贖罪17
第5節
「松永は異常だ!」
私が訪れるや、孝介は叫んだ。孝介は、少し痩せたようだった。
「あいつは俺を閉じこめて、復讐しようとしているんだ!」
復讐? 孝介は何を言っているんだろう。
「どうしたの孝介。なにがあったの」
幻覚の次は、どんな妄想を見たの?
「松永は……松永克巳は、俺の中学時代の同級生だったんだ」
孝介が言うには、松永医師は中学の時に虐めていた西崎克巳という少年なのだという。彼は昔のいじめを根に持ち、孝介を監禁し復讐しているというのだ。幻覚に見た手首の傷は、いじめ時代に自殺を図ったものの痕だというのだ。
突拍子もない話だ。どうしてこんな妄想を思いつくのだろう。
そんな子供の頃の復讐を、今になってやり返すなんて。それも、医者と患者という立場を利用して? ……滅茶苦茶だ。
そんな非常識な話はとても信じられない。どうして孝介は、松永医師に執着するのだろう。分からない。その西崎とかいう子と松永先生のどこに、連結する所があるというのか。名前が同じ「克巳」というだけで、ここまで妄想を膨らませたのだろうか。
「助けてくれ、美佳。松永は異常者だ。復讐鬼だ」
孝介は、自分の妄想を微塵も疑っていない様子だった。松永に不法に監禁されている、助け出してくれと訴える。
「落ち着いて、孝介」
私は彼をなだめた。
「脱走なんて、すぐには無理よ。相手は医者だし、あなたは患者だし。きっと、私が助け出すから、大人しくしていて。ね」
私は、こう言うのが精一杯だった。とても、孝介の妄想をうち砕くなんて、出来そうになかった。
ああ、どうしたらいいんだろう。
病室を出て、私は立ちつくした。
私と入れ替わりに、松永医師が孝介の病室に入っていった。孝介が怒鳴っているのが聞こえた。私は居たたまれなくなって、そこを離れた。
私は自分の家に戻り、どうしたらいいんだろうどうしたらいいんだろうと、グルグルグルグル考えていた。この調子で行くと、孝介は狂人になってしまうのではないか。そう思うと怖かった。頭や心の病気は、普通の怪我や体の病気とは違って、簡単には治らないようだ。
ああ、こんなことなら、もっと早く病院に引きずっていけばよかった。後悔。
「クヨクヨしてる場合じゃないわ」
私は顔をあげた。孝介のために私が出来ることを考えなくては。
どうすれば、孝介の妄想を砕けるだろう? 彼を正常に立ち返らせることが出来るだろう?
私は考えた。
「そうだわ」
私は、単純明快、じつに分かりやすい方法を思いついた。どうして早く思いつかなかったのだろう。孝介の妄想を砕くなんて、簡単ではないか。
「本物の西崎克巳を、孝介の前に連れてくればいいのよ。そうすれば、松永先生と西崎少年は別人だと分かり、松永先生が自分に復讐しているなんて馬鹿げた妄想、消えるに違いないわ」
私は孝介の中学の同窓会に顔を出し、西崎少年のことを訊いて回った。すると、西崎克巳という少年は実在していて、孝介が中学時代に西崎少年をいじめていたのも事実だったという。良かった。私は、西崎少年の存在が孝介の妄想ではなかったことに、胸を撫で下ろした。もし西崎少年が孝介の頭の中だけで作り出された人間だとしたら、もう彼の妄想を砕くのは不可能だからだ。
西崎克巳という青年は、同窓会に出席していなかった。西崎は引っ越していったのだという。十二年も昔の同級生のことであり、西崎少年はあまり友人もおらず大人しい子だったので、かつての同級生たちは、誰も彼の引っ越し先を知らなかった。
けれど、中学当時の西崎少年の住所は分かった。私は、引っ越す前の西崎少年の住所に出向いた。そしてその近所で、西崎くんのことを聞き込んだ。
西崎少年のお母さんと仲の良かった奥さんがいて、西崎一家が引っ越した後、しばらく文通していたという。私は勢い込んだ。けれど昔のことで、手紙は紛失してしまっていた。
「詳しい住所はもう分からないけれど、たしか、××市のほうに引っ越していったわ」
私は××市に飛んだ。
私は市役所に出向き、住民台帳から「西崎」という名前を片っ端にピックアップした。××市に、西崎という人は五十人いた。私は一軒一軒、回った。とても手間のかかる作業だった。もっとうまい方法があるのだろうが、探偵でもない私は、こうした下手な調べ方しかできなかった。
会社を休み、ひたすら西崎さんを訊ね回る。期待をもって一件の西崎を訪れ、落胆でもってそこを出る。それの繰り返し。でも、五十軒全部回ってやるんだ。だってそれしか、孝介を救う道が無いんだもの。
さて、もう三十軒も回った所だろうか。私はくたくたになりながら、新しい西崎さん家を訪れた。
ベルを鳴らすと、ほっそりした年輩の女性が現れた。ちょっと、松永医師に似ている。私は胸が高鳴った。
「突然お邪魔して、すみません。私、小林美佳と申します。克巳さんは、ご在宅でしょうか?」
すると、婦人の顔色がさっと変わった。
「? あのう……?」
「あなたは、息子の何ですか? 今更、何なんですか?」
やった! 私は飛び上がりそうになった。私はついに、ビンゴを引き当てたのだ!
この年輩女性は、克巳の母親に違いない。若い女が息子を訊ねてきたので、警戒しているのだろう。私は事情を説明した。
「そういうわけでして、どうか息子さんにご連絡いただきたいんです」
私は頼んだ。母親は言った。
「克巳は、十二年前に自殺しました」




