合わせ鏡の呪縛(後)
私たちの足音だけがこの空間に、響き渡る。平民や犯罪を犯した者よりかははるかにマシだと言われた地下牢は、牢屋を初めて見る私からすれば、何がマシなのか分からないほどだ。ジメジメとした空気に、やや湿気臭いにおいが、重い空気と共に体に纏わりついてくる。
「ミア」
一番奥の牢に、ミアは入れられていた。髪は乱れ、床に座り込むミアのドレスは薄汚れていた。その顔に精気はない。しかし私を見つけると、ミアは勢いよく立上がり鉄格子に手をかけた。
「姉さま、もう起き上がっても大丈夫なのですか」
「ええ。まだフラフラするから、歩くことは出来ないけど」
「ああ、良かった……」
今にも泣きそうに、安堵した表情。そしてかけられたその言葉は、やはり私には本心のように思える。
「良かったと思うのならば、なぜソフィアを殺そうとしたんだ」
「殿下、違います。わたしは姉を殺そうなどとしてはいません。グレン様もどうか信じて下さい」
「毒を盛って、ソフィアの乗った馬車の車輪に傷を付けさせ、転倒させた。これが殺人未遂でなく、何だと言うのだ」
キースは肩を震わせ激高している。
「姉さま、わたしは姉さまが羨ましかったの。羨ましくて、妬ましくて、分かって欲しくて。姉さまにこっちを見てもらいたかっただけなの。馬車は少し車輪に亀裂を入れるだけなら、転倒まではしないって御者に言われたの。ティーポットに入れた毒だって、侍女から不味い味がするだけだからって」
首を横に振り、必死にミアが訴える。その姿はまるで言い訳をする子どものようだ。
「わたしは姉さまに分かってもらいたかっただけ。姉さまにこっちを見て欲しかっただけなの。殺そうなんてそんな恐ろしいこと。姉さん、姉さまなら分かるでしょう?」
「例えそうだとしても、やったことには変わりないだろう」
「みんなわたしに同情的だったんです。姉に相手にされないわたしに、この世界で孤独なわたしに」
「ミア、そこに付け込まれたのでしょ?」
そう、侍女たちはミアの弱さに付け込んだのだろう。記憶を戻し、ただ孤独だったこの子に付け込むことで、自分たちも利益を得ようとした。しかし解雇され、それが叶わなくなると腹いせとしてミアに毒を渡し、罪を擦り付けようとしたのだ。
「でも、姉さま、わたしは」
私はキースを見上げ、その場に降ろすように頼む。私の行動に関して諦めているキースは、そのままそっと降ろしてくれた。フラフラした足取りのまま、ミアの前に立つ。
「姉さま、わたしは本当に」
「……姉と呼ぶのは辞めてって、いつも言っているでしょう」
私のその言葉に、ミアは大きく目を見開き、息を飲む。私が瑞葉だったあの日、瑞希に伝えた言葉だ。
「ソフィア?」
私の発言の意図が分からないキースたちは、ただ首を傾げ様子を見守る。
「まさか記憶が……戻ったの?」
「戻っていたのよ。馬車の事故の時にね」
「それならどうして」
「どうして? そうではないでしょう。どうしてそれを告げなければいけなかったの?」
「だってわたしたちは」
「ねえ、ミア。瑞葉と瑞希だった私たちは、あの日二人とも事故で死んだのよ。そしてこの世界に、ソフィアとミアとして生まれてきた。どうして、それではダメだったの? どうしていつまでも過去を引きずろうとしたの」
前世の記憶なんて、過去のことなんて全部無視してしまえばよかったのに。引きずって、拗れて、こんな結果を迎えなければいけないのなら、過去の記憶に何の意味があるというのだろう。
「そうやっていつも自信たっぷりで、わたしのことを見下す瑞葉が大嫌いだったわ。わたしは瑞葉よりどれだけでも努力してあの位置にいたのに、努力なんて知りませんという澄ました顔をして、いつもいつもわたしの先に行こうとする」
ミアの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「私はいつも誰からも愛されて、みんなの中心にいる瑞希が大嫌いだった。私にはないものをたくさん持っていて、いつでもそれを私にひけらかしていたわよね」
「わたしはそうすることで、ずっと自分の弱い心を守ってきたの。わたしがどれだけ努力しても、どんなに見下しても、素知らぬ顔で、わたしの前をいく瑞葉から。何にも努力なんてしていないくせに、どうして瑞葉はそのままでいいと言われて、どうしてわたしだけが努力をし続けなければいけなかったのよ」
ミアのその言葉は、叫びにも似ていた。いつかキースが、ミアは本当は私のことが羨ましいのではないかと言っていたっけ。私たちはお互いがお互いに持ってないものを羨ましがって、こんな風に拗れてしまったのだろう。
「私たちはずっと同じだったから。私は瑞希が眩しくて、そして羨ましくて。だから見ないようにずっと避けて一人ぼっちを貫いてきた。でもそれは瑞希も同じで、お互いがないものをねだって羨ましがって、ずっと傷つけあってきたんだね」
「……」
「でもそうだとしても、もう私たちは同じじゃない。あの合わせ鏡のような双子という呪縛から抜け出したのに、なんでこんなことをしたの?」
「この世界で記憶が戻った時、自分一人が異質な存在な気がしてとてもとても怖かった。でもすぐにソフィアが瑞葉だって分かった。だから縋りたかった。一人じゃないって。それなのに、ソフィアの記憶は戻ることなくて……。戻らないのに、まるで全部分かっているように、瑞葉と同じようにわたしを避けた」
「別に避けてなんて」
「いつだってそう。いつも見て欲しいのに、あなたはわたしを見てもくれない。だけど……。怒っている時は、いつもちゃんとわたしを見てくれた。たとえ記憶が戻らなくたって、わたしは姉さまが見てさえくれれば、安心が出来たの」
「もっとこんな方法じゃない方法だって、あったはずでしょう。ミアとしてせっかくこの世界で1つの幸せを、ミアだけの人を見つけることが出来たというのに」
鉄格子を握るミアの手の上に、私はそのまま自分の手を重ねる。ミアがゆっくり私の顔を見つめた。もう同じ顔ではなくなってしまった、この顔を。
私たちは同じ方向を向きながら、全く逆の方法を選び、交わることなく生きていたのかもしれない。自分を見て認めて欲しかった瑞希に、瑞希が羨ましくて眩しくて目を背けた私。そしてそれはミアとソフィアになってからも、ずっと同じことを繰り返していたんだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい。姉さま……グレン様……。ただわたしは寂しくて……みんなの中にいるのに、寂しくて」
誰からも好かれて、みんなの中心にいる瑞希の姿は、誰かの理想を模した虚像に過ぎなかったのかもしれない。そしてそれを演じる自分に、瑞希はずっと孤独を抱えていた。
この世界に転生したことで、それは更に増大し、寂しさから使用人たちに付け込まれたのだ。でもだからといって、全てが許されるわけではない。
「だから、その瞳には僕だけを写して欲しいと言ったはずだよ、ミア」
グレンがミアに手を伸ばし、その頬に触れた。ミアが視線をグレンに移す。
「ごめんなさい、グレン様」
「私もごめんなさい。あなたの孤独を見ようともしなかった。記憶が戻ってからも戻っていないフリをしていれば、瑞葉の時に出来なかったことをソフィアとしてやり直せると思ったの」
私は後ろを振り返る。キースは前世の記憶がある私たちをどう思うのだろうか。普通ならば、ミアの言う通り私たちは異質だ。もし化け物と思われたら……。
「キース様、あの、私は……」
「どんなソフィアであろうと、俺が知っているソフィアは君一人だよ。過去に何があろうと、前世の記憶があろうと、そんなことはなんにも関係ないさ」
差し伸べられた手を掴む。そう、私はもう何も手放したくはない。あの時あの手を掴んだのは、私だから。
「キース様、私のこと、愛してくれますか?」
「ん? もちろんだ。急に、どうしてそんなことを」
「私はキース様からの求婚をお受けいたします」
「ソフィア」
「その代わり、覚えておいでですか? 私とした約束のこと」
「約束? ソフィアまさか、あの日の」
「ええ、あの日の約束です。ちゃんと1つ貸しにしましたよね? キース様は何でも私の頼みを聞いてくれるって」
切り札は効果的に使用しましょう。こんな日のために取っておいて、正解だった。
にこやかにほほ笑むと、キースは怒ったような呆れたような顔をした後、左手で頭を抱える。
「まあ大変、頭痛ですか? それならばすぐにでも宮廷医を呼ばないと」
わざとらしくキースにぴたりとくっつく。
「この頭痛の原因を、君の口から教えて欲しいんだが」
「そうですね、キース様。きっとそれは、姉妹喧嘩に付き合わされたからだと思いますわ。ですが妹とはもう仲直りしたので、さ、私たちはお部屋でゆっくり休むことにしましょう」
「ソフィア、それは」
何か言いたげなグレンに、後ろ手で手を振る。おそらくこの件は使用人たちも絡んでいて、毒まで持ち出した時点で、ただの姉妹の喧嘩では済まないだろう。それでもキースはきっとあの日した約束を守ってくれるはずだ。私がミアにしてあげられることは、ここまでだ。あとは、出来ることならこのままその役目をグレンに任せたい。
「すまない、ソフィア。ありがとう」
「姉さま……」
「あの日、あの事故の時、あなたの手をつかんだのは私だもの。あの時は助けられなかったけど、今度は大丈夫よね?」
「……ありがとう。そしてごめんなさい……瑞葉」
私はキースと腕を組みながらゆっくり歩き出す。
牢屋を出て、眩しく降り注ぐ日差しは夏の始まりを告げている。もうあの日、あの時には帰れないけど、私の隣にはキースがいて、そして親友と少し我儘で寂しがり屋の可愛い妹がいる。それで、十分すぎるほど幸せだった。




