第12話 不穏
俺が学校に復帰してから、最初こそドタバタしたものの、数日がたてば状況にも慣れ、日常になった。
そして、クラスの面子も大分俺の事にも慣れてきたみたいで、今では普通に話す人も増えた。
……ある一角を除いては。
ガン!と派手な音が教室中に響き渡る。
周りの生徒達がビクッ!と肩を揺らして、その方向を見た。
俺も、その音のした方向を見据える。
「…………」
そこには、無言で机を足で蹴っている女子生徒がいた。
彼女の名前は、天羽 凪津。
つい先日、俺に向かって悪意ある言葉を放った女子生徒だった。
◇
…気に食わない。
今まで、クラスにいなかったあの男。
何やら死んだと噂されていたが、先日意識を取り戻し、今やクラスに自然と馴染みはじめたあの男。
最初は、何とも思っていなかった。
同じクラスの信楽がそいつの復学を祝おうと躍起になっていた時も、大して何も思わなかった。
だが。
そいつの顔を見た瞬間思ってしまった。
あいつは特に何もしていないのに、なんで最初からクラスに馴染もうとしているのだろうか。
そもそも、私に何故こんな思考が芽生えたのか。
分かりきっていた事だった。
…自分が、今この現状に不満を抱いていたからだ。
◇
思えば、昔からこんなだった。
物心ついた頃には母親も父親も夜遅くまで家に帰ってこなかった。
最初の頃は仕事だのと言い聞かせられてきたが、本当に仕事に精を出しているならば、もっと裕福な生活が送れているはずだった。
2つ上の兄と二人きりのボロアパート。
それでも、その頃は楽しかった。
そんなに遊び道具もない部屋で、兄が様々な遊びを考案してくれていたお陰で寂しさもまぎわらすことができた。
小学生になり、そんな日々にも疑問を抱かずに友達と遊び、会話すら楽しさに溢れていた、そんなある日。
その日は休日で。
訪れた友達の家で、私は気がついてしまった。
…普通の家庭の在り方というものに。
朝、目が覚めれば両親がそこにいる日々。
何気ない会話でも笑顔が耐えないリビング。
とても眩しかった。
自分が惨めに思えた。
同時に、自分もあそこに行ってみたい、と思い始めた。
そしてある日の晩。
珍しくリビングに両親が揃っていた。
そんな光景を見て、今しかない!と両親に話しかけようとした。
ーお父さん、お母さん、一緒に遊ぼう。
しかし、その言葉を出すことは無かった。
…いや、出せなかったのだ。
なぜかその場には兄がいて、悲しげに俯いていた。
そんな兄が気になって、口にするタイミングを失ってしまった。
そして、凪津が部屋に入ってきたことに気がついた父親が口を開いた。
「お、凪津、いい所にきたな。ちょっと話があるんだけど、いいか」
その明るい様子に、凪津は心が踊ったのを今でも覚えている。
聞けば友人達は、休日になれば遊園地や動物園等に連れて行って貰っているそうだ。
自分は行ったことがなかったのでピンとこなかったが、皆が楽しそうに話すので、大変興味をそそられていた。
ー私もいつか、行ってみたいなあ。
期待ばかりが膨らんでいた。
そして、その時。
ひょっとしたら、私も楽しい所に連れて行ってくれるのではないか。
場所ではなくとも楽しい事をしてくれるのではないか、そう期待した。
だが、次に発せられた父の言葉は。
「なぁ、凪津。父さん達、【離婚】しようと思うんだ」
戦慄した。
その言葉が一瞬理解出来なかったということもあるが、そんな事を楽しそうに言った父に対し、幼い凪津は恐怖すら覚えた。
…無論、今でも思い出すだけで鳥肌がたつ。
「…で、凪津は、父さんと母さん、どっちについて行きたい?」
端的に発せられていく言葉。
もう会話の内容はほぼ覚えていないが、楽しそうに別れ話を切り出す父親になどついて行きたくはなかった。
どうやら兄も、私と同じ選択らしかった。
「そうか、両方お前の方に行くってさ、がんばれよ」
どこか他人行儀な言い方で母親に向かって言葉を投げる父。
もう、何も聞きたくなかった。
…結論から言うと、母親も父親と同じような人間だった。
移り住んだ居住も前と変わらぬ一部屋しかないアパート。
前と変わらず夜遅くまで家を開ける母親。
ーある日を境に、母親は家に帰ってこなくなった。
それからの事は今でも鮮明に覚えている。
そんな生活がやがて学校中にも知れ渡った。
最初の頃こそそんな私でも今までのように接してくれると思っていたが。
どうやらこの世界はそんなに甘くないらしかった。
かつて共に友人と認めあった人も、離れ。
最初の頃そんな私を哀れんで接してくれていた人達も、離れ。
だんだんと足場が無くなっていくような感覚。
…思い出すだけで胸が痛くなる。
それは、高校に入っても変わらなかった。
中学生の知り合いが誰もいないような高校を選択した。
頭はそんなに悪い方ではなかっため、余裕を持って入学する事ができた。
だが、ここでもかつてのように私の家庭環境を知る人間が続出した。
それはそうだろう。
いくら、自身との知り合いがいなかったとはいえ、同級生の他校の知り合いに、私の事を知っている人がいるのは考えれば有り得る話だった。
だから、私は。
そんな噂に相応しい人間になろうと決めた。
ありもしない噂を元に、それらしい人間になるのはもはや容易い事だった。
自慢だった艶やかで輝くような黒いストレートロングの髪は、今や見る影も無い。
けばけばしい金色に彩られたぎしぎしと傷んだ髪と化したのだ。
それだけではない。
くっきりとしたきれいな二重の目。
健康的に維持してきた肌。
全てが派手な化粧でかき消されていた。
どうだ、お前達の想像通りだろう。
そんな私を見た周りの反応も、私の想像通りだった。
つるみ始めた友達も、けばけばしい化粧に派手な装飾品といった、まあ、そういう人達だった。
そして、私もそういう人を演じ始めた。
それでも、私は生きていく。
この腐った世界の、腐った人間どもを、いつか見返す為に。
◇
そして。
そいつの顔を見た瞬間芽生えた、そんな思考が芽生えた凪津は、発してしまった。
「あら、白鳥死んでねぇの?つまんないの」
余りに道徳心に欠ける言葉。
だが、そうでもしないと自らの気持ちのやり場が見つからなかった。
見れば、件の【白鳥 晴】も、驚愕に目を見開いていた。
いい気味である。
白鳥に腹がたった理由は、二つあった。
一つは、クラスの皆も大してそんなに白鳥と話した事もないはずだが、恵まれたあいつの恵まれた友人のお陰で、1ヶ月も出遅れたクラスメイトを優しく出迎えていた点。
それは、白鳥が現れる前から腹ただしかったが、そんな行為に走ってしまった理由は、もうひとつの方だ。
その、目だ。
優しそうな目をしていた。
それだけで、彼の性格は図り知る事ができた。
だが、そんな事ではない。
私が感じたのは、そんな事ではない。
まるで、自らが様々な苦しい体験をし、悩み、悲しんできたような、達観した目。
それにも関わらず、その目は、とても真っ直ぐで。
希望に満ち溢れた目だった。
とても眩しかった。
憎たらしかった。
だから、そんな言葉を発した時は、清々しい気持ちになった。
このまま、こいつも落としてやりたい。
二度とそんな目をするな。
私に、そんな目をみせるな。
私は、クラスメイトの同意を集め、白鳥の心を折ろうとした。
だが。
「私だよ…。晴…。白鳥を事故らせたの」
耳を疑った。
私と対極にいるような存在の人間。
自分が高い場所に常にいて、低い場所にいるような人間を心の中では見下しているような、人間。
普段は優しそうに接しておいて、いざというときには下に見ている人になど関わりはしないようなグループの人間。
そういうカテゴリにいるような、そんな人間。
皐月 亜紀。
彼女が、白鳥を庇うように立ち上がり、発した言葉。
唖然とした。
「…え?どしたの?亜紀ちゃん」
信じられない。
全く意味が分からなかった。
その後、教室から飛び出した皐月を追うように飛び出したのは、白鳥だった。
…なんなんだ、一体。
なんで皐月は白鳥を庇うのか。
その時はよく分からなかったが。
翌日、全て分かった。
昨日までは優しげに微笑みながら、どこかつまらなさそうだった皐月が。
白鳥に自ら話かけ、会話を盛り上げていた。
心の底から楽しそうに話す皐月を見て、思った。
ーああ、そういうことか。
結局、どんな人間も、気持ちが変われば在り方も変わってしまうのだ。
そして、白鳥。
あいつを見るたびに、腹ただしい気持ちで一杯になる。
私の目の前で、着々と1ヶ月の溝を埋めていく。
きっと、この先も、あいつの未来は明るく照らされているのだろう。
何故か、許せなかった。
そういう人間は他にも沢山いるし、当然の事だ。
だが、何故か。
白鳥 晴だけは。
「……許せない」
そちら側に行くのが、許せなかった。
◇
「もしもし、兄貴。……うん」
その日の放課後、ある場所で。
「うん、TFFの人ちょっと借りたいんだけど」
天羽 凪津は、電話越しに聞こえた声を確かめると、携帯の通話ボタンを切った。
そして、携帯をポケットに放り込む。
「……白鳥 晴。お前を絶望させてやるよ…」
そう言った凪津の顔は、悪意に歪んでいた。




