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贖罪10

第10節


 橙色の空。

 夕焼けだ。

 長い影法師。

 ここはどこだろう?

 校舎が現れた。

 下校する生徒。部活にいそしむ生徒。グラウンドに、少年少女たちの無数の影法師が、交錯する。

 なんとも、ノスタルジックな気分になる。懐かしいなあ……。

「ほら! 西崎! 拾ってこいよ!」

 少年の声が響く。俺は振り返った。

 グラウンドの片隅。体格の良い少年が、上履きを放り投げていた。それを、痩せた少年が追いかけて行く。

 何やってるんだろう?

 痩せた少年が上履きを拾おうとすると、大柄な少年が怒鳴った。

「バァーカ、口で拾え!」

 痩せた少年が涙をためて大柄な少年に振り向くと、大柄な少年は言った。

「なんだよ。殴られたいのか?」

 よく見ると、痩せた少年の頬は腫れ、腕や足には痣があった。

 痩せた少年は、いじめっ子に恫喝され、犬のように上履きを口で拾った。元は白かったらしい上履きは灰色に汚れていて、臭そうだった。

 痩せた少年が汚い上履きをくわえて戻ってくると、大柄な少年はそれをまた放り投げた。痩せた少年は、上履きを追いかけていった。口にくわえて戻ってくる。また放り投げる。

 痩せた少年の目から、ボロボロボロボロ、涙が流れていった。大柄な少年は、大声で笑った。

 上履き投げは、際限なく続けられた。

 グラウンドに、いじめっ子の笑い声が響く。いじめられっ子の顔は、涙と涎でぐちゃぐちゃになっていた。

 いつまで、いつまで続ける気なんだろう?

 誰かが止めなければ、この残酷な遊びは終わりそうになかった。

「やめろ!」

 俺は、大柄な少年……中学時代の自分に向かって、叫んでいた。


「やめろ!」

 俺は、自分の叫び声で目が覚めた。白い天井が目に入る。病室。

 俺はいつの間にか、ベッドに戻されていた。松永はいない。

 頭が痛い。

 夢の内容をぼんやり思い出す。

 今度は、松永の奴、俺に靴拾いをさせるかもしれない。

 あれと同じことをやらされるのか……。目眩がした。胃が重くなる。

 西崎少年の泣き顔を思い出す。松永は俺を恨んでいる。恨んで恨んで恨み抜いている。なんてことだ。あいつは、俺に受けた仕打ちを全部返すまで、復讐をやめないだろう。

 他に俺はあいつにどんな事をしたっけ? 思い出そうとすると、頭痛がひどくなった。俺は喘いだ。

 嫌だ。思い出したくない。

 美佳。

 救いを求めるように、彼女のことを想う。

 美佳は、いつ来てくれるんだろう。もうずいぶん長いこと、彼女に逢っていないような気がする。

 今日は何曜日? 分からない。頭に、靄がかかったようになっている。

 どうして美佳は来てくれないのか。何かあったような気がするが、思い出せない。

「美佳。助けて……」

 俺は小さく呟いた。


 松永が入ってきて、俺はすくみ上がりそうになった。ゲロ飯を床に置く。俺は手をつけなかった。意地のためではない。耐え難い体の不調のためだ。吐き気がする。何か口にしたら、おそらく吐いてしまうだろう。

 松永は俺の様子をしばらく眺めていた。

「衰弱してきたみたいだね」

 松永が言う。俺は何も言わず、松永を見返した。

 松永克巳。西崎が成長した男。昔俺が虐めた男。

「食べないのか」

 松永が言う。俺は食べなかった。松永は薄く笑って、食事を下げた。

 松永がいなくなって、俺は息をついた。


 いつの間に眠っていたのだろう。目を開くと、真っ暗になっていた。

 夜の病院か……不気味だ。

 ん? こんなことが前にもあったような気がする。

 そうだ、夜中にふと目を覚まして振り返ると、あの松永とかいう気味悪い医者が俺を見下ろしていたっけ。

 まさか……。俺はそろりと寝返りを打ってみた。

 誰もいなかった。

 良かった。松永はいない。

 それにしても、あの医者に手術を任せて大丈夫なんだろうか。俺は不安になって自分の頭に手をやった。

 おや?

 俺は驚いた。頭に、包帯でも巻いてあるような布の手応えがあった。

 手術はまだなのに、どうして頭に包帯が巻いてあるんだろう?

 あれ?

 混乱。

 手術はもう終わったんだっけ?

 ……。

 ???


「また、食べないのか」

 俺がゲロ飯に手をつけないので、松永が苛立ったように言った。

「意地を張っているつもりか?」

 意地より何より、気分が悪い。まともな飯でさえ食えそうにないのに、ゲロ飯なんか喉を通るわけがない。

 松永が俺の額に手をやった。手首の傷が眼前に迫る。なぜか心臓に痛痒が走った。俺は目を伏せた。

 松永は俺の額から手を離し、手つかずのゲロ飯を見下ろし、考え込むように腕を組んだ。次はどんな復讐をしようか、考えているのだろうか。松永は手つかずのゲロ飯を拾うと、出ていった。


 部屋が明るい。今は昼なんだな。さっきまで夜だと思っていたのに。

 腹が減ったな……。でも、松永が出すゲロ飯は、もうとても喉を通りそうにない。

 なんであいつは、毎度毎度ゲロ飯を出すんだろう?

 どうして?

 何か理由があったような気がする。何年も昔に、陰湿な理由があったような。

 あの医者は、なんで俺を恨んでいるんだろう。

 思い出せない。

 どうでもいい。頭が痛いんだ。


 若い医者が入ってきた。ヒョロンと細長い感じの男だ。どこかで見たような気がするな。

 医者は、点滴注射をぶら下げていた。

 医者は注射を刺すため、俺の腕を取った。注射はキライだ……俺は身構えた。

「細くなったねえ」

 医者が俺の腕を眺めて言う。

「先生。最近、食欲がないんです」

 俺は医者に言った。医者は、ちょっと目を丸くして俺を見た。

「頭も痛いし、胃もシクシク痛むし。これ、本当にただの風邪なんでしょうか?」

「……」

 医者は困ったような目で俺を見た。やはり、風邪ではないのか。俺は不安になった。

「先生、教えてください。僕の病気は、何ですか?」

 俺は思い切って訊ねた。

「……脳膿瘍だよ」医者は言った。

「脳膿瘍? あ、知ってます知ってます。頭に膿がたまる病気でしょう?」

 俺は風邪ではなく、そんな恐ろしい病気だったのか。それにしてもなんで俺は、脳膿瘍なんて病気を知っているのだろう。

「たしか、手術で治るんでしたよね。ああ良かった」

 俺は胸を撫で下ろした。手術なんてはじめてだから不安だけれど……あ。

 そうだ。俺はもう、手術を受けたのではなかったか? 頭に手をやる。包帯の感触。やっぱり。

 チクリ。針の感触に、俺は我に返った。医者が点滴の針を刺していた。やはり、注射って嫌なものだな。まあ、一度刺されてしまえば、もうどうってことはないのだけれど。

 すると医者は、針を抜いた。うまく血管に入らなかったのだろうか。ヤブ医者め。一発で当てろよな。

 チクリ。俺は顔をしかめてやった。医者はまた針を抜いた。おいおい、何回失敗したら気が済むんだ。ヤブ野郎。チクリ。よし、今度こそ入っただろう。と思ったら、また針を抜きやがった。

 頭にきて、俺は医者を睨んだ。俺は驚いた。

 医者が、薄く笑っていた。

 こいつ、わざとなんだ。怒りと戦慄が、同時に立ち上がった。なんて医者だ。

「この……」

 言いかけて、俺は口をつぐんだ。頭の中が、一瞬白くなった。思い出した。

「おまえ、西崎じゃないか」

 そうだ、この医者は西崎だ。

 西崎。

 中学の時の同級生だ。弱っちくて女々しい奴だった。俺はこいつを虐めて……。

 ……。

 なんだろう?

 一瞬、悲しくなった。

「……そうだよ。僕は西崎だよ」

 医者が言った。

「久しぶりだな。おまえ、医者になったのか」

「うん」

「あの泣き虫毛虫の西崎がねえ……」

 俺は感心して、西崎を見た。おや、名札が松永になっている。

 チクリ。西崎がまた針を刺した。もしかしてこいつ、復讐のためにわざと何度も刺しているのか?

「中学の時。僕が君の前の席になった時、君はしょっちゅう、僕の背を先の尖った鉛筆で突いてきたよね」

 やっぱりこいつ、復讐してるんだ!

 チクリ。

「やめてくれよ」

「僕もやめてって言ったじゃない。君はやめなかったじゃない」

 俺が腕を引っ込めようとすると、松永は強く掴んだ。

 チクリ。

 痛い。

 そういや、中学の時の西崎も痛いと言っていた。あいつ、泣いてたっけ。

 ……。

 チクリ。

 松永が刺す。俺は腕をそのままにしておいた。

 痛い。

 チクリ。

 西崎の痛みも、こんな感じだったのかな。

 チクリ。

 痛い……。


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