表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/52

贖罪4

第4節


 美佳が訪れるや、俺は松永への不安を訴えた。

「病院、変わろう。あいつ、変だよ。ちょっと、おかしいよ」

 美佳は狼狽えたように俺を見返した。

「落ち着いて、孝介」

 あんな不気味な医者につきまとわれて、落ち着いてなどいられない。頭痛もいっこうに良くならないし、どんどん怖くなってくる。だが美佳は俺をなだめた。

「孝介、寝ぼけてたんじゃない? なんで松永先生が、あんたの顔を夜中に眺めなきゃならないの。おかしいわよ」

「だからあいつはおかしいんだって! 手首に傷だってあるし、絶対まともじゃない」

 美佳の表情が曇った。

「その……手首の傷だけど……」

 美佳は口ごもった。

「なに?」

「それ、孝介の見間違いだったんじゃない?」

「なんだって?」

「松永先生に、そんな傷、無かったわよ」

 傷の話を聞いて、美佳は心配になって松永の手首を調べたのだろう。

「おまえが見たのは右手だったんじゃないか? あいつの傷跡は左手首にあったんだ」

 きっと、利き手の右で左手首を切ったのだろう。すると美佳は首を振った。

「両方、見たけれど、無かったわよ……」

「……」

 俺は言葉を失った。

 見間違いだったのだろうか?

 そういえば、俺が奴の傷跡を見たのは、麻酔で朦朧としていた時だった。

 見間違いだったのかもしれない。

「でも、やっぱり松永は変だよ。夜中に俺をじいっと見下ろしてさ……」

「……それも、見間違いか、寝ぼけていたんじゃないかなあ」

 美佳が、困ったように言う。

 寝ぼけていた? そうだろうか。いやにはっきり覚えているし、あれから気味が悪くて、朝までずっと起きていたのだ。寝ぼけていたとは思えないけれど。

「思い詰めないほうがいいわ」

 美佳が、いたわるように言った。

「今は、病気を治すことだけ考えて。早く元気になって。ね?」

 優しい言葉。嬉しくなってもいいはずだが、なぜか違和感。普段の彼女は気が強いので、そんなふうに感じるのだろうか。

「お大事にね」

 美佳が出ていくのを、何故か逃げていくように感じた。

 美佳は、俺を怖がっているのだろうか……?

 なぜ?


 松永が来た。無論、院長ではなく、不気味な息子のほう、松永克巳医師だ。

 あああ、嫌だなあ。

「先生。夕べ、夜中、何をしてらしたんです?」

 俺は思い切って訊ねてみた。松永は微笑んで答えなかった。俺は苛立った。

「夕べ夜中、じっと俺を見てたでしょ。何なんです?」

 再び問うてみる。松永は黙って笑っている。気味の悪さと同時に、怒りがわいた。

「おまえ、何なんだよ!」

 俺は松永に掴みかかった。その拍子に、奴の袖がまくれあがった。

 手首の傷が、はっきり見えた。

 俺が息を飲むと、松永は薄く笑って自分の傷跡を撫でた。

「これですか?」

「……」

「辛い事があってね。それから逃げたくて、切ったんですよ」

 やっぱり、俺の見間違いなどではなかった。

 松永には傷があり、奴は自殺未遂の過去があったのだ。

 どうして美佳は、嘘を言ったのだろう?

「痕が残るような自殺未遂をするものじゃない。痕を見る度に、あの辛かった事を思い出す……」

 しかし、そう言う松永の表情は妙に明るい。

 なんなんだ? なんなんだ?

 怒りが消え、再び気味の悪さが立ち上った。

「辛かった事って……?」

 思わず訊いてしまう。

「そのうち、そのうち分かる……僕の苦しみ、僕の絶望、僕の痛み……全部……」

 独り言のように呟く松永は、薄く笑っていた。

 なんで俺が、こいつの苦痛を分からなきゃならないんだ?

「先生。あんたは一体……?」

「頭痛はどうですか?」

 松永が話を逸らした。頭痛は、相変わらずだ。痛み止めの他に、抗生物質やら何やら、色々薬を貰っているが、良くはならない。

 美佳が入ってきた。

 もしかして、松永が話を逸らしたのは、美佳が来るのが見えたからだろうか……?

「小林さん」

 松永は何事も無かったように、美佳に話しかけた。

「津村さんは、少し興奮しているようです」

「そ、そうですか……」

 美佳がかすかに青ざめた。何なんだ?

 松永が出ていくと、俺は美佳に問いつめた。

「松永の奴、やっぱり傷跡があったぞ。自殺未遂だって、言ってた。美佳、なんで嘘つくんだよ」

 美佳が息を飲んだ。

「孝介。松永先生の傷跡を、また見たの?」

 怯えたように青くなる。どうしたっていうんだ。

「見たよ、さっき。あいつがとぼけるから頭に来て、取っ組み合いになりかけたんだけど、その時に手首が見えた。はっきり」

「……」

 美佳は項垂れた。

「美佳、あいつに傷跡がないって言ったよな。あったじゃないか。なんで嘘ついたんだよ」

「あ、あの……ちゃんと、見えてなかったのかもしれない。ホラ私、近眼だし……」

 しどろもどろな調子で言う。なんか、最近の美佳は変だ。

「美佳。俺に、隠し事でもしてるのか?」

「……」

 美佳はじっと俺を見つめた。目が潤んでいて、ちょっとドキリとした。

「孝介。早く、病気を治して。先生の言うこと、よくきいて。早く、元に戻って」

 俺は面食らってしまった。

「美佳?」

 美佳は、笑顔を作った。努力して笑っているような笑顔。

「退院したら、今度こそデートしようね」

「う、うん……」

 なんだか美佳が痛々しく見え、俺は問いつめるのをやめてしまった。

 美佳は、見舞いの他に、俺のアパートに来た手紙を持ってきてくれた。美佳が帰ってしまった後、俺は手紙の束に目を通した。

 半分以上がダイレクトメールだった。つまらない。美佳の奴、ダイレクトメールなんかわざわざ持って来なくていいのに……。

 ダイレクトメールに混じって、まともな手紙が一通あった。何だろう? 封を開けてみた。

 同窓会の通知だった。

 同窓会ねえ……懐かしいが、入院しているような状態では、とても行けやしない。

 ん? 待てよ。

 俺は突如、引っかかりを覚えた。

 中学の同窓会……中学。

 俺の脳裏に、一人の少年の顔が浮かんだ。

 少年の顔と、松永克巳医師の顔が重なる。

「あ……」

 俺の背に、氷のような寒気が走った。

「あいつ……西崎克巳だったんだ……」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ