21話 筋増療法5
マッドドクトールによる指示のもと、俺は超重量のダンベルを使い、3種の筋トレを熟し終えた。
「マッドドクトールよ、もうリハビリは終わりでいいか? 私も十分なほど鍛えたし、お前も満足いくまで拝めただろ」
「ウヒッ、ヒヒヒ。おっしゃる通り、ウチの枯れ腐っていた目に、潤いを与えられた気分です」
不気味な笑顔を浮かべながら、嬉しげに天井を向いたマッドドクトール。
「そうか、なら……」
「でーすーがぁー! 鉄亜鈴はこれで終わりです。最後に、1番重要なリハビリテーション、そしてウチにとってのご褒美が残っています」
「えっ……もういいだろ」
俺はマッドドクトールに向け、露骨に嫌な表情を浮かべる。
「ヒヒヒッ、お願いですロース様。これが本当の本当に最後ですから」
「はぁ……本当に最後だからな」
「かしこまりぃー。ではでは、上半身のお召し物を、ぜーんぶ脱いじゃいましょう。
側近ちゃん、ロース様のお召し物を脱がせてぇ」
マッドドクトールは長い袖をプラリと垂らしながら俺の胸を指差し、デュヴェルコードに指示を出した。
「何でわたくしが。側近はメイドではありませんよ。ご自身で脱衣していただくよう、あなたが頼みなさい。きっと叶わぬ願いで終わるでしょうが」
「ウヒッ? 確かにウチがお願いしても、却下されるかも。ヒヒヒッ、だから別の方法で! えいっ、『ハイポイズン』」
マッドドクトールは毒魔法を詠唱するなり、手の平に魔法陣を出現させた。
そして何食わぬ顔で、俺の服に数滴の毒を散らしてきた。
「わわわっ! バカか、何してんだ!」
毒が付着するなり、ジワジワと溶け始めた衣類。
俺は焦燥感に駆られ、無我夢中で服を引き裂き、超スピードで脱ぎ捨てた。
「ごらぁマッドドクトール! 突然なんて奇行に走りやがる! 危うく皮膚まで溶けるところだっただろ、ヘラヘラしてんじゃねぇよ!」
俺は依然として不気味な笑みを浮かべるマッドドクトールに、ありったけの怒声を放つ。
「ウヒッ、ヒヒヒ。やっぱりロース様は、脱いだら万物の頂点ボディですね。全身ボコボコォ。ロッククライミングみたいに登れそぉ」
俺の激怒などお構いなしに、マッドドクトールは俺の腹や胸に、岩壁を登る様子で手を当て始める。
ダメだ、やはりこの名医は医術以外ダメだ……!
「ヒヒヒッ、ロース様が脱いでくれたところで、最後のご褒美を。
ロース様、右腕の上腕二頭筋をモッコリさせるように、肘を曲げてポージングしてください」
「ったく、身勝手なヤブ名医だ……!」
俺は力瘤を作るイメージで、握った拳を耳に近づけながら、力強く右肘を折り曲げた。
「ウヒッ、おっきい、興奮。こうして見ると、盛り上がった二頭筋が堂々と聳える山のようです。という事は……!
その下部に広がる三頭筋は、静かな湖の水面に映る、逆さ山という訳ですね! ロース様の演出意識、ヤバいです。片腕ひとつで水鏡の絶景を描けるなんて、圧倒的ファンサービス、マインドエナジー!」
「大袈裟な……。自分ひとりの世界に入りすぎだ」
とは言うものの、褒められ続けているうちに、俺の怒りは自然と鎮まり始めていた。
どうやら俺って、満更でもないようだ。少しでも肉体をよく見せようと、無意識に拳を強く握り直してしまっている……。
「ヒヒヒッ、これで完成……キャピーッ!」
ポージングをキープしていた俺の右腕に、突然マッドドクトールが飛びついてきた。
「な、何だ急に!」
「ヒヒヒ、これが最後のリハビリテーション。ウチを右腕にぶら下げたまま、耐え続けてください」
マッドドクトールは両手で俺の上腕二頭筋にしがみつき、ブランコのようにプラプラとぶら下がる。
「さ、散々右腕を鍛え直してきた直後に……こ、これが最後のメニューだと……!」
傍から見ると、きっとお父さんの腕にぶら下がる子供のような光景だろうな。
しかし、まさか大トリがこの筋トレとは……!
「ヒヒヒッ、いつまでキープできますかねぇ?」
「いつまでも何も……永遠にキープできそうだぞ」
俺はマッドドクトールの軽量さに、顔が引き攣る。
あれだけ過酷な筋トレをしてきたため、いったいどんなキツいラストを迎えるのかと、内心ヒヤヒヤしていたが……。拍子抜けするほど楽勝なメニューだった。
て言うかコイツ、余りにも軽すぎないか……?
「お前、どんな体重してんだ。白衣に包まれてボディラインは見えないが、まさか痩せ細っているんじゃ……」
「ウヒッ、いやーんロース様。乙女の体を詮索なんて嫌らしい。下心が芽を出しましたか?」
「下心などではない、ただの心配だ」
「大丈夫ですよ、名医は簡単にくたばったりしません。それより、今が幸せすぎて。あぁ、ロース様の固太い上腕。
どんな魔法書よりも、分厚くて尊い。生物は皆、魔法書よりロース様の筋肉に教えを乞うべきです」
腕にぶら下がり俺の顔を見つめながら、ハァハァと息を荒げるマッドドクトール。
この息の乱れは、興奮か? それとも疲労だろうか?
ぶら下げ続ける俺より、むしろぶら下がり続ける華奢なコイツの方が、体力的にキツい気がする……!
荒息を吐くマッドドクトールを、静かにぶら下げ続けていた、そんな矢先に。
「何ですか、その茶番は! 見ていて凄く不快です! 何故かは口にしませんが、取り敢えず凄く不快です!」
突然デュヴェルコードが、怒声を放ちながら俺の目の前に歩み寄ってきた。
「ウヒッ、ヒヒヒ。ハァ、ハァ……。なになに側近ちゃん、また嫉妬かなぁ? ジェラが止まんないねぇ」
「喧しいです格下! 少し黙っていなさい!
ロース様、わたくしもぶら下がります! そんな汚い服を吊るした物干し竿のようなお姿、目に余ります! 同じ吊るすなら、清潔で見栄えも良いわたくしを吊るしてぶら下げるべきです!」
「側近ちゃん酷ーい。そんな意地悪言うから、替わってあーげない。ヒヒヒッ、ここはウチの特等席!」
「誰も替われなどと頼んでいません。わたくしはロース様の左腕にぶら下がります!
腕の上で飼い慣らすスライムのような、そのモッコリ筋肉にわたくしも掴まります!」
「いやっ……左腕はリハビリに関係ないぞ」
「そういう問題ではありません! そもそも、とっくに筋トレとは呼べない茶番になっているではありませんか!
それでもこれを筋トレとおっしゃるのなら、ついでに左腕も鍛えさせてあげますよ!」
「筋が通っているのか、いないのか……。て言うか、力瘤の事をスライムとか言うな」
俺は渋々と左腕を上げ、右腕と同じポーズをとる。
ここで拒否してデュヴェルコードが暴走する方が、きっと面倒臭い事になると考え、俺は流れに身を任せる事にした。
なんて弱気で、不甲斐ない魔王なんだ……!
「わたくしの方が、ロース様のお役に立てる事を証明してみせます! 側近として!」
デュヴェルコードは軽くジャンプをしながら、俺の左腕に両手でしがみつき、マッドドクトールと同じ体勢で上腕二頭筋にぶら下がった。
「何だか近くで見ると、ロース様の腕ってパツパツで辛そうな皮膚をしていますね。まるでワンサイズ小さいお召し物を着ているような……皮膚が破れたりしませんよね」
「どんな心配だ。逆に筋肉を盛りすぎて、皮膚が破れたヤツを見た事でもあるのか?」
「あります」
「ほらな…………って、え?」
てっきりないと答えると思っていた俺は、ぶら下がるデュヴェルコードを見つめながら、目が点になってしまった。
そんなポップコーンみたいな現象が、この異世界では本当に起こるのか? 無闇に鍛えすぎないようにしよ……。
「右腕担当のマッドドクトールさん、ちょっと提案があります。ロース様を使って、わたくしとひとつ勝負をしませんか?」
デュヴェルコードは勝手に役割分担をつけ、突然マッドドクトールに勝負を申し込み始めた。
いったい、どんな勝負が始まる……って、そうではない。
まず魔王を、ゲームアイテムにするなよ……!