氷の美姫
暖かなというより、やや汗ばむような強い日差しが降り注いでいる。しかし本格的な夏とは違い、吹き抜ける風は涼しい。街の中心部の裏手にて馬車を降りると、この前来た露天の方へキースと共に歩き出す。キースは勝手知ったるというように、前に母たちとリンゴを買った露天の並ぶ広場へ。この前より時間が遅いせいか、広場には何かを焼く香ばしい匂いや、その場で食べられる軽食を取り扱う店が多く思える。
「ソフィアは、嫌いなものはある?」
「いいえ、特にはないです」
食べたことも見たこともないそれらが並ぶさまは、まるでお祭りのようだ。
「じゃ、適当に買ってくるよ」
そう言うと、串焼きにサンドイッチのようなものをテキパキとキースが買いに行く。両手いっぱいに荷物を持つ姿に、慌てて駆け寄る。するとキースに瓶に入ったサイダーのようなものを持たされた。
「こんなにいっぱい。食べきれなくないですか」
「いや、俺はこれでも足りないと思うんだが」
すでに食べ物だけで、三種類を二個ずつ、飲み物も二本ある状態だ。これ以上はさすがに無理がある。
「絶対に足ります。もし足りなかったら、あとで追加すればいいと思いますけど」
「んー。ま、そうだな。とにかくあっちで座って食べよう」
子どものような無邪気な笑顔に、私もつられて笑う。キースといると、自然に笑顔が作れている気がする。
「さあ、こちらへどうぞ」
荷物をベンチに置いたキースは自分のハンカチを取り出し、ベンチの上に敷いた。私は言われるまま座ると、手に持っていたジュースをキースが一本受け取る。そしてその代わりとして、トレーに乗せられた串焼きを一本差し出した。令嬢としてかぶりつくのはどうだろうと考えていると、隣でキースがそんなことなど気にせずに食べ始める。王族が気にしないのだから、まあいいかと、私も普通に食べ始めた。何の肉かは分からないそれは、塩がよく効いている。
「おいしい」
「だろ」
私が気にすることなく食べている様がよほどうれしいのか、キースは今まで以上に上機嫌だ。
「グレンたちが行くような店じゃなくてすまない。俺はこういう方が本当は好きなんだ。だから一度、ソフィアにも食べてもらいたかったんだ」
「私もかしこまった店より、こういう方のが手軽ですし、何も考えなくてもいいので好きですよ」
「氷の美姫の意外な一面を俺だけが知っているというのは、悪くないもんだな」
「前から聞こうと思っていたんですが、氷の美姫って何なのですか?」
キースが何度か繰り返している、私の二つ名。私が知っているものは、氷の姫君という私が笑わないことを揶揄されたものだ。それなのに、いつの間にそんな訳の分からないものにすり替わっているなんて。
「前からいろんな貴族が噂していた君の二つ名だよ。氷のように冷たく見えて、その実優しく、孤高で美しいという」
「いえいえ、私が知っているのはただの氷の姫君でしたよ。笑わないし、誰に対しても冷たいっていう」
なんとなく似ているようで、少し違う二つ名。捉える人によって印象が違うとか、そんな感じのものなのかな。でも、それにしては……。
「ソフィアの捉え方だと、ずいぶん卑屈というか、悪意を感じるな。そんなこと、誰が言ってたんだ」
「誰が……」
言われるようになったのは、私が夜会へ参加するようになってすぐだ。元々、ああいう場では愛想は良くなく、たいしてにこやかにも出来ない自分に、コンプレックスを持っていた。女の人が扇子越しにヒソヒソ話す姿も、まるで値踏みをするかのような男の人からの視線も、私には耐えられなかったから。だからいつも、簡単な挨拶だけ済まし、そそくさと帰る日々が続いた。確かその頃、後から帰ってきたミアに言われたのだ。
『姉さま、笑わないし愛想が悪いから、他の方たちから氷の姫君なんて呼ばれていましたよ。もっと、愛想よくしないと』
それからというもの、どんな視線もみんなが私をそういう目で見ていると疑心暗鬼になってしまった。ただでさえ、引っ込み思案で、人付き合いがうまくない私には全てが致命傷だったのだ。
「妹から、ですかね……」
「グレンからとても仲の良い姉妹と聞いていたのだが……。もしかすると、他の人の口から口へと噂が回るうちに、違いものに変化してしまったのかもしれないな」
ミアを庇おうとするキースの言うことには、一理ある。しかし今までが今までなだけに、そう簡単に信じきれないのも確かだ。
「私、でもどうせなら、ミアみたいな容姿に生まれたかったです。ふわふわしたストロベリーブロンドの髪に、大きなピンクの瞳。人懐っこくて、誰にでも好かれる、そんな風に」
ない物ねだりなのは自分でも分かっている。でもいつも人の中心にいて、可愛がられるミアが私には羨ましくて仕方がない。
「俺は、今のソフィアが誰よりも可愛いと思っている。それに見たことも話したこともない他人の評価など、気にしたところでどうしようもならないさ。ソフィアだって、俺に会う前の評価と、今一緒にいる時の評価とでは全く違うだろ?」
キースの方を見る。第一印象も悪かったこともあるが、王弟殿下としてキースの噂は確かに良いものはなかった。いつも遊び呆けて、特定の婚約者など置かず、とっかえひっかえ違う女の人と遊んでいるというのが私の中でのキースを知る前の評価。でも先ほどの仕事量にしてもそうだが、わざとそういう遊び人と思われるように振舞って見せていただけかもしれないと思っている。近づけば近づくほど、もっと知りたいと思う自分がここにいるから。
「そうですね、確かに、前と後とでは全然評価が違いますね」
「惚れたか?」
「また、キース様はそんなことを。惚れていません」
「あー、それは残念。さ、ゴミを捨ててくるから貸してくれ」
しゃべりながら食べ進めるうちに、確かにキースの用意した食べ物は全て綺麗になくなっていた。私が食べきれない分まで、キースがパクパク食べていたのだ。あの細い体のどこに入っていくのか、少し不思議に思う。
「案外、グレンの見立て通り、妹はソフィアのことが逆に羨ましいのかもしれないぞ。だから、わざと悪口を言っているのかも。いっそ、ソフィアも妹のことがかわいくて大好きーとか言ってみたらどうだ?」
「え……、いや、それはさすがに」
「だったら、せめて褒めてみるとか」
「それなら、出来そうな気もしますが」
キースに手を引かれ、立ち上がる。確かに今まではほとんどミアを相手にしてはこなかった。相手にすれば、付け上がってヒートアップすると思っていたから。でも、もしそうじゃないなら。私を羨ましく思って、憎らしいと思っているなら、キースの言うように褒めるくらいは出来ないこともないだろう。どうせこれ以上、悪化しようもない関係性なら、何かやってみるのも悪くないと思えてきた。
「そうですね、一度やってみます」
「また、結果を聞かせてくれ」
「はい」
「さて、お腹も満たしたことだし、買い物に行きたいところなんだが」
「どこか行きたいところがあるんですか? いいですよ。先ほども言いましたが、別に何か欲しいものがあったわけでもないですし」
「いや、そういうわけにもいかないさ。なにせ、仕事を半分ももらってもらったんだから」
「そうですね、じゃあ、これは貸一つということで。今度何かあった時、お願い事聞いて下さいね」
「ああ、もちろんだ。ソフィアの願い事なら、なんでも叶えてあげるよ」
キースに二つ返事をもらうと、手を引かれたまま歩き出した。




