19話 飛石注意8
新技用の岩を投げた途端、鎖で繋がっていた俺の右足が、引っ張られるように地面から浮き上がった。
「おいっ、まさか……!」
俺はピンと張った鎖を両手で掴もうと、咄嗟に屈み込もうとした。
しかし。
「――ぐぅあぁぁぁーーー!!!」
間に合うはずもなく、俺の体は岩に繋がったまま、勢いよく空中へと攫われた。
俺はなす術なく、バンザイの体勢で足から引っ張られていく。
ヤバいヤバいヤバいっ、絶対にヤバい……!
空中では踏ん張りも利かないため、頼りの怪力もまともに使えない。仮に使えたとしても、好適な使い道がない。そしてこのアクシデントを覆せるような、相応しい魔法も持っていない。
そんな危機的状況で、助かる方法など……!
「これだっ、届けーっ!」
高速で流れる視界の中に、微かな希望が見えた。
それはこの岩の弾道付近にある、魔王城最上階の壁。灰色のブロックで構成された頑丈な壁に、今はしがみ付くしか方法が……!
俺は唯一の微かな希望へ、必死に両手を伸ばす。
すると奇跡が起こったのか、こんな高速飛行中にも関わらず、壁の端を両手で掴む事ができた。
「スゲェ奇跡! って……おい嘘だろ!」
しかし喜んだのも束の間。
――ボゴッ!
俺の両手に掴まれたまま、盛大に破損した城の壁。
壁の耐久力が岩の勢いに負けてしまい、まるでお菓子の家みたく、城の壁が端から数メートルに渡り割れてしまった。
「ふざけんなっ、ウエハースかよっ!!」
俺は依然として岩に引っ張られながら、剥ぎ取ってきた城の壁を、怒りに任せて放り投げる。
「――ロース様ーっ! 直ちに追いかけまぁ……」
次第に掻き消えていく、デュヴェルコードの叫声。
「ぶるぶるぶるぶるぶるっ! ぎぎぎぎっ、聞こえないぞぞぞぞ!」
乱気流に巻き込まれたように、俺の体は激しく上下左右に煽られながら、魔王城の敷地外へと引っ張り出された。
「がががががっ、風が! 気流が! まるで飛行機に引っ張られる、横断幕じゃないがががががっ!」
台風の中を飛んでいく凧上げのように体を煽られては、まともに発声する事も難しい。
「だだだだ、誰か、止めろぉーー!」
俺は叶うはずもない悲痛な願いを、天に向け叫んだ。そう、決して叶わぬ願いを……。
悲観的になるのも当然だ。なぜなら俺を牽引しながら飛んでいくこの岩は、紛れもなく俺自身が投げたのだから。
自分でよく分かっている。この剛腕で思いっきり投げた岩が、そう簡単に止まるはずがないと。
せめて鎖を持って投げるか、もっと低い位置を狙って投げれば良かった……!
「ななな、なんだか先ほどから、羽みたいな物がヒラヒラ……!」
激しく揺さぶられる視界の中に、時たま鳥の羽らしき物体がチラついてくる。
まさか俺の前を飛んでいく岩が、軌道上にいる鳥たちを片っ端から始末しているのでは。
これではバードストライク、いや『ロース・ストライク』だな……!
「こここ、こんな時に何を考えてんだ俺は! 早く何とかしないと……!」
俺はバンザイの体勢で全身を煽られながらも、必死に脳をフル回転させる。
「こここ、このまま飛んでいき、世界を1周してくれば、必然的に魔王城へ戻れるんじゃ……?」
いやダメだ。そこまで飛べるはずがない、いつかは墜落する。
仮に世界を周回できる程の遠投力があったとしても、本当に魔王城へ戻れるのか? それは世界が丸いという、前提条件がなければ実現しない。
元いた地球は丸かったが、そもそも今いる異世界は本当に丸いのだろうか? 確証が持てない。平たい地図のような世界の可能性だって、ゼロではない。
世界は丸いという当たり前の概念を、勝手に俺がこの世界に持ち込んだだけなのでは。実はこの世界には、端っこが存在したり……!
そうなれば、見知らぬ辺境の地へ飛んで行くだけになってしまう!
「って……今はそんなの、どうでもいい! 後でデュヴェルコードに聞けばいいじゃないか!
この世界が丸だろうと四角だろうと、早く地表に降りなければ!」
俺は迷走しかけた思考を、強制的に切り替える。
そんな時、あるひとつの魔法が脳内に過った。
「デストローガンが授けてくれた、あの魔法なら……!」
俺は乱れる気流に逆らいながら、岩に向け片手を翳した。
「上手くいけよ、『アトラクション』!」
俺は覚えたての引力魔法『アトラクション』を、勢いの衰えない岩に向けて詠唱した。
すると俺の翳した手の平に、魔法陣が出現し。
「よしっ、成功!」
猛進していた岩が、空中でピタリと止まった。
そして未だに前へと飛んでいく俺の体が、目の前で動きのなくなった岩に一瞬で追いつく。
俺は岩との激突を避けるため引力魔法を解除し、咄嗟にバランスを取りながら、岩に結びつけてある鎖にしがみついた。
その途端。
「と、当然落ちるよな……!」
勢いを失った岩は、地表に向けて垂直に落下を始めた。
俺は鎖にしがみついたまま、真下に視線を向けてみる。
「ヤバい、最悪だ! 下に汚い池が!」
落下していく先にあったのは地面ではなく、見るからに汚そうな池だった。
そんな光景を目にし、俺は慌てて足首に繋がれた鎖を外す。
そして落下の衝撃に備え、俺は岩の上へとよじ登り、離れないよう必死にしがみついた。
もしも着水した際に、水面でダメージを受けるような事があれば、俺は致命傷を負うだろう。
なぜなら俺には、お気の毒スキルと呼ばれる『プレンティ・オブ・ガッツ』があるからだ。
こんな見知らぬ地で体力が残り僅かになれば、魔王城に戻る事が非常に難しくなる。
「選りに選って汚い池なんて。最悪だっ、ふざけんなっ……!」
全身にグッと力を込め、愚痴を漏らしていた矢先に。
――バシャーーン!
激しい水飛沫を上げ、岩は俺を乗せたまま池に着水した。
着水して間もなく、俺は水中へ沈んでいく岩の表面を足で蹴り、水面方向へと素早く離れた。
そのまま岩は、ニョロニョロと動く鎖を引き連れ、池の底へと沈んでいく。
俺は何とか、ダメージを負わずに着水する事ができた。しかし、問題はまだ残っている。
それは落ちた場所が、汚い池だったという事。本当に最悪だ……!
俺は水面を目指し、手足でバタバタと我武者羅に水を掻いていく。
きっと傍から見れば、まるで溺れた子犬のような、素人臭い泳ぎ方なのだろう。
そう、落ちた場所が最悪なのは、水が汚いからではない。
本当に最悪なのは……。
「ゴボッ! だ、誰がいないのがーっ!」
――俺が、泳げない事だ……!
水面から顔を出すなり、俺は必死に叫び声を上げた。




