転生侍女の繰り上がり婚
ここは王宮庭園にあるロクゼム王子お気に入りのガゼボだ。
「カシュナ嬢との婚姻は解消されたよ。」
端整な顔はそのままでさらっと言ったロクゼム王子は読書の合間に紅茶を一口飲んだ。
青天の霹靂。寝耳に水。
王子付きの侍女である私、ミルネルの頭に前世の知識が駆け足で通り過ぎて行く。
茫然とした一瞬に危うくティーポットを落としそうになった。
王宮敷地内だから護衛騎士は少し離れた場所で警備中しているが、陶器の割れる音などしようものなら、すっ飛んでくるだろう。
「まさか修道院に追放とか処刑なんてことは…。」
恐る恐る訪ねるそれは侍女としては行きすぎている。
しかし何だかんだ付き合いの長い私達は二人の時だけはいつもこんな感じだ。
「する理由が無いけど、ミルネルはしてほしいの?」
口の端を緩めてページをめくるロクゼム王子に私は顔を強張らせ全力で首を振った。
前世その手の小説を読み漁った私が断言しよう、カシュナ侯爵令嬢は転生者だ。
王子との初対面で気絶した我が儘令嬢カシュナ嬢の代わり様は確信にたり得るものだった。
療養が明けたカシュナ様はクールな義兄との冷えきった関係を解消し、幼馴染みのワンコ騎士見習いのトラウマを一緒に乗り越え、前宰相の孫で生意気なお坊っちゃんをツンデレに進化させていった。
ロクゼム王子とだって、このガゼボでカシュナ様と二人、楽しそうにしていた日もあったのに。
「カシュナ様にあーんとかしてましたよね…?」
そうだ、この男『この苺も美味しいよ』とか言って手に持った苺をカシュナ様の口に入れたのだ、ニコニコと恥ずかしげもなく。
睨むように見る私に顔を上げたロクゼム王子はあの日の笑顔だ。
「今だから言えるけど、あの時の私はミルネルの反応が知りたかったんだ。」
「私はちゃんと侍女として空気に徹していましたよ。」
「空気は赤面しない。」
思い出し笑いまで優雅な王子様を今度はちゃんと睨んでおく。
耐性無くて悪かったわね。こちとら色恋なんて前世から無縁なんですよ。
「カシュナ様まで巻き込んで。おふざけの度が過ぎます。」
「うん、ごめん。」
言いながらロクゼム王子の視線はもう手元の本にあって、着々とページが進んでいる。
読書と雑談を同時に行うのはいつもの事。便利だなと思う。
「カシュナ様の何が駄目だったんですか?美人で性格もいい、所作も完璧、ロクゼム様の事だって一番…あ。」
指折り数える途中、二人のガゼボでのやり取りを思い出した。
『カシュナは誰が好きなの?』
それは別れ際のさりげないロクゼム王子の一言だった。
それに対してカシュナ様は浮気の弁明みたいに慌て、こう言ったのだ。
『大丈夫ですよ!一番好きなのはロクゼム様ですから!』
一番て。順調過ぎる逆ハーライフを満喫し過ぎだよ、せめて、愛しているのはロクゼム様だけです!とか言えなかったのかカシュナ様。
大丈夫ってのがまた、選ぶ側の余裕に聞こえちゃったんだよ。
もしかしてアレのせいなのか、ロクゼム王子、案外心が狭いのね。
「アレのせいでは無いよ。」
まだ何も言ってないのに否定されてしまった。
まあ、とロクゼム王子が続ける。
「妃として一番優秀なのはカシュナ嬢だったんだけどね。」
引っかかったのは、妃として。
それはつまり他に好きな子がいるわけで。
「ま、まさか、噂の男爵令嬢と結婚する気ですか…!」
悪手だ、それは最悪国が無くなるヤツだ。
「あの娘か。暫く泳がせていたけど単独で動いているようだし、知っている情報は私やカシュナ嬢周辺の一部の男の事ばかりだからね、もう近付ける理由はない。」
「あ、ですよねぇ。」
私はヒロインなのよ!とか言ってそうな安定のお花畑ヒロインっぽい男爵令嬢ちゃんだったもの、知っている情報なんて彼女が主役のゲームで好感度に左右するものばっかりだろう。
お忍びの視察先で出くわしたり、知る筈のない王子の好物を押し付けてきたりと攻略に励んだ結果、男爵令嬢ちゃんは要注意人物に認定、監視がついた。
お陰で男爵令嬢ちゃんがイジメを捏造していたのもバッチリばれて、カシュナ様の冤罪は回避出来た。
ロクゼム王子が用無しと決めたなら、もう男爵令嬢ちゃんの話題があがる日は来ないだろう。
「ちなみに、カシュナ様はどうなるんです?」
ともあれ私が気になるのは王子がざまぁされる可能性だ。
王子の進退はお付きの侍女の私にも影響するのだから。
「婚約者の枷が無くなればアモンドが嬉々として囲い込むさ。」
一人娘のカシュナ様が王家に入る前提で侯爵家の跡継ぎとして親戚筋から引き取ったのがアモンド様だ。
「ミルネルだってアモンドの執着には気付いただろう?」
「まあ一応。ロクゼム様めちゃくちゃ睨まれてましたし。」
カシュナ様がロクゼム王子と話すだけで、アモンド様がゾッとする瞳で二人を見つめるのを私は震えて見ていた。
「カシュナ嬢が絡まなければ優秀な男なんだけどね。」
王子に向ける明らかな嫉妬、義妹に向ける親愛の度を越した溺愛。
思い出して寒くなった私とは反対に、ロクゼム王子が悪役みたいにクツクツ嗤う。
「だからこそ婚約解消は悪くない決定なんだよ。次期侯爵に恩を売る事で私が後ろから刺される危険性も消える。」
カシュナ様の父である侯爵様は近々隠居する噂もあるので、これはもう裏で色々な取り決めは終わっていると侍女の勘が告げる。
でも…。
「振り回されるカシュナ様があまりに不憫では。」
仮にカシュナ嬢の好きに2番3番が居たとしても、結婚の意思はあった訳だし。
あんまり雑な扱いははなぁ、復讐が怖いんだよなぁ。
「鈍感なミルネルですらアモンドの感情に気付いたのに、カシュナ嬢が気付いてない訳がない。彼女が本気で拒むなら手を貸す男はいるでしょ、本気のアイツから逃げられるとは思えないけど。」
そりゃワンコ騎士見習いとか前宰相のツンデレ孫辺りがチャンスとばかりに喜んでカシュナ様を助けるだろうけどさ、あの眼を知ってしまった私もあの二人じゃアモンド様には敵わないと思う。
私の予想では、カシュナ様はアモンド様の重い重い愛情に囲い込まれ、他の男に見向きも出来ない位の溺愛と管理が待っているに違いない。
婚約解消の泥を被ってまで譲ったロクゼム王子の安全の為にも是非、アモンド様にはカシュナ様を幸せにしてあげてほしい。
「お腹…大きくなる前に結婚式が出来るといいですね…。」
――――ピチチ。
何かを暗示するような白い鳥が2羽、青空を仲良く鳴いて飛んで行くのを見送ると、程よく手入れされた木々が揺れ、葉の擦れる音が耳を撫でる。
この外界と隔離されたような庭園を王族が長く重宝しているのも頷ける。
「…なんか、平和ですねぇ。」
パタン。と閉じた本の音に意識を戻すと、ロクゼム王子が紅茶の残りを飲み干していた。
栞はまだ本の中間辺りに挟まっているので読み終わった訳ではなさそうだ。
次の予定にはまだ早い、この時間は名一杯読書に充てるロクゼム王子にしては珍しい。
「………ミルネル、結婚しようか。」
紅茶を足すつもりで近付いたら、王子の長い睫毛はふわりと上がり、真摯な瞳とバッチリ目があった。
映っている私は何回か瞬きしてから動きだし、ティーポットを傾けた。
「なるほど。我が家は歴史だけは有りますし、長らく中立派。空いた穴を埋めるには丁度いいですね。」
歴史でいえば一二を争う我が家だけど、あるのは遠い昔の戦争で不毛となった広い土地と、堀つくされ棄てられた穴だらけの山だけだ。
そんな歴史に翻弄されたからこそ、派閥を作る気もなきゃ力もないし、何処にも属すこと無く国を見守ってきた。
「起こりかねない無益な派閥争いを防ぐ為ならばいくら中立派と言えど我が家も動かざるをえませんし。」
お一人様に慣れきった私にヤキモキしていた両親は喜んで了承しそうだけど。
「私がそんな事でミルネルと結婚するつもりだと?」
何故私は事実を言って睨まれるのか。
「だって絶対的なカシュナ様が居たから、良いとこのお嬢さんは残って無いですし…。」
まさかここまで来て婚約解消なんて、あの見るからに悪いことしてそうな侯爵様だって思わなかっただろう。
「後は、解消への経緯を知っている私なら話が早いからですよね。」
なんならこれが一番だろう。
首を傾げ、ロクゼム王子に確認する。
頬杖をつくロクゼム王子から悩ましい吐息が漏れた。
「そうだね、早い話がミルネルに拒否権はない。」
「わかってます。」
「いや、解っていないな。」
ゆったり立ち上がったロクゼム王子が、流れるように私の顎を指でクイと上げる。
「私が愛しているのは君だけだ。」
「――――――?!」
顔から湯気が出るってこんな感じか。
既に茹で上がりそうなのに、唇ギリギリの頬にキスまでされて、酸欠気味の私はとうとうティーポットを落としてしまった。
近づく護衛騎士の足音がする。
気絶寸前、ロクゼム王子が私にだけ見せる無邪気な笑みが焼き付いた。
「婚約者の枷が外れて本当に得をするのは誰かって事だよ。」
もしかして私が…。なんて浮かれていた幼い頃の自分に教えてあげたい。
私、やっぱりモブじゃなかったよ。