贖罪18
第6節
「え……?」
私は目を見開き、聞き返した。
「息子は自殺しました。いじめが原因で」
母親は繰り返した。
張り手を食らったように感じた。
「自殺……」
「あなたの恋人の、津村孝介に虐められたんです」
母親は責めるように言った。私はしばらく、言葉が返せなかった。
自殺。なんてこと。目眩がした。
「あ、あの……」
私は何とか言葉を絞り出した。
「孝介に、会っていただけませんか? 息子さんのことを、彼に話していただけませんか?」
都合の良い頼みだとは思う。けれど、私は母親に頼まずにはおれなかった。
「お断りします」
母親は即座に言い放った。私はすがった。
「お願いします。息子さんのことは、本当にお気の毒に思います。でも、どうか孝介を」
「嫌です。克巳は、死ぬほど苦しんだんです。津村も、苦しめばいいんです。苦しみ抜けばいいんです。ずっと、ずっと、死ぬまで妄想に苦しめられればいい!」
母親は私を突き飛ばし、鼻先で扉を閉めた。
「お母さん! お母さん!」
私は扉を叩いた。扉は開かなかった。
私は為す術もなく、帰途についた。
西崎克巳は死んでいたのだ。十二年も前に、自殺していたのだ。孝介のせいで。
ああ。
自室に入ると、私は力無く座り込んだ。
孝介のせいで一人の人間が死んでいたことも私を打ちのめしたが、何よりも私を落ち込ませたのは、孝介の妄想を砕くことができないということだった。
西崎克巳の遺族は、絶対に孝介に会ってはくれないだろう。彼に説明してはくれないだろう。西崎少年はもう死んでいて、松永先生とはまったくの別人だということを、どうやって孝介に分からせてやれるのか。
松永先生がいくら言っても、孝介は頭から聞かないだろう。私が孝介に言っても、きっと信用しない。いや、そもそも、孝介のいじめのせいで西崎少年が死んでしまったなど、言えるものか。
ああ。孝介。孝介。どうして、十二年も昔のことを、妄想するの?
何がきっかけだったの?
どうして……。
西崎少年の自殺のことや、孝介の妄想のことなどが、私の頭をぐるぐる回った。
松永病院を訪れると、孝介の妄想はさらに膨らんでいた。
「美佳! あいつに、松永に何かされなかったか?」
憔悴したように言う。なんと彼は、今度は松永先生が私に危害を加えようとしているのではないか、という思いこみを持ったようだ。この一週間、西崎少年の消息探しで、私は一度だって松永先生に会ってもいないというのに。松永先生が私に何かするはずもないのに。
「孝介……」
私は切なくなって、孝介を抱きしめた。
「私は、大丈夫……大丈夫だから……」
私は孝介の頭を撫でた。ああ、この頭には、狂った妄想が詰まっているのだ。
「もう、何も考えないで……松永先生のことも、西崎くんのことも。私のことだけ、考えて」
私は孝介の額に口づけた。彼の頭から妄想を追いだし、私のことだけで満たしてしまいたかった。
西崎少年の自殺のことは、孝介に言えなかった。孝介のせいで、一人の少年が前途を絶っただなんて。そんなことを言ったら、また別の奇妙な妄想にかられるかもしれない。狂い始めている彼を、これ以上追いつめるようなことは出来なかった。
「面会時間は、終了ですよ」
松永先生が、いたわるように声をかけた。私はどこかほっとして、病室を出た。
「小林さん」
松永が私を呼び止めた。
「……何か、あったんですか?」
私の様子が尋常でないので、気になったらしい。私は涙を拭った。
「津村さんのことで、何か……?」
探るように訊ねる松永に、私は頷いた。もう、どうしていいか分からない。私にはこの青年医師しか、頼る人がいなかった。
私は、西崎少年のことを医者に話した。若い医者は、話を聞くと腕組みして考えた。
「なるほど……すると、彼が僕に対してあのような妄想を抱いているのは、こういうわけでしょう。津村さんが入院してきた頃は、ワイドショーなどでいじめ苦で自殺した高校生のことが、取り上げられていました。それで、まず『いじめ』というのが、彼の意識下に刷り込まれた。そして、担当医の僕の名前や風貌から、彼はかつてのいじめっ子、西崎少年のことを思い出した。西崎くんは大人しい子だったそうだし、僕も外見はこの通り青びょうたん。似ていたんでしょう。名前も、偶然同じ『克巳』だった」
私は、黙って医者の解説を聞きながら、ワイドショーのことなどを思い返していた。
「これで妄想の下地が出来、僕が彼を治療のため個室に移したのを、彼は復讐のためだと思った。昔のいじめっ子が、仕返しをしようとしているのだと。だから閉じこめるのだと。こうして、津村さんは僕が西崎克巳だと思いこんでしまったのでしょう……」
ああ、そういうわけだったのか。孝介が十二年も前のいじめの妄想に囚われるようになったのは。私はため息をついた。
「色んな偶然が重なって、あんな妄想が生まれたわけですか……」
私は、やるせなくなった。孝介が西崎くんを虐めなければ。孝介をもっと早く入院させていたら。いじめのニュースがなければ。担当医の名前や風貌が、自殺した少年と似ていなければ。これらが一つでも欠けていれば、孝介は妄想に陥ることがなかったのだ。
「孝介は、本当にひどいことをしたんですね。西崎くん、可哀想です。これは天罰なのかもしれません」
私は悲しくなった。そもそも孝介がいじめなんかしなければ、西崎少年は死なずに済んだし、孝介だってこんな妄想に囚われることもなかった。
「交通事故みたいなものですよ」
松永先生が、励ますように言った。
「巡り合わせが悪かったんです。誰のせいでもない。そう落ち込まないで」
それは、西崎少年を自殺に追い込んだ孝介を、弁護してくれているように聞こえた。




