2話 転生事変1
――ここは、どこだ……。
俺は薄い意識の中、冷たく真っ暗な空間にいる。何も見えない、物音も聞こえない、寂しい空間に。
魔法陣に体を引き摺り込まれ、どれほどの時がたったのだろう。
1秒か、1日か、1年か……。
「――…………ま。…………様っ」
日本での死を迎え、異世界へと転生するため、天界を後にしたはずだが。エキセントリックで憎たらしい女神、エリシアの見送りを受けて以来、真っ暗な空間を彷徨っていた。
あんな勘違い不審顔、忘れたくても忘れられない。
「――…………様。…………ース様っ」
なんだろう……?
薄い意識の中、微かに聞こえてくる謎の声。加えて、左手を握られる感触。
「――…………ース様っ」
似たような展開が、天界でもあったような。また俺の意識を呼び覚ますように、語りかけられている気がする。
「――ロース様っ」
今度は、ハッキリと聞こえた。だんだんと意識が正常に戻ってくる。
エリシアの雰囲気とは異なる、思いやりと心配を含んだ、可愛らしい少女のような声色。
俺に、呼びかけているのか……?
「……んんっ。んんん……」
俺は寝起きまがいな声を出し、声帯を震わせてみた。どうやら自分の意思と体は、ちゃんと連携できているようだ。
俺はゆっくりと目を開けてみる。
「高い……天井だな……」
視界に入ったのは、薄く差し込んでくる光と、見知らぬ高い天井。暗闇にいたせいか、弱い光でも眩しさを感じる。
真っ先に視界が捉えた天井。そして体の背面に伝わる、柔らかい質感。俺は今、ベットのような寝具に、仰向けで寝かされているのだろう。
俺は気だるさを感じる体に力を加え、上半身を起こした。
「ロッロッロッ、ロース様っ……」
握られた左手側から、再び少女の声が聞こえてきた。
少し震えた声の主を確かめるべく、俺は左を向く。
「君は……いったい……」
「ロース様が、お目覚めにっ……!」
床に膝をつき、今にも涙が溢れそうなウルウルの瞳で、俺と真っ直ぐ目を合わせる可愛らしい少女。
黒みがかった赤髪に、若々しい小麦色の肌。俺と同じくらいの歳に見えるが、少し幼さを含んでいる顔立ち。そして宝石のように輝く、黄色と紫のオッドアイ。
「ロース様のお目覚めを、心よりお待ちしてました。嬉しさのあまり、涙が……じゅるりっ……」
感極まったのか、俺の左手をギュッと握り直した少女。まるでヨダレのような表現を口にし、溢れそうな涙を片手で拭いとった。
嬉しすぎて、濃厚な涙でも流すと言いたいのだろうか……?
それより、先ほどから俺の目を見て、ロース様と連呼しているが。俺はロースと呼ばれる勇者の体に、転生したという事か。
「勇者ロース……。ちょっとお肉みたいな名前だが、良いじゃないか」
「…………え?」
俺の独り言に、少女はキョトンと表情を変える。しかし俺は構う事なく、少女に軽い笑顔を返した。
この体がどうして眠っていたかは知らないが、せっかくの勇者デビューだ。ここはカッコよく、目覚めの挨拶を。
俺は握られた左手を優しく解き、ベットを降りた。
少女の前に堂々と立ち上がり、両手を大きく広げ。
「俺は、勇者ロース! 世界を救う勇者として、今日ここに立ち上がる!
この身をもって、悪と戦う事を誓おう!」
決まった。勇者に相応しいスタートだ。少し恥ずかしい気もするが、異世界ベターな挨拶をしておけば、間違いはないだろう。
両手を広げ、俺は慢心に浸る。だが……。
「…………………………」
視線を下げると、拍子抜けした様子で静かに座り込む少女の姿が。
なんだろう、この居た堪れない感じ。
まるで転校初日の自己紹介で、クラスメイトからドン引きされる転校生の気分だ。
「ど、どうしたの? 俺、何かおかしい事……」
「ロース様、不謹慎です!」
俺の発言を遮り、急に声を張り上げた少女。
「不謹……慎……?」
「そうですよ! ロース様のパカッ!
やっとお目覚めになったと思えば、ご自身を勇者などと……!
魔王たるお方が、勇者などとおっしゃらないでください! こんなご冗談、笑えません!」
俺は体が固まった。
これは、なんの冗談だ?
俺が魔王って……。
寝起きドッキリ。いやこの場合だと、転生ドッキリか?
笑えないのは、俺の方なんだが……!
俺は広げた両手を胸の前に引き戻し、恐る恐る指先を見てみた。
「………………どうなってんだよ、エリシアさん。なんだよ、この爪っ……!」