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贖罪22

第10節


 孝介は、相変わらず面会謝絶のままだった。私は隣室の小部屋から、マジックミラーで彼の様子を窺った。ひどく痩せた。小さくなったような印象を受ける。目を閉じていて、ベッドに横たわったまま、全然動かない。死体のように見えた。

 胸が痛くなる。

「最近は、眠っていることが多いようです」

 松永が言った。

「目を覚ましていても、意識が希薄なことが多く、話しかけても反応が無かったり鈍かったりします」

 耳を塞ぎたかったが、私はちゃんと聞いた。

「もう一度、手術をしてみようと思います」

 手術? 私はマジックミラーから目を離し、松永のほうを振り返った。

「津村さんはひどく衰弱しています。手術に耐えられないかもしれません」

 死ぬかもしれないというのか。私は立ちつくした。

 死ぬ。死んでしまう。孝介が。

「けれど、放置しておけば、衰弱して死んでいくでしょう。それならば、手術にかけてみたいと思います」

「……」

 目眩を起こしそうになったが、踏みこたえた。戦うと決めたのだ。

「人間の生命は、時としてもろく、時として非常に頑丈です。津村さんは、強い人でしょう? 彼を信じますね?」

 松永が、戦友のように言う。私は頷いた。

「あいつ、体力バカだから……」

 私は、努力して笑顔を作った。


 孝介は、眠ったまま、手術室に運ばれていった。

 私は、ひたすら祈っていた。


 孝介は治療室から病室に帰ってきた。ずっと、眠ったままだ。

 手術が成功かどうかは、分からないという。このまま、目を覚まさずに死んでしまうこともあるかもしれないと言われた。

 私は、会社を休職した。孝介が目を覚ますまで、彼に付き添ってやろうと思ったのだ。

 面会謝絶の札は、もうない。

 生きるか、死ぬか、どちらかしかないのだ。

 私は毎日病院を訪れた。意識のない孝介の手を握る。痩せた手。切なくなる。

 私は、孝介の腕に奇妙な斑点があることに気づいた。

「それは、点滴の注射の痕です」

 松永医師が説明した。私は首を捻った。点滴を施すのに、こんな無数の針痕が出来るほど、注射針を刺すものかしら。

「食事が自力でとれなくなったので、栄養点滴を施していたんですが……彼はその注射針で自傷行為を繰り返していました」

 あの注射嫌いの孝介が、そんなことを。信じられない。

 私は、孝介が自分の腕に何度も針を刺している場面を想像し、悪寒がした。

 どんな妄想にかられて、そんなことをしたのだろう。

「孝介……」

 私は孝介の手を握り、腕をさすった。

「まだ、デートをすっぽかした埋め合わせ、してもらってないんだからね。このまま逃げるなんて、許さないんだから。向こうに行ったら、本当に西崎くんに復讐されるわよ。その時になって、ああ松永先生は無実だったか、なんて後悔しても遅いんだから」

 私は孝介に話しかけた。聞こえていないのは分かっている。でも、話しかけないではいられなかった。話しかければ、彼の命をつなぎ止めておけるような気がした。

 松永は、なぜか私と孝介の様子から目を逸らした。


 今日で、もう十日。孝介は昏睡から醒めない。

 駄目かも知れない。弱気になりかけ、私は自分を叱咤した。私が諦めてどうするの。

 努めてテキパキした足取りで、松永病院へ向かう。

 病室には、松永がいた。彼はじっと、孝介の寝顔を見つめていた。

 私が病室に入ると、松永は視線を孝介から私に移した。じっと、見つめる。

 何だろう。悪い知らせだろうか。私は身構えた。

「もし津村さんがこのまま目を覚まさなかったら……」

 医者の言に、私はぞっとした。

「やめてください! 医者が、何を言うんですか」

 耳を塞ごうとする私の腕を、松永が押さえた。

 嫌だ、聞きたくない!

「もし、津村さんに万一ということがあれば、美佳さん、僕と……」

 え?

 私は暴れるのも忘れて、松永を見返した。

「非常識なのは分かっています。瀕死の患者を横にしてこんなこと、医者として許されません。でも僕は医者であるまえに男として……」

 なに? 何を言ってるんだろう?

「美佳さん。あなたを誘惑したのは、ただ医者としてあなたを励ますためだけでは、無かったんですよ……」

「……」

 私は驚いた。

 なんと松永は、私を好きらしいのだ。

 松永の告白は、恐ろしいことだ。彼は孝介の死を前提とした上で、私に告白しているのだ。医者以前だ。道徳もなにもない。

 なのに私は、松永を非難しなかった。それどころか、彼の誘惑に恋情が混じっていたことを、嬉しく思いさえした!

 ああ、私も常識知らずだ。

 すぐ隣で、恋人が死にかけているというのに。

「う……」

 孝介が、かすかに呻き声をあげた。私と松永は、慌てて離れた。

 孝介が、ゆっくり目を開いた。

 孝介!

 私の心から、松永のことが飛んだ。

「孝介! 孝介! 気がついた? 私が分かる?」

 松永とのことなど無かったかのように、私は孝介に飛びついた。私って、一体どういう女なんだろう。私は、天秤のような心を持った女なのかもしれない。簡単に、左右に揺れる。でも結局、重い分銅のほうに傾くのだ。

「津村さんは、嫉妬深いですね……」

 松永が寂しそうに呟くのが聞こえた。


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