アメージング・グレイス8
アメージング・グレイス8
記事が載った翌週、小さな教会のミサは賑わっていた。マスコミの力は凄いなと思った。
「君のおかげだ、居谷くん」
神父は、大入りのミサに嬉しそうだった。神父に褒められ、大勢が詰めかけているのを見て、僕は緊張しながらも、嬉しくてたまらなかった。救いのない劣等生の僕が、人に褒められ、認められるなんて。
以前は大嫌いだった自分の声が、僕は誇らしくなった。僕の声で人が集まるなんて、夢みたい。
有頂天になる僕を、青木嬢が冷たい目で突き刺す。
「珍しがられているだけなのに、浮かれちゃってバカみたい。そのうち飽きられるわよ」
吐き捨てるように言われた。そうかもしれない。とっくに声変わりしていておかしくないのに、成長が止まったかのように高い声を保っているから、面白がっているだけなのかもしれない。
それでもいい。好奇でも何でも、僕のことを気にかけてくれるなら。
「いじめられっ子は、退屈凌ぎに振り向いてもらえるだけでも、嬉しいの? おめでたいわね」
青木さんは、鼻で笑って出ていった。
青木さんは、僕のことが嫌いで仕方がないみたいだ。嫌われるのは毎度のことだけれど、やっぱり傷つく。
僕は、愛されることはないのかな……。
僕は首を振った。取り柄がないとばかり思っていた僕にも、長所があったんだ。青木さんの嫌悪くらい、何だ。
神父の説教が終わって、聖歌隊の歌が始まった。拍手を貰う。それだけでも天にも昇る気持ちなのに、さらにすごいことになった。
歌い終わると、音楽会社の人が、名刺を差し出してきたのだ。新聞で僕のことを知り、近くまで寄ったついでに、軽い気持ちで足を向けてみたのだという。けれど僕の歌を聞いて、彼はひやかし半分の気持ちがすっとんだそうだ。
「うちから、CDを出してみないかね」
音楽会社の人は、熱心に勧めた。嘘。驚きのあまり、僕は口もきけなかった。
「居谷の歌を、売り出すんですか。契約は?」
僕よりも、竜野先生のほうが、乗り気なようだった。音楽会社の人が熱心なのは、僕の声がいつ低くなるか分からないので、高音を保っているうちに、売り出したいからのようだ。
僕の歌がCDになる。信じられない。僕は、歌手になるという話を、悪く思わなかった。目立ちたいとか儲けたいというよりも、多くの人に聞いてもらえるというだけで嬉しい。僕のことを、認めてもらえる。
でも、あの養父は、僕が歌手になるなんて、絶対に認めないだろう。
「居谷。児童相談所や弁護士に、かけあってみようか」
音楽会社の人が帰った後、竜野先生は言った。
「おまえの養父は虐待しているし、母親は放置している。そんな両親に、親権はないだろう。弁護士に相談してみよう。私が、おまえの後見人になってやる」
地獄から天国とは、こういうことをいうのだろうか。
僕の境遇は、暗闇から反転、神様の大きな手ですくい上げられたようになった。
まず、あの鬼のような養父から離れられたこと。これだけで、救われた気持ちだ。僕が歌手になるというと、クラスメートの反応が変わった。自分を音楽会社に紹介してほしいと、僕に取り入る連中がぞろぞろ現れた。そのなかには、立原もいた。鬱陶しい話しかけるなとまで言ったくせに。笑ってしまう。
「居谷。なあ。友達だろう? プロデューサーに、紹介してくれよ」
立原が、両手をすりあわせた。音楽業界は、若者の憧れだ。僕は立原のデモテープを三秒聴いて、鼻で笑って突き返した。
いじめられなくなると、僕は、人間というものはなんて勝手なんだろうと呆れた。僕が惨めな劣等生だった頃は、散々虐めておいて、世間が注目するようになるや、手の平を返す。僕が一番救ってほしかった時は、踏みつけたくせに。
僕は、養父と母の家から出た。竜野先生が僕の後見人になってくれた。音楽会社との契約はすべて、竜野先生がやってくれた。僕を聖歌隊に引き入れたのも竜野先生だし、この人は僕の恩人だ。
竜野先生のアパートは、木造の古い建物だった。公務員って、世間が言うほど気楽なものでもないんだなと思った。古い小さなアパートでも、養父と暮らしたあの家に比べれば、天国だ。
僕は、男やもめのむさ苦しい所帯を想像していたけれど、中にはいると、意外と綺麗に片づいていた。僕はちょっと目を丸くした。
「これでも、片づけてくれる人がいるんだよ」
へえ。竜野先生に恋人がいたのか。そんな所に、僕なんかが入り込んで、邪魔じゃないかな。
「いや、いたと過去形で言ったほうがいいかな」
竜野先生は、肩をすくめて言った。どうやら、恋人とは別れたらしい。僕は深くは訊かなかった。竜野先生には悪いけれど、別れたと聞いて僕はホッとした。邪険にされるのは嫌だから。
「じゃあ、家事は任せてください」
僕は胸を叩いた。養父の家で、家事をずっと押しつけられていたのだ。一通りのことは出来る。僕が掃除を始めると、先生は飛び上がった。
「そこは見るな!」
怒鳴られ、僕はびくりとなった。怯えて、先生を見る。先生は大股で近寄ると、書類の束を片づけた。
「この辺は触るな。勝手なことをするな。おまえはただ、歌っていればいいんだ」
怒ったように言われ、僕は身を縮めた。養父に怒鳴られたことを思い出す。怒られると、反射的に恐怖が走る。僕は震えて謝った。
「ごめんなさい、先生。勝手なことはしません。ごめんなさい。怒らないで」
「いや……私も、怒鳴って悪かった。そんなに怯えて、よほど養父に虐められてきたんだな」
先生が、哀れむような視線を投げた。同情されて、僕は少し安心した。先生は殴らない。僕を哀れんでくれる。養父とは違う。
先生は言った。
「同じ場所で二人が暮らすんだから、互いのプライバシーは守らないとな」
「はい……」
「家事はしなくてもいい。この線からこっちには、立ち入らないように」
先生は、部屋を線引きした。僕は、その線から向こうには入らないようにした。先生には、見られたくないものがあるようだ。好奇心よりも、怒られるという怯えのほうが強かった。




