考察
侯爵邸へ戻ると、入り口ホールではミアが待ち構えていた。両腕を組みをして仁王立ちしている姿を見ると、まるで夜帰りの遅い旦那を待つ妻のようだ。
「ずいぶん遅かったですわね、お姉さま。夜会で何かあったんですの?」
「用事だ。そんなことよりこんな時間まで、こんなところにいたら風邪を引くだろう。いくら姉さんのことが大好きだからといって、お前には決まった方がいるんだ。姉ばかり追い掛け回していると、愛想をつかされてしまうぞ」
誰が見ても不機嫌だと分かるその様は、さすがに妹に甘い父でも苦言を呈す。父から見て、私を目の敵にして追い回すミアは、仲が悪いという風ではなくそんな風に映っているのか。見方や見る人が変わると、こう180度違うものなのかと感心してしまう。
「お父さま、別にわたくしは姉さまを追い掛け回しているわけではないですわ。ただ、わたくしの婚約者であるグレン様と一緒だったと聞いて、居てもたっても居られなくなっただけです。勘違いしないで下さい」
「ミア、私はグレン様が私に紹介したい方がいるとおっしゃったので、その方とお会いしていただけよ」
「誰なんですか」
「王弟殿下であられる、キース様よ」
「まさか、お姉さま、グレンさまの紹介で殿下と婚約なさるんですの」
勘がいいというかなんというか。ただミアは自分の婚約者よりキース様の身分が高いことが、よほど気に食わないらしい。ヒステリックにも近い声を、ミアが張り上げる。
「いい加減にしないか、ミア」
「だってお父さま」
「ミアにはマクミラン公がいるのに、何の問題がある」
「そういう問題ではないじゃないですか」
「では、どういう問題だというのだ」
父の言っていることはもっともだ。もしも仮に私が誰と婚約をしたところで、すでに婚約者がいるミアには全く関係のない話だ。それなのに、先ほどから目に見えるほどの対抗心に似た怒りをひしひしと感じる。瑞葉の時もそうだが、私がこの子に何をしたというのだろう。なぜそうまでして、私が幸せになるのが気に食わないのかが全く分からない。
「ミア、私は貴女がここをグレン様と継いだら、出ていかなくてはならないの。そのために、グレン様にはお仕事の口利きをしていただいたのよ。そこで、たまたま私の知識に興味を持った殿下に紹介されたというだけよ」
「ふーん、たまたまね。お姉さまのどこに、興味があるというの」
「いくらなんでも言いすぎだぞ、ミア。ソフィアは王立学園を二位で卒業しているんだ。王宮は男女の差別なく、優秀な人材はいつでも募集している。そこにソフィアが採用されれば、妹としても喜ぶべきことではないか」
ちなみに、主席はグレンだ。いつも、どんな教科においてもグレンには勝つことが出来なかった。
「考えすぎよ、ミア。お父様、私は疲れたので部屋に戻らせていただきますね」
「そうしなさい。ミアももう寝る時間だ」
そう言って父がミアを追い払う。まだ私に何か言いたげなミアを無視し、部屋へと戻った。
部屋にはランプがともされており、テーブルには夜会で食べられなかったであろう私のために夜食が置いてあった。実際、今まで何も食べていないので、お腹が空いていたところだ。ルカに感謝しなければと思いつつ、パンに手を伸ばす。窓の外はすっかり夜の帳が下り、月が庭を明るく照らしている。ベッドの縁に座り、パンを頬張る。フランスパンのように硬めのパンだが、ほんのり甘い。
ふと、パンを持っていない反対の手を見た。急にキースが手にキスをしたことを思い出す。
「んー、ばかばかばか」
手を一生懸命振り、遠ざける。しかし自分の手は、もちろんどこかに行くはずもない。
こんなことして、遊んでいる場合ではない。キースが家に求婚に来ると言っていかが、もしそれが本心なら困ったことになる。今の状況のミアの前にキースを出すのは、いろいろまずいだろう。あの性格だから、きっとキースの前では露骨に敵対心を燃やすようなことはないだろうけど。でも、今までみたいにキースに媚びを売られて、もし、キースの心がミアに行ってしまったら。
「はぁ。何考えてるんだろう、私……」
別にすごくキースが好きというわけではない。ただ、自分を好きだと言う人がミアに全部取られてしまうのは、やっぱり面白くはない。
瑞葉と瑞希だった頃、いつも瑞希はクラスの中心にいた。同じ顔なのに、引っ込み思案の私とは違い、よくしゃべり、よく笑い、たくさんの友達に囲まれていた。最初こそ頑張ろうと思っても、いつも瑞希のペースに飲み込まれ、私はひとりぼっちだった。でもそれだけなら、まだ気にすることはなかった。自分の性格が悪いと諦められたから。現実はそうではなかった。瑞希はいつでも、一人で可哀相な私の元に友達を連れてきた。わざと自分と私とを比較させることで、優越感を味わうように。だから本当は高校だって、同じところになんて行きなくなかった。そのために受験勉強を頑張ったというのに、あっさり推薦で同じ高校へ入って来た。その頃から、家で過ごすことも苦痛になって来た。母は瑞希にべったりで、相変わらず父は家のことに無関心だったから。
「そう考えると、今はまだ幸せだ」
ベッドに寝転ぶ。父と母との関係は良好だし、ミアにはグレンがいる。このまま父の言うようにミアの関心がグレンに行けばいいのに。でも、なんとなくそうはならない気がする。私がミアに、瑞希に何をしたというんだろう。
ともあれ、キースに屋敷まで来てもらうのはまずいことには変わりない。明日朝一番に手紙を書こう。妹が婚約式の用意で忙しいため、他の場所でお会いしたいと。
そこまで考えると、体温がゆっくりとベッドに吸い込まれるように広がっていく。このまま寝たら、朝ルカに怒られるだろうなと思いつつも、眠気には勝てず瞼が重くなっていった。




