合わせ鏡の呪縛(中)
毒を対外へ排出するために何度も吐き、朦朧とする意識を私が手放さないようにいろんな人に声をかけられ続けた。焼けつくような喉の痛みや、嘔吐が治まるころには朝を迎えていた。
「ソフィア様」
ルカはずっと側に控えながら泣いている。キースも夜通し付いてくれていた。他にも医者やいろんな使用人たちが、入れ替わりで慌ただしく部屋を行き来していたような気がする。しかし周りに気を使う余裕のない私は、どれも、うすぼんやりとしか覚えてはなかった。
「体内の毒はほぼ出しきった様だから、熱は続くかもしれないが心配はない。今はとにかく休んで、体力を回復させないといけないよ、ソフィア。もうこれ以上、心配させないでくれ」
「……キース様、あの子は?」
名前を出さなくても、キースはそれがミアを指していることが分かったようだ。
「っ! ソフィア、君はこんな時にまでなぜ、ミアのことを気遣うんだ」
「でも、あの毒は私のティーカップにではなくティーポットに入っていたんですよね? だからミアのティーカップからも毒が出てきたと。違いますか?」
そう、毒は私のカップにのみ入れられていたのではなく、注ぐ前のティーポット本体に入っていた。そのため、あの時点では私もミアも2人とも毒を飲む可能性があったということだ。
「それはそうだが、あの毒がもしティーカップの方へ入れられていたら、君は命を落としていたかもしれないのだぞ」
「そうみたいですね……。でも現実には、毒はティーポットに入っていた。そしてそれをミアも飲もうとしていた。ミアは、あれが、ティーポットに入れられたものが毒だとは知らなかったのではないですか?」
そう、これは私の願いでもある。思いたくなどなかった。たとえどんな理由であったとしても、あの子が私を殺そうとしたなんて。
「例えそうだっただとしても、あの毒をポットに入れたのはミア自身であり、君に危害を加えようとしていたことには変わらないんだよ。こうなる前に止めたかったのに、遅くなってすまない、ソフィア」
蒼白な顔をしながら、グレンが部屋に入って来る。その手には、紙が握られていた。グレンはそれ以上なにも言わず、その紙をそのままキースへと差し出した。
「これは……本当のことなのか、グレン」
「グレン、私にも教えて。キース様、そこには何が書かれているのですか?」
キースは首を横に振り、受け取った紙はくしゃりという音を立てながら形を変えていく。
「でもそれは、私のことが書かれているのでしょう。それならば、私にはそれを知る権利があるはずです」
「この件は熱が下がって、落ち着いてからにしよう。今はとにかく休むんだ、ソフィア」
キースの手が横になったままの私の頬に触れた。とても冷たい、冷え切った手。その手とは真逆で、キースの心が熱く、とても怒っていることは分かる。
「それでは遅いのではないのですか?」
「……」
もし、ミアが私を殺そうとしていたということが明らかになったとしたら、貴族への殺人未遂は、どんなに軽くても国外追放だ。私がここにいて寝ている間に、何も知らぬ間に、全てが終わるなんて絶対にダメだ。
「グレン、お願い答えて。いくら日が浅かったとしても、もう愛想が尽きてしまったとしても、ミアは確かにあなたが愛しているといった人よね?」
「……ああ、そうだ……」
「グレン!」
「キース様、お願いです。これは、この件の当事者は私とミアです」
「ソフィア、僕はずっと気になっていて、君が乗っていた侯爵家の馬車が転倒した事故のことを調べていたんだ。手入れを怠っているわけでもない馬車の車輪が損傷して事故を起こすなんて、どう考えてもおかしいだろう」
「グレン、辞めるんだ」
「いえ、これはソフィアが知らないといけないことです」
「だが」
「待って……、ではあの事故は、やはりただの事故ではなかったというの? あの事故にも、ミアが関係しているというの、グレン」
「ミアに付いて行った御者の一人を問い詰めたら、白状したよ。ミアに頼まれて事故を起こすようにしたと」
あの事故は車輪の一つに亀裂が入り壊れたために、馬車が転倒事故を起こしたというものだった。王立図書館へ向かう街中で、他の人を巻き込むこともなく、私も打撲程度で済んだのは奇跡に近かったと何度も医者に言われた。あの事故が本当に偶然起きた事故なのかは、私もずっと疑問ではあった。しかしそれが、こんな形で事故の真相を知ることになるなんて。
「グレン、ミアに付いて行った者たちはみんな捕らえたの?」
「ああ。貴族への殺人未遂だ。ただでは済まないよ」
「……」
「ソフィア、これ以上はもう」
「そうです、お嬢様。どうかお休みになって下さい」
頭の中はグルグルと回り、いろんな情報に目を瞑り眠ってしまいたかった。目を背ければ、今だけはきっと楽になれる。でも、今しなければ私は絶対後悔するだろう。
「グレン、ミアも捕らえたのね」
「……」
「ソフィア」
「キース様、私をミアの元へ連れて行って下さい」
「ダメだ。こればかりは、いくら君の願いだとしても聞くことは出来ない」
「今しかないんです。もし裁判となれば、もうミアを救うことは出来ない」
「ソフィア、まだ君はミアを救えると思っているのかい?」
悲しそうな、どこか諦めたようなグレンの瞳。グレンはもう、絶望してしまったのだろうか。全てに。
「まったく、あなたらしくないわグレン。こんなことぐらいで、そんな風に全てを諦めるなんて」
「らしい、らしくないの問題ではないだろう、ソフィア」
力なく首を横に振るグレンは、万策尽きたと言わんばかりだ。
「いいえ。らしくないわ。二人がそんなことなら、私は這ってでも自分でミアに会いに行きます」
起き上がり、ベッドから立ち上がろうとする。正直、まともに歩ける気はしない。病み上がりな上に、毒ときたのだ。泣きっ面に蜂というのはこんな状況をさすのだろう。
「君はいつでも無茶ばかりして、こっちの心臓が持たないよ」
立ち上がろうとしても立ち上がれないでいる私に、キースが手を差し出した。
「いつでも君の行動力に、俺は驚かされてばかりだ」
「ソフィア、君はまだミアのことを救えると、救いたいと思うかい?」
「グレン、あの子は私の妹で、私の一番の親友が愛した子だから。私ね、ずっといろんなことを諦めて後悔ばかりしてきたの。そんな人生だったの。だからね、辞めたの。どうせする後悔なら、何もしない後悔よりやってからする後悔の方がいいって思えるようになったから」
グレンは下を向き、拳にした両手に力を込める。
「ああ、そうだね。君の言う通りだ」
「キース様、グレン、私と一緒にミアの元へ行って下さい。二人にも聞いていて欲しいんです。全てを」
私とあの子のこと全てを。例えおかしく思われても、私たちのことを全て話そう。それがきっと、救いになるはずだ。
「分かった。では、行こう」
キースはここへ来たとき同様に私を抱き上げる。歩けない以上は観念し、キースに身を預けた。
「ルカ、すぐ戻ってくるわ。そしたらしばらくは安静に過ごすから、私の好きなものをたくさん用意しておいてちょうだい」
「もちろんです、お嬢様。どうかお気をつけて」
「ええ、行ってくるわ」
あともう少し続きますので、お付き合いお願いいたします。




