贖罪1
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贖罪
第1章 津村孝介
第1節
最近、どうも調子が良くない。健康が取り柄であったのに、このところ熱っぽく、頭痛がする。風邪か、疲れがたまっているのだろう。
寝れば治るだろうと高をくくり、俺は恋人とのデートをキャンセルし、休日を安静に過ごすことにした。
恋人の美佳が看病に来てくれないかな、と少し期待したが、彼女が訪れる気配はなかった。やや肩落ちであるが、仕方がない。
具合が悪いが退屈なので、俺はテレビをつけてみた。昼間なので、ワイドショーしかやっていない。どこかの高校生が、いじめを苦に自殺をしたなどと、暗いニュースを扇情的に報道している。どのチャンネルを回してみても、こればかり。見ていてあまり気分の良いものではなかったので、俺はテレビを消した。
死ぬほど辛いなら、転校でも何でもすりゃいいのに、馬鹿な奴……と頭痛の隅でぼんやり思った。まあ、この程度で死ぬような奴は、転校したとしてもどうせ長生きできないんだろう。
休日を寝て潰したものの、体調はあまり良くならなかった。だが、月曜日は会社に行かなくてはならない。頭が痛いが、仕事が出来ないというほどではない。
出社してみると、調子が悪そうなのは俺だけではなかった。顔色の悪い連中が、何人かいる。俺の上司も、普段のように反り返る元気がなかった。
辛いのは俺だけじゃないんだなあと、俺は妙な安心感を持ってしまった。俺だけが不調だと、何だか自分が脆弱になったような気になってしまう。でも、そうじゃなかった。
風邪が流行っているそうだ。
すると俺の不調も、風邪なのだろう。ならば、たいしたことはあるまい。
俺は体調のことは気にしないようにして、仕事をした。元気な時のようにはいかなかったが、支障はなかった。
俺の風邪は頑固なようであった。一週間経っても、治らない。また、美佳とのデートをキャンセルしなくてはならない羽目になりそうだ。
この一週間、有給を取ろうかな、と迷うことが何度かあったが、病欠はなるべくしたくない。自己管理が出来てないと思われそうだから。俺は体を引きずるようにして、出勤した。
「津村さんのは、風邪とはちょっと違うみたいね」
職場の女の子が話しかけてきた。彼女も風邪をひいているらしく、マスクをしている。
「僕のは皆のような風邪じゃない?」
「職場で流行っているのは、喉や鼻にくる風邪でしょう。見たところ津村さんは、鼻、喉は大丈夫そうだし……」
女の子は、羨ましそうに俺を見た。女性として、鼻水を垂らすのは嫌なのだろう。しかし、羨ましがられても困ってしまう。
頭が痛いのも結構辛いのだ。できることなら、彼女の鼻水と俺の頭痛を交換してもらいたいくらいだ。
まあ、こんなことを言っていても、仕方がない。
しかし俺の症状が職場の風邪と違うのなら、俺は風邪ではないのか、違う種類の風邪なのかもしれない。金曜日の帰途、そんなことをとりとめなく考えた。
休日、また俺が寝込んでいると、美佳が今度は見舞いに来てくれた。
小林美佳。スレンダーながらも出るべき所は出ているという、素敵な美人である。ちょっと気が強い所があるが、そこも気に入っている。ちなみに、一番気に入っているのは、彼女の悩ましく芸術的な脚なのだが、無論それを本人に言ったことはない。
「大丈夫?」
美佳が心配そうに訊ねてくる。なんだか、彼女に久しぶりに逢ったように思える。俺は少し甘えたくなった。
「うー……辛い……」
などと苦しそうに言って、彼女にもたれかかった。風邪をうつしちゃうかな、という思いが一瞬脳裏を過ぎったが、甘えたい気持ちのほうが大きかった。
「本当に辛そうね。先週もこうだったの?」
いたわるように肩を抱く。子供のように頭を撫でる。情けないのかもしれないが、ちょっと嬉しくもなる。男が女に甘えられる機会なんてそうないのだから、たまには病気になってみるのも悪くない……。
「一度、病院に行ったほうがいいんじゃない?」
美佳の言葉に、俺は我に返った。もたれていた体を起こす。
「病院に行くほどじゃないよ」
「でも」
「大丈夫大丈夫。寝てれば治るさ」
たいていの人がそうだと思うが、俺も病院が好きではない。面倒くさいのだ。注射もキライだ。余程悪くならないと、医者にかかろうとは思わない。待たされることを考えただけで、憂鬱になる。
それに、自分の頑健さにも自信がある。少々頭が痛いくらいなら、きっと自力で治せるであろう。まだ若いのだし。
熱が、三十九度を振り切った。これでは、出勤しても、仕事にならない……。仕方ない。休みを取ることにした。職場の足手まといになるくらいなら、休んだほうがまだ良い。
会社の連中はせいぜい鼻を垂らしているくらいなのに、なんで俺だけこんな目に……。
吐いた。どうも、尋常な風邪ではない。
「病院に行きましょう。ね?」
美佳が心配そうに言う。
しょうがない。どうも自力で治りそうにないし、注射の一本でも打ってもらわねばならないようだ。
注射……嫌だなあ……。
俺は美佳に担がれるようにして、地元の病院に向かった。
医者は俺を診察し、首を捻った。どうも、風邪ではないらしいと言う。風邪でなければ何だというのだ。
「頭の病気かと思われます。うちには神経科はないので、詳しい診断はできません」
頭の病気? 神経科? 俺は息を飲んだ。頭痛がひどくなったような気がした。
「他の病院を紹介してあげましょう」
医者は紹介状を書いてくれた。
頭の病気とは……。不安になる。大丈夫なんだろうか、俺は。
俺は、すがるような思いで、紹介してもらった松永病院を訪れた。地元から少し離れている。やや不便な、奥まった場所にある病院だった。
松永病院は、神経科や脳外科や精神科といった分野を扱う病院だった。頭や心の病気の専門らしい。だから、奥まった場所にあるのだろうか。こんな所を紹介されるなんて、不安になるやら頼もしいやら……。
病院の、白く巨大な建物と、格子のついた窓に、俺は嫌ぁな感じを抱いた。なんだか、隔離施設みたいだ。いや、実際、ここは頭のおかしい奴を閉じこめる、隔離施設なのだろう。
待合室で順番を待つ間、なんとも心細かった。俺のまわりで同じように順番を待っている人たち、彼らも頭や心を病んでいるのだろうか。中には付添人がいる挙動不審の患者もいたりして、気味が悪い。俺もこんな連中の仲間になるのだろうか。冗談じゃない。
どうか、俺の病気が深刻なものではありませんように……。心の中で祈った。
順番が来て診察室に入ってみると、若い医者が俺を待っていた。年は俺とそう変わらないのではないだろうか。座っているのではっきりとは分からないが、長身そうな痩せた男で、のっぺりした顔をしている。まあ二枚目の部類に入るのかも知れないが、なぜかあまり良い印象を受けない。なぜ医者の外見を描写するかというと、彼をどこかで見たような気がしたからだ。
馬鹿な。俺はこんな病院に来たのは初めてだ。この医者とは初対面のはずである。
頭の病気のせいで、ありもしない記憶の断片でも勝手に見ているのかもしれない。俺はさらに嫌な気分になった。
俺は医者の名札を一瞥した。松永克巳。ということは、彼はこの松永病院の院長の息子か何かだろうか。
俺は、松永医師が俺の顔をじいっと見ていることに気づいた。何なのだろう。まさか俺が松永医師に見覚えがあるような気がしたように、相手も俺に見覚えがあるとでも?
いやいや、そんなはずはない。今までの俺の健康な人生に、神経科の医者と知り合う機会などなかったはずだ。医者として、患者を観察しているだけであろう。
「津村……津村孝介?」
医者は、問診票を見て、呟いた。いかにも俺は津村孝介だが、なぜ初対面の医者に呼び捨てにされねばならないのだ。
「先生。どうかしましたか?」
俺は、若干憮然として、医者に問うた。医者は我に返ったように、顔をあげた。
「津村さんですね。今日は、どうされました?」
呼び捨てにしたことなど無かったかのように、柔和に訊ねる。腑に落ちないが、問いつめるのはやめた。俺は患者なのだ。
俺が症状を訴えると、松永医師はそれでは検査をしましょうと言って、俺を検査室に連れていった。
様々な検査を受けた後、検査結果が出るのにしばらくかかるので、明日また来いと言われた。俺は痛む頭を押さえ、一旦帰途についた。
自室に戻った頃には、松永医師への不審は忘れていた。
翌日。松永医師は、俺の検査結果から、次のように診断を下した。
「脳膿瘍ですね」
平成だったか、ずっと昔に無料公開していた作品。「贖罪」と「アメージング・グレイス」はもともと別作品でしたが、後年になって「少年」を書き足し、2作品が融合。