになっても、おまえのことは守る」

 養父は強く言いきり、養母も彼の決意に従うように、夫に寄り添っていた。

 なんと。言葉に詰まった。病院を存続させるための養子に過ぎないと思っていたのに、養父母がこれほどに僕を愛してくれていたとは。彼らは僕を病院存続の道具ではなく、息子として迎えてくれていたのだ。でも厳しい家風と肉親ではないという遠慮、僕の人格の未熟さが、この家の愛情を気づかせなかった。僕は全然、大人じゃなかった。

 小心な猜疑は完全に晴れ、僕は養父母への申し訳なさで一杯になった。この二人は、僕のためにすべてを犠牲にする覚悟でいるのに。財産も地位も、医者としての良心すら投げうって。

「おとうさん……おかあさん……」

 詰まる喉から、それだけが自然に零れ出た。養子になって八年、はじめて、養父母を抵抗なく「おとうさん、おかあさん」と呼べた。


 僕は、津村が美味そうに食事をするのを、じっと眺めていた。今日の食事は混ぜご飯にせず、普通に出した。ただ、媚薬が仕込んであるが。津村は気づかず、喜んで食べている。

 養父母のことを思えば、もうこんなことはやめるべきなんだろう。さっさと津村を治療して、退院させなければいけない。分かっている。僕の復讐のために、両親を犠牲にするわけにはいかない。分かっている。

 でも僕は、津村を解放せず、病人に媚薬を食わせている。今日は週末、小林美佳が来る。津村はあられもない姿を、恋人に晒すことになるだろう。

 僕は何をやってるんだろう。

 一時間後、薬が効いて津村は悶え始めた。けれど美佳は来なかった。僕は看護婦に津村の監視を命じた。僕がクラスの女子に裸を見せ物にされたように、津村の恥ずかしい姿を女に見せてやる。病人の自慰を見て、看護婦は驚いて出ていった。

「おまえ、変態だよ……」

 看護婦とはいえ女性にとんでもない姿を見られて、津村は打ちひしがれていた。

「美佳に、あんな場面を見せるなんて……」

 美佳? 津村には看護婦が恋人に見えたのだろうか。単なる見間違いか。あの看護婦と美佳はあまり似ていないが。病状が進んだのだろう。外部との接点が美佳しか無く、彼女の来訪を待ちわびている彼には、若い女なら誰でも美佳に見えるのかもしれない。


 僕は変わらず、津村を閉じこめ続けている。津村は美佳に愛想を尽かされたと思いこんで、絶望していた。

「アッタマ痛ぇよ畜生!」

 津村は頭をかきむしり、吠えた。最近、彼は今までにも増してひどく、頭痛に苦しんでいるようだ。絶望が一気に症状を悪化させたのだろう。

 このままずっと、治療せず放置しておいたら、どうなるのか。すでに津村は幻覚を見始めている。やがて精神が錯乱して、昏睡に至るだろう。

「貴様、腐っても医者だろ! なんとかしろよ!」

 掴みかかる津村を、僕は簡単にいなした。

「僕だって痛いと言った。でも君は笑うだけだった」

 津村は、怒り憎しみの物凄い目で、僕を睨んだ。

「一体、どうすればおまえ気が済むんだよ」

 怒鳴る。どうすれば気が済む? 僕が知りたい。おまえを許せばいいだけのことなのは、分かっている。でも、それだけのことが、僕には出来ない。どうしても許せない。養父母や自分の立場を危うくして、津村の生命を追いつめても、まだ許せない。

 養父が言った通り、僕の中にはまだ、中学生のままのいじめられっ子がいるのだろう。大人の対処が出来ない。救って欲しいのは、津村じゃなくて、僕の中の少年だ。

 西崎くん。君はどうしたら、気が済むんだい。自問。

「うるさい、気違い!」

 突然、津村が壁に向かって忌々しげに怒鳴った。僕には何も聞こえなかったが、脳の失調を来し始めている津村には、他室の患者の幻聴でも聞こえたのだろう。

「津村くん。君はまったく、中学の頃と変わってないんだね」

 僕はため息をついた。こいつは全然、変わっていない。中学の頃からいじめっ子で、今も、弱者を蔑むことに一つの反省もない。

「君は、昔からそうだった……。弱い者へのいたわりなんか、微塵もない人だった……。どうして君はそうなんだろうね? 君はここの患者たちを気違いと蔑むけれど、今は君も病人なんだよ。どうしてそのことが分からないんだろう」

「なんだよ。なんでおまえに説教されなきゃならないんだよ」

 津村が心底不満そうに、口を尖らせた。これではまだまだ許せない。


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