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アメージング・グレイス11

アメージング・グレイス11


 コンサートは、大入りだった。

「皆、おまえの声を聴きに来ているんだぞ」

 竜野先生が、耳元で囁く。

「おまえの歌声だけを目当てに、集まっているんだ」

「……」

 僕は、舞台袖から、そっと客席を覗いた。

 僕の歌を聴きたくて、集まってくれた人たち。僕が声変わりをすれば、この人たちはいなくなるんだ。誰も、僕なんかに振り向いてくれなくなる。

「行けよ」

 先生が背を押した。

 僕は、舞台に立った。客席を見回す。期待のこもった目で、注目される。

 皆、僕の歌を聴きに来たんだね? 僕が綺麗に歌えば、褒めてくれるんだね?

 認めてくれる。讃えてくれる。たとえ、病気の声でも。

 僕は、歌った。

 澄んだソプラノ。会場の隅々まで届くように、声を響かせる。

 聴いて欲しい。認めて欲しい。褒めて欲しい。讃えて欲しい。曲は、アメージング・グレイスではない。でも僕は、魂をこめて歌った。

 ありったけの思いをこめて、歌った。

 聴衆は、少しおしゃべりをしたり、菓子をつまんだりしながら、聴いている。

 この人たちは、分かっているんだろうか。僕が、命を削って歌っていること。僕が、どんな思いで歌っているか、分かっているだろうか。僕の必死の思いが、祈りが、届いているのだろうか。

 聴いてください。聴いてください。僕には、この声がすべてなんです。これだけが、取り柄なんです。綺麗でしょう? 凄いでしょう? 病気の声だとは、思えないでしょう? 命をかけた美声なんです。聴いてください。認めてください。褒めてください。

 もうそれは、歌というより叫びだった。

 認めてほしい。褒めてほしい。愛して欲しい。何でもいいから。

 飢えた赤ん坊が乳を欲しがるように、乾いた大地が雨を求めるように。

 僕は歌う。人々の賞賛を求めて。

 死は恐ろしい。けれど、それを凌駕する恐怖がある。

 認められないこと。愛されないこと。無視されること。そんな状態は、死んでいるのと同じ事だ。

 だから僕は歌う。命をかけて、歌う。歌えば、居場所を与えられる。命と引き替えに、一筋の光明を投げてもらえる。

 美声を失えば、僕には価値が無いんだ。

 聴衆にとって、居谷晃司の存在価値は、ただただ、声だけ。

 それでもいい。

 それでもいい。

 僕の歌を聴いてくれるなら。僕の声に、感動してくれるなら。

 あなたたちに、この声を捧げます。

 僕の唯一の価値を、捧げます。

 だから、僕の歌を聴いてください。

 歌い終わると、拍手が、僕を包んだ……。


 コンサートの成功に気をよくした竜野先生と音楽会社は、次の予定を決めていった。

「先生。日曜日は、空けていてください……」

 僕は、ぐったり横になりながら、竜野先生に言った。

「なんだ? 用事でもあるのか?」

「日曜日は、教会のミサが……」

「ハッ。あんな小教会のミサなぞ、放っておけ」

「でも……」

「うるさいな。ミサなんか知るか。それより、コンサートとレコーディングだ」

 先生が、次々と今後の予定を埋めていく。僕の朦朧とした脳裏に、赤いカチューシャの少女の、寂しげな美貌が浮かんで、消えた。


 日曜日。今日は、舞台で歌うことになっている。

「起きろ。行くぞ」

 先生が、僕を引き立たせた。頭が痛い。ぐらぐらする。病気は、どのくらい進行したのだろう。

「しっかりしろよ。歌えるのか?」

 僕の体を心配するのではなく、商売道具が役に立つのかを案じて、先生が言う。先生は、鎮痛剤を持ってきて、口に含ませた。

 もう、毎日痛み止めの薬を飲んでいる。そのせいか、元々はっきりしなかった頭が、さらにボンヤリになった。半分寝ているような状態だ。

「そろそろ、限界か……?」

 僕の様子に、先生が首を捻って言う。

「くたばる前に、精一杯稼がせないとな……」

 先生が、遠くから言うのが、聞こえる。

 僕は、もう死ぬんだろうか。戦慄よりも、焦燥が走った。

 死ぬ……死ぬ……死ぬ……。

 もう死ぬのならば、僕は、先生の金儲けのために舞台で歌うよりも、他にしなければならないことがあるような気がする。それに、聴衆は、僕の歌を、菓子をつまみながら聴いているのだ。

「車で、運んでやる。着くまで寝ていてもいいが、舞台に出たら、仕事をしろよ」

 先生が、僕を引きずっていく。

 もう、命が長くない。自分でも分かる。

 死ぬんだ。

 竜野先生の道具になって、舞台で歌って、死ぬんだ。

 僕が死んだら、悲しんでくれる? いや、この人は、一粒の涙だって流さない。

 そんな人のために、僕は命を削って歌うのか?

 命をかけて歌って、その代償は、竜野の懐に落ちるのか?

 ……。

「いやだ!」

 叫び、僕は竜野を突き飛ばした。

「居谷?」

 ぐったりしていた僕が、突然動いて、竜野は驚いたようだった。僕は、竜野の腕から逃れた。

「居谷! 待て!」

 竜野が追いかけてくる。僕は、死ぬもの狂いで、走った。

 いやだ。いやだ。竜野の道具になって、終わりたくない。

 舞台で僕を待つ聴衆のことは、浮かばなかった。かわりに浮かんだのは、カチューシャの美少女。

 寂しい顔をして、一人で教会に通う少女。

 友人もなく、家庭に問題を抱えた、孤独な少女。

 ただ一人、僕の歌を中座した少女。

 名前も知らない。話をしたこともない。けれど、引っかかる。彼女と僕が似ているからか。あの子だけが、僕の歌を認めないからか。単純に、可愛いからか。分からない。けれど。

 死ぬんだ。死ぬんだ。なら、最期に、あの子に聴いてほしい。僕の歌を、聴いて欲しい。

 僕は走った。小教会へ。

 走りながら思う。彼女が、中座した理由。

 彼女が席を立った頃、僕は得意の絶頂だった。皆が、僕の歌を褒めてくれた。僕を無視し、踏みつけた連中が、僕を羨ましがった。どんなものだと思った。僕は、僕を羨望する連中を、見下していた。僕は一般人より上なんだと思っていた。特別なんだと。

 天狗になっていた。あの時の僕は、鼻持ちならない奴だった。才能に、自惚れていた。そんな傲慢な歌を、皆が褒めた。

 ただ一人、カチューシャの少女を除いて。

 あの子がどうして席を立ったのか。

 あの時の僕の歌が、彼女の心に響かなかったからだ。

 魂のこもっていない、上辺だけの歌。真摯に耳を傾けている者なら、そんな歌に感動するはずがない。

 僕の歌を褒めた人たち。彼らは、僕の歌を本当には聴いていなかった。真剣に聴いているなら、あんな歌は聴くに耐えないはずだ。彼らは僕に拍手をくれたけれど、僕の歌なんて聴いてはいなかったのだ。

 カチューシャの彼女だけが、僕の歌に真実、耳を傾けてくれていたのだ。僕の聴衆は、あの子だけだったのだ。

 真摯に聴いていたから、彼女は席を立ったのだ。上辺の美声に騙されず、底にある傲慢に気づいたのだ。

 名前も知らない。

 話をしたこともない。

 けれど。

 僕は走った。たった一人の聞き手のために。


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