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アメージング・グレイス3

アメージング・グレイス3


 死にたい。死のう。

 そんなことを考えながら、僕は学校の廊下を歩いていた。何人かの生徒が、友達と笑い合いながら、僕の脇を通り過ぎていく。僕は独りぼっちだ。

 一人、彷徨っていると、自分が異邦人のように思えてくる。どこにも、僕の場所はない。誰も、僕のことなんか、心配してくれない。ただ、鬱陶しがられるだけ。

 学校には大勢人が行き交っているけれど、群衆のなかにいて一人だと、かえって強く、孤独を感じる。

 もういい。もういい。死のう。死のう。

 僕は、当て所もなく歩きながら、自殺の決意を固めていた。

 でも、どうやって死のうか。もう、痛いのはたくさんだ。苦しむのは嫌だ。楽に死にたい。

 死ねば、苦しみから解放される。僕がいなくなっても、誰も悲しまないだろうと思うと切なくなるが、生きているほうがよほど切ない。

 学校の屋上から飛び降りようかな……そんなことを考えながら、階段を上がる。

「居谷」

 声をかけられ、反射的に振り向いた。

「どこに行くんだ。次は、私の授業だぞ」

 声をかけてきたのは、音楽教師の竜野先生だった。

「サボる気か? 音楽は受験に役立たないと思って……」

 音楽教師が、僕を睨む。音楽の授業では、関係のない内職をしている生徒や、サボる生徒が多い。竜野先生は、自分の授業が軽視されていることを、怒っているようだった。僕はすくんだ。

「いえ、サボるなんて、そんなことは……」

「だったらさっさと、音楽室に来い」

 僕は、竜野先生に襟を掴まれ、音楽室に引きずられていった。

 僕は、あまり音楽の授業が好きじゃない。受験に役立たないからじゃない。まわりの男子は全員声変わりしているのに、僕一人、甲高いままなんだ。女の子より高いくらいで、歌うと目立つ。だから嫌なんだ。

 身長も伸びないし、なんだか、成長が止まっているみたいだ。最近は頭も痛いし、きっと、ストレスのせいだ。

 順番に起立して、歌を歌わされる。僕の番が回ってきた。高い声が恥ずかしくて、僕は小声でモソモソと歌った。

「聞こえませーん」

 いじめっ子が、クスクス笑いながら、言った。僕はもう少し、大きい声を出した。

「聞こえませーん」

 聞こえているくせに、いじわるく繰り返す。僕が歌い続けていると、いじめっ子はガタガタと、机を鳴らした。僕のか弱い歌声が、騒音にかき消される。

「うるさいぞ」

 竜野先生が注意する。僕は歌い終えて、座ろうとした。

「居谷。聞こえなかったから、もう一度」

 先生が、非情なことを言う。周囲から、失笑が漏れる。僕は歌った。

「聞こえませーん」

 また、いじめっ子がからかうように言う。僕が少し大きい声を出すと、いじめっ子は机を揺らした。

「居谷、もっと大きい声で」

 先生が言う。僕は、教室中に響くように、甲高い声を張り上げなくてはならなくなった。僕は、歌うというよりも、叫んだ。

 なんで、なんで、最後の最後まで、こんな目に遭わなきゃならないんだろう。泣きたくなる。最後まで僕を苦しめないと、気が済まないのか。

 ええい、どうせもう死ぬんだ。どうでもいいや。望み通り、大声を出してやる。これでいいんだろ。

 僕は、やけくそになって、声を張り上げた。

「うわっ」

 そこかしこから、僕の金切り声に小さな悲鳴があがる。クラスメートが耳を押さえる様に、僕は少しだけいい気分になった。僕を苦しめる連中が、わずかでも不愉快になるのは、気分が良かった。死ぬ前に、小さく復讐できたような気がした。僕はますます、声をあげた。

「うるせえよ!」

 さっきまで聞こえませんとからかっていたいじめっ子が、怒鳴る。

「アアアァァアーーー!!!」

 音波兵器のような甲高い絶叫に、皆が耳を塞ぐ。苦しめばいい。僕が苦しんだ、何分の一かでも、苦しめばいいんだ。僕はありったけの声を出した。

 突然、窓ガラスが割れた。僕は驚いて、歌うのをやめた。

「何?」

 耳を押さえていた連中が、きょとんとする。

「誰か、石でも投げ込んだのか?」

 キョトキョトする、クラスメート。石やその他、投げ込まれたようなものは見あたらなかった。そもそも、ここは三階。どうやって、外から物を投げ込むというんだ。

 どうして、いきなりガラスが割れたのか、見当もつかない。不条理な現象に、教室がざわめいた。

「静かに!」

 竜野先生が、生徒たちを一喝した。割れたガラスの片づけで、後は授業どころではなくなった。皆は首を捻りながら、ガラスを拾った。

 チャイムが鳴った。

「後は、先生がやっておく」

 竜野先生は、生徒たちを音楽室から出した。これで、今日の授業はおしまいだ。後は帰るだけとばかり、生徒達は軽い足取りで出ていく。僕も、教室を出ようとすると、先生に呼び止められた。

「居谷。話があるから、おまえは残れ」

 何だというのだろう……。僕は怪訝に思いながら、皆が帰っていくのを見送った。先生と二人きりになり、僕は身構えた。何か、注意されるのだろうか。みっともない大声を出したことを、怒られるのだろうか。気分が重くなり、頭が痛くなった。

 竜野先生は言った。

「居谷。おまえ、すごいボーイソプラノだな」

「え?」

 てっきり怒られるとばかり思っていた僕は、先生の感心したような口調に、驚いて顔をあげた。見ると、先生の表情は、不機嫌なものではなかった。面白いものを見るような、興味深い目で、僕を見ている。なんなのだろう。

「男の子が、こんなに高い声を出すとはな……」

 言われて僕は、恥ずかしくなって俯いた。貧弱、女々しいと言われているような気がする。

「ガラスが割れたのは、おまえの声が原因だな」

 先生が言う。

「どうして、僕の声で、ガラスが割れるんですか」

 声が女みたいなのは認める。でも、ガラスが割れた責任まで負わされるいわれはない。僕は口を尖らせた。

「ソプラノ歌手の中には、その高い声でガラスを割る者もいる」

 先生は、真剣な顔で、音波で窓ガラスやグラスを割ることが出来るのだと言った。音は、空気の振動。高音域の声には、ガラスを砕くほどの力があるらしい。

 じゃあ、やはり、教室の窓ガラスが割れたのは、僕の責任なんだろうか。先生が残れと言ったのは、ガラス代を弁償させるためなのか。

 母には、すでに部費と偽って、三万円も出させている。この上、出費が重なると言ったら、どんな非難を受けるのだろう。泣きたくなった。

「僕……僕、弁償……しなきゃ、いけませんか」

 僕は震える声で言った。甲高い声が裏返って、断末魔のような響きになる。どうしよう。どうしよう。お母さんに怒られる。養父に、殴られる。

「どうした? 顔色が悪いな」

 竜野先生が、僕の顔を覗き込んだ。

 できない。弁償なんて、できない。そんなことになったら、両親に殺される。

 自殺を考えていたのに、僕は恐怖に震えた。

「居谷。私が所属している聖歌隊に、ソプラノパートのメンバーとして、入ってみないか」

 聖歌隊? ソプラノパート?

 突然の誘いに、僕はきょとんとなった。弁償のことで頭が一杯で、先生の提案に、僕は怯えた目を向けた。

「発表会が近いんだが、ソプラノを担当していた女性が、急に風邪をひいてしまったのだ。発表会には、教会の幹部も出席するから、穴をあけるわけにはいかない」

 先生は、ソプラノ音域を出せる子が見つかって良かったと、胸を撫で下ろしていた。僕は答えず、弁償のことばかり考えていた。

「居谷。居谷?」

「あ……はい」

「聖歌隊に入ってくれるな?」

 当然のことを確認するように、先生が言う。僕は戸惑いながらも、我に返った。

「でも、あの、ソプラノって、女性の音域でしょ?」

 女性パートを受け持つなんて、抵抗があった。女々しいし情けないけど、僕は一応男なのだ。

「女装しろとまでは言わないよ。ただ、ソプラノの声で歌ってくれればいいんだ」

 この情けない声で、衆目の前で歌えというのか。

「でも、僕、クリスチャンじゃないし……歌は苦手だし……」

「居谷」

 竜野先生は、苛立った口調で言った。

「だったら、ガラス代を弁償してもらおうか」

 僕は、聖歌隊に入ることになった。


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