再会
馬車を30分ほど走らせると、王城へとたどり着いた。王城は白を基調とし、ゴシック建築の大聖堂のような造りに似ていた。侯爵家も随分大きな建物だと思っていたが、城の大きさは比較対象にすらならない。一人では迷子になるのも簡単そうだ。今までも何度か来たことはあるのだが、記憶を取り戻してからは初めてなので、また違って見える。
馬車を降りた私たちに、グレンが軽く手を上げた。グレンの横には不服そうな表情を隠さない、ミアがいる。ミアはグレンから送られたという萌黄色のふわふわしたAラインのロングドレスを身に着けていた。グレンの瞳の色に合わせたドレスは、ミアによく似合っている。
しかし、この差はなんだろう。自分の婚約者には落ち着いた控えめなドレスを送っているのに、私にはこんな流行の最先端か何かは知らないが、太ももの見えるドレスを着させるなんて。
「お待たせして申し訳ありません、グレン様。少し仕度に手間取ってしまいまして」
よそ行き用の敬語を使い、丁寧にお礼を言いながらも嫌味を混ぜる。
「いやぁ、想像以上だね」
どういう意味で? 聞きたい気持ちをぐっと抑え込み、にこやかにほほ笑む。
「婚約者の姉にまでお気遣いいただくなんて、父がとてもお礼を言いたいそうで、後から顔を出すと言っておりましたわ」
「いやいや、それは困ったな。そんなつもりはなかったんだが」
「グレンさまはお優しいから、お姉さまが夜会に着ていくようなドレスがないと思って、わざわざ用意して下さったのですよ」
本当はグレンが私のドレスを用意したこと自体、納得してないはずのミアがグレンを庇う。
2人の仲が良く、私へのミアからの被害が減るならなんでもいいんだけど。
「そうね、この子は今までこういったことに興味がなかったですものね。お心遣い感謝しますわ。でも、ミアが嫉妬すると困りますから、ほどほどになさって下さいな」
「そうですね、申し訳ありません、侯爵夫人、それにミア。今度からはちゃんと君だけに贈ることにするよ」
「まぁ、グレンさま、うれしい。あんまりお姉さまにも優しくするものだから、ミア嫉妬しちゃうところでしたわ」
ミアがグレンの腕に自分の腕を絡め、しなだれかかる。グレンはそれを見て、満足げにほほ笑むと、ミアの髪をなでた。こういったラブラブの世界は、二人だけに時にして欲しいものである。
「後ろがつかえてきましたので、参りましょう」
「そうだね、行こうか」
『グレン・マクミラン様、ブレイアム侯爵家様、入場します』
私たちの入場を告げる声に、会場からの視線が注がれる。次期宰相候補だけあって、グレンとお近づきになりたい人間ばかりだ。しかし、二人の後ろを歩く私にまで視線が注がれているのはどうやら気のせいではないようだ。男女問わずに、いろんな人と視線がぶつかる。
きっとこの派手なドレスのせいだ。恥ずかしくてどうしたらいいのかも分からない私は、あきらめてほほ笑むことにした。無難にほほ笑んでさえいれば、何も言われないだろうと高を括ったのだ。
「まぁ」
「あれが……」
「わぁ」
感嘆のような、いろいろな声が聞こえてくるが気にする余裕もない。グレンが広間の中央付近で立ち止まり、私たちもそれに続く。ミアがちらりと後ろを振り返り、何か言いたげに睨みつけてくる。
「せっかくのかわいい顔が、そんなでは台無しよ、ミア」
「あら。お姉さまがあまりにお美しく化けられたので、眺めていただけですよ」
化けられたって。もう少し言いようがあると思うんだけど。
「あら、お世辞でもうれしいわ。ありがとう」
『国王陛下、王妃殿下の御成り』
すぐさま、会場にいる者たちは前を向き、最上級の礼をする。
「皆、夏を前に集まってくれてありがとう。今年の夏はまたいつも以上の年になりそうだ。体に気をつけて過ごして欲しい」
王は王妃と寄り添いながら、にこやかな笑顔を向けた。今王は前王の長男にあたり、とても物静かで民に優しい王だと言われている。ただ王には子がなく、昨今、王の健康状態について議論されていると噂があるくらいだ。あくまで噂の域だが、子がいない以上継承問題もあるため、王家は問題山積な状態だ。
「では、皆、楽しんでくれ」
王の挨拶が終わると、また皆が思い思いに話始める。会場の音楽が変わり、ダンスも始まった。
「では、ミア。国王様に挨拶をにしに行こう」
「はい、グレンさま」
二人の目的は王への婚約の報告だ。王への報告をすれば、もう結婚は決まったようなものである。幸せそうにミアが頬を赤らめた。こうして私にさえちょっかいをかけなければ、普通の女の子なのだろう。前世での因果なのか、それとも瑞希個人の感情なのか……。
「ソフィア嬢、ミアと国王様へ挨拶に行ってきたら、合わせたい人がいる。それまでは、どこかで待っていて欲しい」
「はい、グレン様。承知しております」
ソフィア嬢、グレン様と、こういった場での呼び名がなんだか、くすぐったい。
「頼むから、どこかの誰かに引っかけられないでいてくれよ」
グレンが珍しく苦笑いしている。私は何を言われたのか一瞬分からず、きょとんとし、小首をかしげた。
「……はぁ。やりすぎたな。行こう、ミア」
何がやりすぎなのだろう。私にはさっぱり分からない。
「わたしもお友達のとこへ行ってくるけど、あなただけだと少し心配ね」
扇をパタパタさせながら、母まで訳の分からないことを言い出す。
「お母様、私は子どもではないのですよ? 一人でもちゃんと待てますけど」
「はぁ、子どもではないからよ。全く、自覚がないのも困ったものだわ。これ、貸してあげるから、顔隠しておきなさい」
母は自分の持っていた扇子を手渡す。扇子など、どうするのだろうと思いつつ、とりあえず受けとる。顔を隠したら前が見えないではないか。
「踊る気もないので、何かつまみつつ、壁の花と化していますので大丈夫ですよ」
母はため息をつくと、歩き出した。
私はお目当ての食べ物の元へ向かう。基本、夜会は立食形式になっている。飲み物を受け取り、今日は何があるか眺めた。食べ物へ向かう人は少ないので、ここならグレンを待つのにもちょうどいいだろう。
「このような場で、あなたのような美しい方にお会いできて光栄です」
「?」
「わたくしめにも、挨拶をさせていただけないでしょうか、美しい方」
デザートを眺めていた私は、後ろを振り返る。数名の男性たちが、囲むように人だかりを作っていた。どうやら皆、食べ物が取りたいわけではないようだ。
「えっと」
「ああ、お美しい方。お名前をお聞きしてもよろしいだろうか」
私の名前でいいのだろうか。何かの間違いではないかと、回りを見渡しても、ここには女性は私しかいない。
「あの」
「ああ、そんな困った表情すら美しい」
名乗ればいいのだろうか。こんなことは初めてなので、対処の仕方が分からない。咄嗟に扇子を広げ、愛想笑いを浮かべる。扇子もこんな使い方でいいのだろうか。母たちのため息は、このことだったのかもしれない。
「ソフィア・ブレイアムですわ」
「あなたが、氷の美姫。誰があなたの氷を溶かしたのか、教えていただけないだろうか」
「ああ、お美しい。このような場であなたとお話できるなど、光栄です」
集まった男性たちが、口々に賛辞を述べる。それにしても、氷を溶かしたっていうのは何だろう。ただ、父が口説いてくる男名前を覚えておけと言っていたなと、他事を考え出す。
ドレスが変わると、周りの態度はこんなにも違うものなのだろうか。公爵家のドレスの効果は、恐ろしいな。
「どうか、向こうで二人きりでお話出来ないだろうか」
「いや、どうかわたしと」
「あ、あの、えっと。私、人を待っておりまして」
「悪いが、わたしが彼女に先約を申し込んであるんだが?」
その一言に、皆が振り返る。そして声の主を確認すると、先ほどまでの人だかりがすっと退いていった。
「これは、王弟殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅうございます」
まさか一番合いたくなかった人物に声をかけられるとは思ってもみなかった。助かったとはいえ、次から次へと今日はなんて日なのだろう。
「覚えていてくれたなんて、光栄だな」
「まさか、この国で殿下を知らぬ者など、どこにおりますでしょうか」
もちろん前回は気付かなかったのだが、そこはスルーして欲しい。殿下は、にこやかに私の手を取る。こういうことが自然に出来てしまうあたりが、私からすると、チャラいと思えてしまう。
「今日はまた一段と美しい。氷の美姫と謳われるだけある」
「私、そのような二つ名で呼ばれたことはないのですが」
「それはまた、知らぬは本人だけということかな。ソフィア嬢、一曲踊っていただけますか?」
断りたい。ダンスは元々得意ではないのだ。しかし、前回の不敬罪の件もあり、これ以上印象を悪くするのは得策ではないことは分かる。
「私、あまりダンスは得意ではないのですが、それでもよろしければ」
私はしぶしぶ手を握り返す。周りの人がどこか落胆したようにも見える。
「光栄だ」
殿下に手を引かれ、広場の中央に出た。端っこでいいのにと思いつつも、殿下と踊るという時点で端という選択肢はないのだろう。
ゆったりとした音楽から、やや早めのテンポの曲へ切り替わる。殿下に合わせ、必死に足を動かす。
「一つ聞いてもいいかい?」
余裕な殿下が声をかけてくる。おそらく踊っていれば、二人の会話は他の人間には聞こえないだろう。しかし、私はこのステップに付いていくのに必死だというのに、なんとも恨めしい。
「はい、殿下。私でよろしければ」
「君とグレンの関係は何だい?」
「グレン様ですか? 妹の婚約者ですが」
急に何を聞くのかと思えば、なぜここでグレンの質問が出てくるのだろう。
「んー、そういうことではなくてね。君から見て、グレンはどんな人物なんだい」
「頭がよく切れて、物事への探求心がとてもある方ですわ」
「いやね、君たちがとてもよく似ていると小耳に挟んだもんでね。本当は恋人ではないかと思っていたんだよ」
「まさか。私、あそこまで不愛想でもないですし、性格も悪くないですわよ。あんな腹黒メガネが恋人だなんて、心外もいいところですわ」
「くくくくくっ。まさか、貴女からそんなことを言われるなんて。腹黒メガネか、これはいい」
よほどツボなのか、踊りながら上機嫌だ。
「今日一番の楽しい話だな。しばらくこの話題で笑えそうだ」
少し、言い過ぎただろうか。でも、妹の婚約者であるグレンと恋人だと言われ、思わず言い返してしまった。もっとも、近くで見てきた私が言うのだから、ほぼ間違いはないと思う。
やっとの思いで、踊りきると礼をした。これで失礼させてもらおうと思った時、グレンがやって来た。
そういえば、誰にも引っかけられないように釘を刺されていたな。それなのに、私は殿下と中央で踊っているなど、嫌味が飛んでくるに違いない。そう思っていた私にかけられた言葉は意外なものだった。




