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少年4

少年4


 病院に着く。津村は、術後の経過が良くないので、長期療養ということになっている。手術もしていないのに、術後も何も無い。あいつは治らない症状に苦しんでいた。いい気味だ。

 津村の病室に行くと、彼は不審げな目で僕を見た。

「先生。夕べ、夜中、何をしてらしたんです?」

 開口一番、津村は言った。夕べの夜中は寝ていた。決まってるじゃないか。すると津村はさらに言った。

「夕べ夜中、じっと俺を見てたでしょ。何なんです?」

 なんだ? 何を言ってるんだ、こいつ。僕は怪訝に津村を見返した。

「おまえ、何なんだよ!」

 津村が掴みかかってきた。白衣の袖がめくれた。手首の傷跡が覗く。津村は息を飲んだ。

 フフ。恋人の美佳に確認させた手首の傷。今日はわざと化粧をしてこなかった。

「これですか?」

 僕は傷跡を撫でた。

「辛い事があってね。それから逃げたくて、切ったんですよ」

 十四歳の辛かった日々が、蘇る。でも一番辛かったのは、津村に殴られたり笑われたりしている時じゃなく、自分で手首を切った時だった……。

「痕が残るような自殺未遂をするものじゃない。痕を見る度に、あの辛かった事を思い出す……」

 津村が、薄気味悪そうな顔で、僕を見返す。バカ、薄気味悪いのはおまえだよ。また僕の手首の傷ことで騒げば、おまえはどんどん、恋人から気味悪がられていくんだ。

「辛かった事って……?」

 津村が訊く。まだ思い出せないんだね、津村くん。

「そのうち、そのうち分かる……僕の苦しみ、僕の絶望、僕の痛み……全部……」

 思い出させてやる。同じ思いをさせてやる。快感に近い復讐心がわきあがる。

「先生。あんたは一体……?」

 津村の表情に小さく怯えが走る。恋人の小林美佳が来るのが見えた。僕は医者の顔に戻った。

「頭痛はどうですか?」

 柔和に微笑んで尋ねる。津村は戸惑った顔をした。

 美佳嬢が入ってきた。今日も綺麗だ。この美人を、津村から奪ってやるんだ。

「小林さん」

 僕は微笑んだまま、美佳に話しかけた。

「津村さんは、少し興奮しているようです」

 きっと津村は、僕の手首のことを恋人に訴えるだろう。伏線を張っておいた。

「そ、そうですか……」

 美佳の美貌が、かすかに青ざめた。フフ、怯えている。僕は内心ほくそ笑みながら、表情には一つも出さず、病室を出た。


 翌日、津村の病室に赴くと、彼は不安な様子を見せなかった。津村は僕を睨んで言った。

「あんた、西崎だろう」

 宣告するように言う。僕は驚かなかった。

「やっと、思い出したの」

 ため息を吐くように呟く。この鈍感野郎が、ようやく、僕の正体に気づいた。気づくのが遅すぎる。

「西崎なんだな。中学の時の」

 僕は頷いた。

「なんで、名字が西崎から松永になったんだ」

 僕は、養子になって名字が変わったことを教えてやった。

「僕は君のことを一日だって忘れたことはなかったのに……」

 なのにこいつは、名字が変わったくらいで、僕のことが全然分からなかったのだ。中学を卒業してからは、僕のことなんて思い出しもしなかったのだろう。なんて薄情な奴だ。

「ひどい人だ……。あんなに惨いことをして、それを忘れ去っているなんて」

 僕が責めると、津村は怒鳴った。

「十二年も昔のことだ。忘れるのが普通だろ!」

 なんだと。昔のことなら、許されるというのか。なんて身勝手な。何十年経とうと、被害者の傷は癒えるものじゃない。体の傷は治っても、心の傷はいつまでも残る。心の傷から病気になって、この病院に来る人もいるんだ。それをこいつは、昔のことなら忘れて当然だと言う。

 当然なものか。

「君は僕を虐めて笑っていたね。楽しかったんだろう。でも僕は辛かった」

 少年時代のトラウマが、生々しく蘇る。殴られ、笑われ、小遣いを巻き上げられ……。どれも、今思い返しても腹の煮える思い出だ。津村はいつも笑っていた。楽しそうに。

 そうか、楽しかったのか、津村。僕を苦しめて、楽しかったんだな。

「今度は、僕が楽しむ番だよ」

 同じ思いをさせてやる。死ぬような思いを。そして僕も、こいつが苦しむのを見て、笑ってやろう。

 津村が、唖然と僕を見返す。担当医に復讐宣言をされ、彼の表情に怯えが走った。

「冗談じゃないぞ! こんな所、出ていってやる!」

 津村はベッドから飛び起きた。

「駄目だよ。退院なんかさせない」

 僕は津村をベッドに押し戻した。中学の時なら、考えられない。病気の津村は、僕にも押さえられた。あは。あはは。こいつ、弱くなった。今は僕のほうが強いんだ。体力も、立場も。

 逆転だ。僕は医者で津村は患者、しかもここは精神病院。何とでもできる。


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