時間論 時間概念の研究 試論 Time theory
定義
時間概念の属性は 生理的か、物理的かで分かたれる
観念論的時間概念
物理的時間概念
その差異と相同関係
時間軸の三要素
A現在 今ここに存在する我としての時間の瞬間
B過去 我がかつて、有りし日々の時間軸としての過去
C未来 我がたどるであろう時間の想定。
今を過去に刻めば過去になり
今を未来に刻めば未来になる、、という命題
全てが「今」を基準軸としての時間概念とその属性。
今が過去になる
今が未来になる
という設定、
なぜならわれは今にしか存在しないからである。
過去のわれは今いない。
未来のわれも今はまだいない。
今ここにいるのがわれそのものだからである。
公理
ニュートン物理学においては時間は絶対である。
絶対時間として不動である。
相対性理論においては時間は相対的であり、
簡単に言うと「伸びたり縮んだりする」
ただし時間概念があるのは認識作用能力を持つ人間だけである。
知的生命体にしか時間概念はない。
ということは
時間とはまたおそろしく、生命的なものでもあるだろう。
生命時間という概念
成長とか、老化とかの時間概念。
つまり比較する対象ありきの時間概念。
虚空を限定してその空間に時間経過があるかといえば、、ないのである。
虚空はなんら時間経過を示す座標軸がないからである。
宇宙における時間とは、ビッグバンから始まる
その時、、時間と空間が誕生した。
それ以前には時間も空間もなかった。
それ以来、宇宙は膨張を続けて、宇宙空間の物質は星々を誕生させて
時間経過を形成してきた。
したがって宇宙の終焉とともに時間も空間も消滅する。
ただしわれら知的生命体にとっての時間は元t現実的であって
生物時間というのが時間そのものなのである。
生まれ成長して老化してゆく
その過程そのものがわれらにとっての生な時間概念である。
それ以外にわれらにとっての時間概念はありえない。
そういう意味では生物にとっては
「永遠の今」しか認識対象ではありえないのだろう。
なぜならわれらは「今」を生き続けるしかないのだから。
過去は幻でしかないし
未来は妄想にすぎない。
われ(コギト)にとって「今」しかとらえられる時間はないからである。
そういう意味で私たちは「永遠の今」を生きている。
附則
今の科学においては
時間は伸びたり縮んだり
歪曲したり
ループしたりと
その置かれた「場」において相対的に推移するというのが一般論であるが
素粒子論の世界においては
絶対時間が一部で復活してきているという
相対時間概念を、覆す時間が観察されるからである。
時計とは時間概念を著わすものでも時間そのものを著わすものでもない。
じゃあなんなのか?
時計とは物理的に作動しているマシンにすぎない
時計の針が一周したということは、ただ一周したに過ぎない。
そこに時間経過を読み取るのは人間の我見にすぎない、
時計はしたがって時間の存在を証明しない。
時計と時間は本来何の関係もない。
時計=時間ではない。
時間とは生物にとっては「脈動」する生命活動そのものなのかもしれない・
そういう意味で「生命」と「時間」は直結する。
宇宙時間さえも星々の誕生と成長と老化という成長活動の脈動が
時間なのであるのだから。
運動
成長
そういう活動がない空間には時間もまた存在しない
哲学的見解
カント
時間・空間は人間の認識形式におけるアプリオーリな外部世界の認識法にすぎない
ベルグソン
時間は「純粋持続」である。
タイムトラベルは可能か?
時間逆行はできるか?
時間を分解できるか?
パラレルワールドの時間
反宇宙の時間
反物質時間
カゲロウの時間
蝉の時間
人間の時間
恒星の時間
宇宙の時間
とらえ方も経過も全く違う。
時間操作は可能か
時間を止めたりできるか?
そもそも時間って存在するのか?
という根本疑問がある。
我々が時間と思ってるものは
見せかけにすぎず
ほんとはそんなもの存在しないのかもしれない。
光速度不変の法則
だが?
我々の宇宙以外の宇宙ではそうではないかもしれない。
アビダルマ哲学においては
時間とは刹那滅であるとされる。
つまり「永遠の今」しかない、、ということである。