1話 天界展開4
「それ、なんのつもりです?」
「ふふっ。なんの事でしょう?」
記憶を辿り終えた俺の前に、洗濯バサミで鼻を摘んだエリシアが立っていた。
「鼻につけている、それですよ。洗濯バサミ」
「あぁ、これの事でしたか。深い意味なんてありませんよ。だけど、勘違いしないでくださいね?
決して悪臭対策とか、ワキガ攻略のためとかではないですよ。たまたま、つけたんです。こう……気分的な?」
白々しくも、平気な顔で大嘘をぶち撒ける、美しい女神。
たまたまなら、ピンポイントで悪臭やワキガなんてワード出すなよ。死を迎えた直後なのに、不愉快だな……!
「一応、今見た記憶のおかげで、俺が死を迎えた事も、ここが天界でエリシアさんが女神だという事も、信じられました。
悪意を感じるイジリが、かなり余計でしたが……」
「あははっ。女神ジョークよ、女神ジョークッ! マジメな性格もいいけど、少しは冗談も聞き入れないとね」
エリシアは愉快に笑いながら、鼻につけていた洗濯バサミを取り外した。そして自ら話題を切り替えるように、両手をひとつパンッと叩き。
「さてっ! 状況を理解してもらえたところで、さっさと本題に入りましょう。流崎亮さんの後に、案内待ちの迷える魂たちが、たくさん控えている事だし。
今朝、水揚げされた大量のシラス3億匹が、あなたのために案内を待ってくれているんだらねっ」
「それ……。水揚げ時刻からして、俺よりシラスの方が早く死んでますよね?
3億匹って数に圧倒されて、エリシアさんがシラスの案内を後回しにしたんじゃ……」
俺の勘付きに、エリシアは表情を変えぬまま、ぎこちなく目を逸らした。
どうやら、図星だったらしい。目の逸らし方がまるで、テストのカンニング中に、先生と目が合った生徒のようだった。
「確信犯の反応ですね……。それで俺は天国と地獄、どちらに送られるんです? 展開的に、本題って今後の話ですよね?」
「私は閻魔かっ! あんな、死者をマルバツ選考しかしない、ジャッジメント・デーモンと一緒にしないでくれる?
もっと良い選択があるのよ!」
体勢を前のめりに、美しく整った顔をグイグイと近づけてくるエリシア。
「ジャッジメント・デーモンって。なんて物騒な二つ名なんだ。
それより……。ちょっ、近いですって! ハニートラップでも仕掛けるつもりですか?
天国でも地獄でもない選択って、いったい……!」
「ふふっ。あなたはまだ若い。頭も悪くない。良心も合格点。見たところ、魂にまだ可能性を残しているわ。
そして、終着点を早々と迎えるには惜しい若者の前に、女神がひとり。この意味わかる?
もう行き先は決まったも同然よ」
俺の額に、一筋の汗が垂れる。至近距離のエリシアに加え、告げられた見当もつかない行き先。
重なる困惑に、俺は緊張を隠しきれなかった。
「さっぱり……。天界の清掃員でしょうか……?」
「勘の鈍い死者ね。異世界に転生してもらうに決まっているじゃない」
俺はギョッと目を見開いた。
「異世界転生!? まさに、ゲームやアニメのような展開だけど、本当に異世界なんて存在するんですか!?」
「当然あるわよ。それも沢山ね!
あるひとつの世界を、流崎亮さんに救ってもらいたいの!」
エリシアは前のめりのまま首を傾け、この上ない柔らかな笑みを向けてくる。
それは紛れもなく、美しい女神の微笑みだった。
「異世界を救うって、急に言われても……。俺が勇者になれるかどうか……」
「ふふっ。ちょうど、異種族間でゴチャゴチャと争っている世界があるのよ。下界の小競り合いっていうのかしら。
種族の存亡をかけて小競り合うみみっちい世界に、あなたを救いの御仁として転生させたいって寸法なの。ねぇ、その下世話な世界を救ってみない?」
美しい微笑みを台無しにする、見下し上等な女神の発言。
誰をも魅了する笑顔が、だんだんと営業スマイルに見えてきた……。
「存亡をかけているのに、小競り合いって。大戦じゃないですか。下界に住む人たちの事を、蔑みすぎでしょ」
「だって私、女神なのよ。天女的存在が、下界を見上げられると思う?」
さも当然のように反論するエリシア。物理ではなく、心理の話をしたつもりなのだが……。
しかし、俺はある単語にピンときた。今こそ、洗濯バサミの報復を!
「天女って、今時そんな古い言葉は使わないですよ。エリシアさん、いったい何歳ですか。女神なら、もう2万歳くらい?
あははっ! 天女だから、年齢を隠してんにょ? なーんて。ジョークですよ、死者ジョーク! あははっ!」
先ほど受けた女神ジョークの仕返しに、俺は躊躇いなく冗談を口にした。
ジョークのテンションに合わせ、自然と口から笑い声が溢れ出す。
そんな最中、油断しきっていた俺のアゴに、エリシアは2本の指を静かに添えた。
間髪入れず、手慣れた力加減で俺のアゴをクイッと持ち上げる。
「あなた、魂消滅させるわよ?
何を軽々しく、女神に冒涜カマしてんのよ」
「…………………………すいません」
瞬きもせず、光なき空っぽの瞳で圧をかけてくるエリシア。
どうやら冗談は言えても、冗談の通じない女神様だったらしい……。
「あの、エリシアさん。反省するので許してもらえませんか……? この雰囲気、居た堪れないです……」
許しを乞う俺に、満足げな笑みを向けてくるエリシア。気が晴れたのか、アゴに添えていた指をソッと引き下げた。
「あなたの罪を赦しましょう……。
それでは、流崎亮さん! 異世界への転生が決まったところで、あなたに『転生トクテン』を授けます!」
エリシアは両手を広げ、真っ赤な空間に声を響かせた。
「『転生トクテン』の前に……。
いつの間に、俺の異世界行きが決定されたんだ……!」