婚約
「紹介する前に、もうそんなに仲良くなったのですか?」
「ああ、グレンか。今ちょうど彼女を口説いているところだ」
「……」
それこそ不敬罪に当たるのではないかと言わんばかりに、呆れたような顔をグレンが向ける。
「露骨すぎだろ。こんなに美しい人を口説いて、何が悪い」
「はぁ。まったく、あなたという人は……。とにかく、奥へ行きましょう」
グレンは殿下の言いたいことなど意に介さずと言わんばかりに、歩き出す。広間集まった大勢の人たちの隙間を抜けて、奥に進み出した。どうやら、どこか落ち着けるところでということらしい。
それにしても、グレンが紹介したい人がまさかキース殿下だったなんて。そう考えると、このドレスの色が殿下の瞳の色に似ている辺りからして、あまりいい予感はしない。
「全く、お前はいつもそうだな。可愛げがない」
「あなたこそ、男に可愛げなんて求めてどうするのですか」
「ソフィア嬢、ここは執務室になる。入ってくれ」
殿下に促され、広間を抜けた先にある1つの部屋へと通された。赤い扉を開けると、中は私の部屋の2倍くらいの広さがある。書類が山積みにされた執務用の机、来客用の机とソファー、奥には簡易用だろうか、ベッドまで置かれていた。あまり不躾にならないように、見渡してから入室する。手慣れたようにグレンがソファーに腰掛け、手招きした。グレンの隣に座るのもなんだかおかしい気がして、対面に腰掛ける。すると奥で上着を脱いできた殿下が、私の隣に座った。
「あの、殿下。すみません、すぐ移動します」
「移動? どこに行ってしまうんだい?」
隣に座り、私の手を掴む。なぜそこで手を掴むの。今までこんな扱いをされたことがないので、免疫がなさすぎるのだ。
「ほらほら、からかうのはそれぐらいにしておいて下さいよ。ソフィアは仮にも僕の義姉になる方ですからね」
「別に口説くのに、いちいち義弟の許可はいらないだろ」
「からかう……」
そう言われ、のぼせていた自分が恥ずかしくなる。今までモテたことはない。しかしこれはモテたわけではなく、ただからかわれただけ。恥ずかしさは、だんだん細やかな怒りに変わる。
「お戯れはお辞めください、殿下。私は殿下のとこの猫たちとは、違いますから」
「そんな意味ではなかったんだが。グレン、ソフィア嬢を怒らせてどうするんだ」
「殿下のそのキャラのせいです。僕のせいではありません。ソフィア、この中は僕たち3人だけだ。いつも通りで構わないよ。殿下に気を使う必要性は全くない」
宰相候補にも関わらず、随分な物言いである。しかしそれは逆に、それほどまで2人の仲がいいとも言える。
「そうですか……。で、グレン、なぜ私はここへ連れてこられたの?」
「言っただろう。会わせたい人がいると」
「それがこの殿下なの?」
「なんだかトゲがある言い方で、俺は悲しい」
「ご自分の日頃の行いではないのですか、殿下」
「キースでいいよ、ソフィア嬢。敬語も必要ない」
「……キース様……。では、私のこともソフィアとお呼び下さい」
王弟殿下をまさか名前で呼ぶ日が来るとは思っても見なかった。しかし、よそ行きではない言葉でしゃべる会話は、夜会などより私はよっぽど楽しい。
「ああ、ソフィア」
嬉しそうにキースは名前を呼ぶと、再び手を握ろうとする。私は持っていた扇子で、ピシャリと叩く。
「キース様、婚約者でもない女性の手をむやみに握るものではないと思いますよ」
「これは手厳しい。さすが、グレンが見込んだだけある。今日ここへ来てもらったのは、少し話をしたくてね」
「どういったことですか。私に分かる話ならよいのですが」
「なに、簡単なことだよ。最近会議に参加するメンバーは年寄りばかりでね。若い子の話を聞きたくても、俺の周りは、ほら、あれだろ」
あれと言われ、この前のカフェの様子を思い出す。あの子たちでは、確かにまともな会話など難しそうだ。そもそも、そんなことを期待して側に置いておいたわけではないと思うのだが、人の趣味はよく分からない。私なら会話の通じない人間など、側にいるだけでめんどくさいと思ってしまうのに。
「確かに……」
「ソフイアは今の王都はどう思う?」
「王都ですか、活気に溢れていて、いろんなお店がありとても栄えていると思います」
「その答えでは、会議の時と同じになってしまうよ」
グレンが苦笑いをしている。そうか、そういった無難は返答ではなくてということか。
「そうですね、まず物価がとても高いです。屋台など、露店の物価はそれほどでもないのですが、土地単価が高いせいか、店舗を構える店の品物は総じて高く思えます。例えば、王都に憧れる若者がいたとして、どこかの街や村から出てきたとしても容易に定住することは難しいでしょう。また店舗と露店の格差からも分かるように、王都の貧富の格差はやや問題になりつつあります。貴族にとっては王城も近く、住みやすいのかもしれませんが、他の庶民にとっては中々住みにくい場所かと思われます」
「物価か、そういう視点の切り出しは今までなかったな」
「会議しているメンバーが、なんせ貴族ですからね」
グレンが書記のように、サラサラとペンを滑らせる。
「確かに、このまま貧富の差が開くのはまずいな」
王都といえ、貧富の差が広がればスラム化は避けられなくなる。露天商たちが値上げを出来ないのも、そのためだ。露店で買うのは、基本的には庶民だ。そして働いているのも庶民である。そこが店舗のように値上げしてしまっては、彼らが食べていけなくなる。しかし値上げなければしないで、彼らの暮らしは楽にはならない。
「例えばですが、王都に住まう貴族への税上げはどうですか?」
「それは無理だよ、ソフイア。会議のメンバーはみんな貴族さ。自分たちが払うものを、簡単に上げさせると思うかい?」
「それはそうだけど……。じゃ、そうね。贅沢税じゃないけど、貴族が出入りする店舗の商品に課税をかけるのはどう?」
この世界には消費税というものは、存在しない。そう考えると、取り立てといっては人聞きが悪いが取れるところは、まだあるはずだ。
「あとは、税を納めていない教会などにも一部納税義務を設けたり、冒険者ギルドや商会からも税を取るの」
冒険者ギルドや商会は、設立する時にはお金を国に払うものの、法人税のようなものはない。この前、ルカから冒険者になるにも手数料としてお金がかかると教えてもらった。また依頼主からも、何パーセントかの手数料を取っているのだ。そう考えるとただの仲介業者にしては、いい儲けだと思う。
「教会は難しいかもしれないが、冒険者ギルドと商会ならなんとかなるだろう。それに、商会へ言えば店舗からの税を取ることもさほど難しくないと思う。初めは反発もあるだろうが、何かその分の優遇策や見返りさえあれば大丈夫だろう。これは、いい案だな」
「お褒めいただき、ありがとうございます、キース様」
にこやかに言葉を返すと、先ほどまで前のめりで話を聞いていたキースはソファーに深く背を預ける。そして両手で顔を覆い、何やら考えているようだった。
「キース様?」
「グレン、俺の負けだ」
「だから言ったではないですか。いい加減、腹を括るべきだと」
二人の会話がイマイチ分からないが、何かを賭けていたか何かだろう。それにしても、今の税の話からどこに繋がるというのか。
「ソフイア、君に婚約を申し込みたい。いいだろうか」
隣にいたキースが手を取り、見つめてくる。今まで見たチャラチャラした表情は微塵もなく、真剣そのものだ。その茜色の瞳に吸い込ませそうな感覚を覚える。
いやいや、そうではなくて婚約って。
「え、急に何なのですか、婚約って。グレン、これは一体どういうことなの」
「キースが女の子は可愛いけど、結婚を考えるような相手はいないと前々から言っていてね。今の立場上、そういうわけにもいかないだろうと言っていたんだ。それで、どんな人なら考えれるんだと聞いたら、僕を女にしたような子がいれば考えてやると言ったものだからね」
「ちょっと待って、私がグレンの女版ってこと? そんなに腹黒くもないけど」
「ちょっと待ってくれ。僕は知識のことを言っていたんだが、これは少し話し合いが必要かな」
びっくりして、つい本音が出てしまう。いやしかし、これでは褒められているのか、どうなのか分かりづらいんだけど。
「君みたいに美しく、そして聡明な人は今までに会ったことがない」
興奮するあまり、キースに手を握られていることをすっかり忘れていた。
「あのですね、まだお会いしたのは二度ほどしかないではないですか」
「時間の問題ではないんだよ。君となら、良きパートナーとなれるはずだ。もしそんなに時間が気になるなら、毎日でも口説きに行くよ」
鏡を見なくても、自分の顔が赤くなっているのが分かる。つい最近、親友と呼べる人が出来たばかりだというのに、婚約者もだなんて。何がなんだか、ついていけない。
「急にあれこれ言われては、ソフィアも混乱していますよ、キース」
「ああそうだな。だが、前向きに検討して欲しい。俺は本気だ。侯爵にも近々挨拶へ伺いさせてもらうよ」
苦手なタイプの人間だったはずなのに、急に、それもこんなに真剣に言われると断りづらい。そして何より、この瞳を見ていたいなと、ほんの少しだけ思う自分がいることに自分が一番驚いた。




