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アメージング・グレイス12

アメージング・グレイス12


 小教会にたどり着いた頃には、ミサが終わろうとしていた。

「どうしたんだね、居谷くん。君は、今日は舞台じゃないのかね」

 神父が、目を丸くして言う。僕は神父に構わず、礼拝堂にカチューシャの少女の姿を探した。

 居た!

 彼女は、席を立とうとする所だった。

「あ……」

 僕は声をかけそうになったけれど、彼女は僕に気づき、再び腰を下ろした。

「あ! 居谷晃司だ!」

「本当だ! こんな所に」

 ミサが終わり、帰りかけていた人々は、僕の登場に目を丸くした。

「わあ、本物?」

「歌ってくれるの?」

「まだ声変わりしてないの?」

 珍しそうに、僕を見る人々。注目なんか、気にならない。僕の聴衆は、たった一人。聴いて欲しいのは、たった一人。

 少女は、他の連中のように騒ぐことも珍しがることもなく、静かに、僕を見ている。綺麗な瞳。真摯な瞳。

 この孤独で傷ついた少女は、どんな思いで、僕の歌を聴いていたのだろう。どうしてこれほど真摯に、僕の歌を聴いてくれたのだろう。

 僕の歌が、彼女の慰めになっていたのだろうか。僕の必死の歌が、僕のアメージング・グレイスが、僕と同じように傷ついている彼女の心に、響いたのだろうか。

 アメージング・グレイス。絶望と再生、罪と救いの歌。

 暗闇を歩く主人公の前に、神の御手が差し伸べられた。

 盲人に一筋の光が与えられたように。

 神の恵みは彼の心の恐れを取り去り、受けとめてくれた。

 信じた瞬間、その恵みの素晴らしさが彼を取り囲んだ。

 多くの患難、誘惑をへて、彼はそこに辿り着いた。

 アメージング・グレイス。

 人生の絶望に、暗闇に、さしこむ一筋の光。

 これは、僕の歌。

 そして、彼女の歌。

 絶望と苦悩に喘ぐ人間の、救いを求める歌。

 だから。だから。

 この歌は、僕の叫び、祈りになった。彼女はそれに心を打たれた。

 僕と彼女には、一言の会話もない。彼女の悩み、問題が何であるか、僕は知らない。彼女も、僕の悩みを知らないだろう。

 でも僕らは、つながっている。魂の深い所で、つながっている。

 死ぬという段になって、すべての虚勢、欲、見栄、偽善、建前は剥げた。僕の心に浮かんだのは、僕の上辺に拍手をくれる聴衆でもなく、僕を利用する竜野でもなく、僕を羨望する立原でもなく、僕を虐待した養父でもなく、たった一人の肉親の母ですらなかった。

 ただ、彼女のことだけが。

 カチューシャの少女のことだけが。

 名前も知らぬ、会話を交わしたこともない、けれど深く深くつながっている、彼女のことだけが。

 僕らは、暗闇を彷徨っている。悩み、絶望し、苦しんでいる。一条の光を、切に切に求めている。

 一筋の光。僕のアメージング・グレイス。それは、僕を認め、愛してくれるひと。僕の必死の叫びを聴いてくれるひと。

 カチューシャの美少女。

 彼女が、暗闇に投げられた一筋の光、僕のアメージング・グレイスだったのだ。

 歌手になり、拍手を受け、有頂天になっていた。救われたのだと思った。皆が、僕の歌を聴いてくれる、賞賛してくれると思った。

 違ったのだ。

 たしかに、僕の声や歌は、多少は人々の心に響いたのかもしれない。けれど、もっとも、もっとも、僕の叫びを真摯に受け止めてくれたのは、司教でも音楽会社でも一般の聴衆でもなかった。

 歌手になり、注目されて、一筋の光が与えられたのだと思った。

 違うのだ。

 光は、救いは、ここにあったのだ。

 少女は、他の聴衆のように、僕を褒め称えたり、拍手を浴びせたりしない。ただ静かに聴いている。けれどその静かさ、穏やかさが、彼女の真摯さ、誠実さを表している。

 カチューシャの少女。僕の、アメージング・グレイス。僕の魂の叫びを、聴いてくれるひと。

「アメージング・グレイス……」

 僕は、壇上に立ち、礼拝堂を見下ろして言った。

「アメージング・グレイス。この歌を、あなたに捧げます……」

 少女を、まっすぐに見つめる。彼女も、まっすぐな瞳で見返す。

 聴衆は、大勢いる。でも彼女には、分かったはずだ。これから僕が歌う歌は、他の誰でもない、彼女に捧げるのだと。

 アメージング・グレイスは賛美歌だ。神に捧げる歌だ。けれど僕は、命をかけて歌うこれを、神に捧げない。

 彼女に捧げる。

 命を、心を、魂を、愛を、すべてをこめて、彼女に捧げる。

 彼女だけに。



Amazing Grace, how sweet the sound,

That saved a wretch like me.

I once was lost but now am found,

Was blind, but now I see.


T'was Grace that taught my heart to fear.

And Grace, my fears relieved.

How precious did that Grace appear

The hour I first believed.


Through many dangers, toils and snares

I have already come;

'Tis Grace that brought me safe thus far

and Grace will lead me home.


The Lord has promised good to me.

His word my hope secures.

He will my shield and portion be,

As long as life endures.


Yea, when this flesh and heart shall fail,

And mortal life shall cease,

I shall possess within the veil,

A life of joy and peace.


When we've been here ten thousand years

Bright shining as the sun.

We've no less days to sing God's praise

Than when we've first begun.


 歌いきると、拍手が、僕を包んだ。僕は聞こえていなかった。僕の目は、耳は、一人の少女にだけ、向けられていた。

 彼女は、穏やかに微笑んでいた。

 はじめて見る、彼女の笑み。

 綺麗だった。

 良かった……。

 満足が、安堵が、至福が、僕を満たす。

 彼女の微笑みが見られた。

 それだけで、それだけで、僕がこの世に生まれてきた使命を、果たしたように思える。僕の生、苦しみ、絶望は、無意味ではなかったのだと、思える。

 彼女をほんの少し微笑ませるために、僕は生まれ、暗闇を彷徨い、病気を負って、歌ったのだ。

 ああ。

 すべては、神の計画であったのか……。

 僕が生まれて、十五年、泣いたり笑ったり苦しんだりしたのは、すべて、彼女の微笑みを得るという一点に集結するためだったのか……。

 なんという。

 無駄なものは、一つもなかったのだ。

 神の計画。神の恵み。

 ありがとうございます。

 僕は、幸せです。

 ありがとうございます。

 僕は、神に感謝した。

 意識が、遠くなっていく。

 死ぬのだな。

 恐怖は無かった。

 彼女の笑みを見ることができた、この世でもっとも美しいものを見ることが出来た。その満足、至福で一杯だった。


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