贖罪12
第12節
「先生。おはようございます」
俺は医者に挨拶した。
「……おはよう」
しばらく間を置いて、医者が挨拶を返した。どうしたんだろう。
「先生。お疲れなんですか?」
患者が医者の心配をするのも変だなと思いながら、俺は医者に声をかけた。医者も滑稽だったのか、ふっと笑った。
「大丈夫だよ。君はどう?」
「頭痛がします」
俺は正直に言った。
「あと、物忘れがひどくなったようです。失礼なんですが、先生のお名前も出てこないんですよ」
医者は気を悪くしたふうではなかった。俺は医者のネームプレートを見た。松永克巳。そうそう、松永先生だ。
「先生のお名前も克巳とおっしゃるんですか。奇遇ですねえ。僕の知り合いにも、克巳という人がいたんですよ。西崎克巳といって……」
「へえ?」
松永医師は、興味を持ったように目を開いた。
「アアアアアアアア!」
凄まじいような悲鳴が響いた。どこかの患者が、喚いているようだった。突然の悲鳴に、俺も松永医師も一瞬びくりと固まってしまった。
「ああ、先生。何だか大変なことになっているようですよ。僕は後回しでいいから、あの患者を診てあげてください」
「津村くん?」
医者は驚いたように俺を見た。患者が医者に指図するなんて、さしでがましかっただろうか。しかし、あの絶叫はただ事ではないようだ。
「あれはきっと、凄く苦しいんだと思いますよ。僕も頭が痛いけれど、痛いからこそ、放っておけない」
「……」
医者は、宇宙人にでも遭遇したような顔で、俺を見つめた。
「先生?」
「あ……。いや、心配しなくてもいいんだ。ちゃんと担当の医師がいるから」
「そうですか」
他人事ながら、俺は胸を撫で下ろした。
「津村が病人の心配をするなんて……」
松永医師が小さく呟いた。
「どうかなさいましたか、先生?」
医者は我に返ったように、顔をあげた。「なんでもない」と慌てたように首を振る。
しばし沈黙が流れた。俺は頭痛に顔をしかめた。
「痛む?」
医者に問われ、俺は頷いた。
「痛いのは辛いですね……。僕は、脳膿瘍なんて病気になるまで、痛みというものがこんなに嫌なものとは知りませんでした。今までは他人が泣いたり叫んだりするのを蔑んでいたけれど、僕も痛みを持つようになってから、そんな気持ちはなくなりました。まったく痛いのって、自分がなってみないと分からないものなんですねえ」
「……」
「あ、でも先生はお医者さんだから、痛み苦しみなんて、僕なんかに言われるまでもないですよね」
俺は、釈迦に説法をしたように恥ずかしくなった。
医者は、俯いた。どうしたのだろう? やはり具合が悪いのだろうか。医者の不養生というやつか。医者の肩は震えていた。
「先生?」
「津村くん」
医者が顔をあげた。俺は驚いた。なんと松永医師は何条もの涙を流していたのだ。
「大丈夫ですか先生。どうしたんです?」
医者が泣くとは。俺は狼狽えてしまった。
「津村。君にも、やっと分かったんだね……」
医者が、泣きながら言う。
「痛いのは辛いだろう。本当に苦しいだろう。分かっただろ。ああ、やっと、やっと、君にも痛みが届いたんだね……」




