32話 食欲旺盛2
食堂で料理の完成を待つ最中、厨房から食欲を刺激する香りが漂ってきた。
「う、美味そうな香りだ……!」
香ばしい肉の匂いに、スパイスのような複雑な香り。
「本当にいい匂いですね、ロース様。このワクワクを誘発してくる匂いはまるで、洗い立ての髪の毛から漂う石鹸の香りのようですね!」
「何言ってるのかよく分からない例えだが、唆られる香りに間違いはないな」
思わず身を乗り出し嗅いでしまう程の香りに、俺の口から涎が垂れそうになる。
「ロース様、涎掛けでもご用意しましょうか?」
他人の甘美な心地を掻き乱す、空気の読めない側近。
「いらんわ、私は節度を知らない子供か」
しかし視線を移すと、隣に座るデュヴェルコードの口元から、ドバドバと滝のような涎が垂れていた。
涎掛けが必要なのは、お前の方かよロリエルフ……!
「い、いい匂いぃ……美味しそうぅ……」
香りに釣られて少しの気力が湧いたのか、ブリアーヌがうっすらと瞼を開きながら、クンクンと鼻の穴を動かした。
「でも、余計にお腹が空いてぇ……美味しそうなのが辛いよぉ……」
食欲がピークに達したせいで逆に気力を無駄遣いしたのか、バタッとテーブルに上半身を預けたブリアーヌ。
「ダメだ、今はこの子にどんな刺激や影響を与えても、生命を削る事になってしまう。
デュヴェルコードよ、少し厨房の様子を覗いてくれないか? ブリアーヌが取り返しのつかない事になる前に」
「かしこまりました。チンタラ調理する厨房エリアのスタッフ一同に、『グラトニーフレイム』でも浴びせて、鞭打ってやります!」
「それは止めろ。完成間近の料理まで燃やす気か? それにあの暑苦しい料理長に加え、お前まで熱気を注ぐな。鞭は料理長の熱い叫びで十分だろうから、進行の様子だけ確認してきてくれ」
「はい、では少し席を外します。ブリが椅子から転がり落ちないよう、気に掛けていてください」
「あぁ、そこは気をつけておこう」
「よろしくお願いします。では少々失礼して……」
デュヴェルコードは何食わぬ顔で、スッと椅子から立ち上がり、厨房の方へと歩いて行った。
そんな時。
「――ブヒュー……! 出来ましたぞ、完成だロース様! 蘇生後初となる、俺の本気飯。存分に味わってもらいます!」
デュヴェルコードが厨房に差し掛かった途端、厨房からカートを押すスゥーが姿を現した。
「未だに裸エプロン……。早く何か着ろよ、小太りシェフ」
俺はスゥーの調理スタイルを見るなり、ひとりボソボソと呟いた。
「待ってました料理長! よっ、大将! へいっ、マスター!」
スゥーに出くわすなり、まるで酔っ払いのテンションで絡み始めたデュヴェルコード。
料理長だのシェフだの呼んでいたが、お次は大将とマスターかよ。役回り名のレパートリーを増やすな……!
「ブヒュー。心待ちにしていたようだな、料理人として嬉しい限りだ、デュヴェルコードさん。飯が冷めないうちに、すぐ配膳する」
「わたくしもお手伝いしますよ、任せてください!」
「いやっ、構わない。食いしん坊たちは席で待て。て言うか大人しく座っていてくれ」
「遠慮なさらず! わたくし、運ぶの得意なので!」
スゥーの制止も聞かず、料理の盛られた平らな皿を1枚、カートから手に取ったデュヴェルコード。
透かさず勢いよく振り返り、こちらに向かい無邪気に走り始めた。
「ロース様、美味しそうですよ! 今すぐお持ちしますね!」
何だか、嫌な予感が……!
「お、おいっ、料理を持って走るな」
「大丈夫でっ……わぁっ!!」
俺の嫌な予感が、的中した。
「やっぱり、言わんこっちゃない……」
満面の笑みで駆け寄ってくるデュヴェルコードが、お約束の如く、派手に躓いた。
まるでバイキング会場ではしゃぐ子供のように躓いたデュヴェルコードは、勢いのまま床と平行に宙を舞う。
同時に、小さな両手で握り締められた皿から、美味そうな肉料理が離脱した。
万歳ポーズで床スレスレを舞うデュヴェルコードと、放物線を描きお構いなく飛んでいく、湯気を纏った肉の塊。
双方が着地を果たすまで、数秒も残されていない。
一刻の猶予も許されない今、俺が取るべき最善の行動は……!
「――『フロート』! 『アトラクション』!」
即座に決断した俺は片手を伸ばし、早口で浮遊魔法と引力魔法を詠唱した。




