1話 天界展開2
「――姉ちゃん、お願いだ。いかせてくれ……」
――俺の脳裏に過り始めた、最後の記憶。
死を迎える直前に起きた出来事が、イメージのように浮き上がってくる。
俺は、この場面を覚えている……!
「…………ダーメ」
「頼むよ姉ちゃん……! お、俺は……いかなければ……」
ベットの上で俺に跨り、下目遣いで視線を飛ばしてくる姉。
そんな女王様気取りな姉の下で、俺は声を震わせ懇願する。
お腹に伸しかかる、姉の重圧。ガチコチに固められた、身動きの取れない手足。
体の自由を制御された俺は、主導権を握る姉に選択を委ねるしかない状況にあった。
「ここまで我慢のきかない弟に、育てた覚えはないわよ。まだまだ躾ようが足りなかったかしら?
そんな、欲しがりオネダリする目を向けてきても、ダメなものはダーメ」
数年前、両親を亡くした俺たち姉弟。頼れる親戚もいなかった事から、7つ歳上の姉が親代わりとして、今日まで俺を育ててきてくれた。優しく、面倒見がよく、そしてどことなく女性の色気を漂わせる姉。
そんな保護者同然である姉に、俺は本能の赴くまま意を唱えていた。
「なんで今日に限って、そんなに焦らすんだよ! 結局いつも『仕方ないわね』で、いかせてくれるのに!
勿体ぶらないで、早くいかせてくれよ! サディスト!」
懇願から抵抗に変わった俺の態度に、姉がキッと睨みをきかせてきた。
「亮っ……! 姉ちゃんに向かって、サディストってなによ。高校2年生にもなって、まだ反抗期を引っ張るつもり?
このままいかせても、後で虚しさしか残らないわよ」
俺は姉から目線を切り、枕に後頭部を預けながら天井を見上げた。
「今日……テストなんだよ……!
俺のマジメな魂が、欠席する事を許してくれないんだ。頼むから、学校いかせてくれよ……!」
「…………亮がマジメなのは私も知っているし、我が弟として誇らしいと思うわ。勉強も部活も頑張って、偉いと思う。
けどね……! あんた、両手両足を骨折した状態で、どうやってテスト受けるつもりよ」
姉の指摘に、俺はギクリと頭をビクつかせた。
そう、俺の身動きが制限されていた理由。
それは……。馬乗りの姉から受ける重圧に加え、両手両足を骨折しギブスまみれになっていたからである。
「いっ、いやぁ……それは」
「それにね、39度の発熱に加え、蕁麻疹に内痔核に中耳炎にワキガまで抱えた大病患者が、テストなんて受けられるわけないでしょ」
「ほ、骨なんて軽く4、5本ポキっただけだし、熱もこれくらい微熱…………って!
ちょっと待った! 最後、身に覚えのない病名が! 俺、ワキガだったの!?
テストに1番影響ない大病だけど、余生に1番影響する大病だわ!」
絶不調の容体にも関わらず、思いがけないカミングアウトに、俺は思わず声を荒げた。
できれば、知りたくなかった事実だ……!
「わ、脇が臭くて休んでも……サボりって思われないかな……? いや、きっと思われるし、やはり学校に……」
「数多の大病を抱えた病人に、誰もワキガで欠席したなんて思わないわよ。
こんな病人を通学させたら、私が別の意味でモンスターペアレントって言われるじゃない」
「…………分かったよ。姉ちゃんの言う通り休むから、そろそろ俺の上から降りてくれ。
ついでに、姉ちゃんは保護者だから、この場合モンスターガーディアン……」
「直訳しなくていいのっ。親みたいな者でしょっ? それより念を押しておくけど、私が退いた途端に走り出すんじゃないわよ」
姉は前のめりに顔を近づけ、俺を覗き込んできた。
言われなくても、全身ギブスまみれで走り出せるわけありません。学校には、アスファルトを這っていくつもりだったが……。
俺は姉の念押しに何も言わず、コクリと頷いた。
「偉い偉いっ。人間、諦めも肝心だからね。
私もこの前、諦めて仕方なく払ってきたわ、自動車税……。だから、亮の悔しい気持ちも分かるわよ」
姉は同情を諭すような柔らかい笑みを浮かべ、俺の上から静かに降りた。
共感を装っているが、諦めるジャンルが違う。納税は国民の義務だろ……。
諦めず未払いを貫いたら、ただの脱税じゃないか……!
「さてっ。正しい選択をした良い子の亮に、ご褒美をあげようかしら」
「ご、ご褒美……?」
姉は笑顔をキープしたまま、上着のポケットを漁り始める。
そして何かを握り締め、ゆっくりとある物を片手で取り出した。
――それが、俺の死を招く……凶器になる事も知らず…………。
俺は姉の手に握られた物を、今でも覚えている。