第二話「ここはホルタイカ」
「さてと、今日あたりにそろそろ出発するかな」
スタンガン男たちとの戦いから今日で二日。
俺は、酔っ払いのおっさんの家で今後の計画を立てていた。
思えば、あの戦いの後、おっさんをここに運んでくるのは大変だった。
そうとうなやられようだったにもかかわらず、スタンガン男たちへの敵意をむき出しにしていた。
あの戦いのときの態度といい、何かわけがあるとは思っていたが、その後に聞いたおっさんの過去からそれが分かった。
このおっさんもやはり俺と同じで、あの森に入った後、この世界へと来ていたのだ。
話によると、この世界はホルタイカと呼ばれ、地球とはまったく違う次元に存在するとされる異世界だった。
人間も存在するし、ここに迷い込んだばかりの者はここが異世界とは思わないだろう。
だが、ここにはワルデットという鉄くずと土の塊を元にして作った人造人間が存在している。
奴らは、不意に人間社会に現れては、人間をさらっていくという凶行を繰り返しているという。
もちろん、抵抗すれば殺されるし、その被害率は人間が起こす犯罪を軽く上回っているそうだ。
だが、そんなワルデットたちに対抗するために三十七年前に結成されたのが、エイキュウカンパニーという会社だ。
ここは、おもに危険生物、未確認生物の捕獲、駆除を行っており、この世界の警察組織のようなものらしい。
当然、戦闘能力の高い者ばかりが集うわけで、実はおっさんも一時期はここの社員として働いていたという。
元々、ケンカが強く、大した活躍だったというが、あるとき、けた外れに強いワルデットに遭遇して惨敗したうえに仲間を殺され、心身ともにダメージを負い、戦いができなくなってしまったそうだ。
その後についてはあえて聞かなかったが、おそらくはエイキュウカンパニーを去り、酒浸りになり、現在に至ったと思われる。
あのとき、スタンガン男たちへ向かっていったのは、現役時代の使命感がよみがえったのか、恐怖で錯乱したのかは定かではない。
しかし、敗北するという事がどれだけ無様でみじめなのかは心底理解できた。
「俺は決して負けんぞ。しっかり、生きていくさ」
決意を新たに、俺はおっさんの家を後にした。
最後におっさんは、元の世界に帰る方法はいまだに分かっていないと伝えたが、別に問題はない。
平和ボケした元の世界よりも、楽しいケンカができそうなこの世界の方が俺には合っているからだ。
これから、強い奴らとケンカできるかと思うと、それだけで血が騒いでしかたがなかった。
しかし、あのスタンガン男が言っていたセリフも少し頭をちらつき、やや複雑な心境だ。
「ケンカと戦いは違う......か。ん?」
考えながら歩いている内にゴミ処理場を抜け、住宅街へと出ていた。
とりあえず、見渡してみると、一部が焦げている家やブロック塀が粉々になっている家などが存在していた。
やはり、ワルデットとの戦闘が日常的に行われているのだろう。
その後、俺は住宅街の中をあてもなく歩いていたが、公園の前に着いたところで数人の男たちに呼び止められた。
「キミか、ゴミ処理場でワルデットたちと戦っていたというのは」
「そうだけど、あんたらは?」
「我々はエイキュウカンパニーの者だ。話があるので、ついてきてくれないか」
「まぁ、かまわないが」
スカウトでもするつもりなのかと思いながら連れていかれたのは、住宅街の中央に位置するエイキュウカンパニー第九支社。
見上げるような高層ビル、慌ただしく出入りする社員たち、鳴り響く電話の音。
これは、そうとうな大会社であることがうかがえる。
「これでも、複数ある支社のうちの一つに過ぎないってわけか。大したもんだ」
「さぁ、ついたぞ。入りなさい」
「ああ」
歩き続けてたどり着いたのは、会議室のような場所だった。
中に入ると、分厚い資料のようなものを渡され、ワルデットについての説明を受けた。
その内容は、酔っ払いのおっさんから聞いたものとほぼ同じだったが、ワルデットがとにかくおそろしい存在であることが強く強調されていた。
基本的にワルデットと遭遇した場合、エイキュウカンパニーに連絡したうえで逃げ、逃げきれなかった場合でも、エイキュウカンパニーの者がかけつけるまで時間稼ぎ主体の戦闘を行うのがこの世界の決まり。
つまり、俺みたいにワルデットと本格的な戦闘を行うなど言語道断というわけだ。
「君がある程度の戦闘能力を持っていることはわかった。だが、これは人間とワルデットとの戦争なんだ。これ以上は首を突っ込まない方がいい」
「はあ、わかったよ。長いものには巻かれた方がよさそうだな」
しかし、もちろん、従うつもりなどなかった。
時間稼ぎしながら逃げるなど、俺にとっては敗北に匹敵するくらいの屈辱だからだ。
その後、会社を出た俺は住宅街に戻り、また適当に歩き始めた。
すると、近くの民家から叫び声が聞こえたので行ってみると、五歳くらいの少年が竹槍で藁人形を力強く攻撃していた。
そういえば、戦時中の日本でもこんな訓練が行われたと聞いたことがある。
人間とワルデットの戦いがただの戦闘ではなく、戦争だというのは脅しではないようだ。
そして、少し先の民家では、ごついおっさんが下着姿で吊るされ、娘と思われる少女に鞭で滅多打ちにされていた。
これが日本だったら、そうとうやばい行為だが、ここまでの流れを見ると、少し納得できる。
おそらく、捕まった時に拷問に耐えるための訓練か、縄をほどいて逃げるための訓練だろうか。
いずれにしても、ただ守ってもらうのだけを期待するのではなく、いざとなったら自分で戦うくらいの気構えがないとダメだという事だろう。
「これがカルチャーショックってやつか。ま、すぐに慣れるだろうが。ん?」
三十メートルほど先の地点で、あきらかにきょろきょろしている男を発見した。
首元はかすかに黒く見えるし、どうやらワルデットのようだ。
俺は見失わないよう、気づかれないよう、奴の尾行を開始した。
「ふぅ、もう終わりか」
俺は住宅街を歩いていたワルデットをしばらく尾行し、他の仲間と合流したところで戦いを挑み、全滅させていた。
今回は、例のパワーアップをする様子もなく、さすがに拍子抜けしたが、どうやらこっちは囮のようだ。
「東の方からかすかに煙が上がっている。あっちがメインなんだろ?」
「や、やめておけ。あそこにいけば、お前は地獄を見ることになるぞ」
「けっ、負けた奴の忠告なんざ、聞きたかねぇよ」
俺は煙をたよりに進み、住宅街、さらには森を抜け、炎上している大きな屋敷へとたどり着いた。
その少し離れた場所では、銀色のリングを首に着けたリーゼントの男と屋敷の主人と思われるバスローブを着た男性が青ざめながら立っていた。
「あ、あああ」
「悪く思わないでくれ、主人よ。これも命令なのでな」
リーゼント男がそう言って燃えている屋敷に向けて手をかざすと、火はさらに勢いを増し、完全に辺りを覆い尽くした。
「これでもう誰も生きてはいまい。さてと」
リーゼント男は、主人を殴って気絶させた後、俺の方へと近づいてきた。
「フフ、変わった奴だな。この光景を見ても逃げ出さないとは」
「お前こそ変わってるな。見たところ、ワルデットのようだが、リングの色が他の奴と違うし、妙な力も持っているようだし」
「これの事か?」
リーゼント男が、手をかざすと、小さな火の玉が俺めがけて飛び出してきた。
とっさに回避するも、次の瞬間、二発目の火の玉が飛んできて、命中した俺の腹は焼きただれた。
「う、うう」
俺は、腹を押さえながらも、体勢を立て直し、リーゼント男めがけて突進した。
しかし、すれ違いざまに軽く足をかけられ、転倒させられた。
「ぐ、ぐ」
話すヒマすら与えられず、俺はリーゼント男にタコ殴りにされた後、顔面を蹴られた。
もはや、これは悪夢でしかなかった。
今まで多くの不良共を沈めてきた俺の攻撃がまったくあたらず、逆に相手の攻撃はまったく避けられない。
きっと、疲れていて少し調子が悪いだけだとつぶやきながら、立ち上がるも、直後にリーゼント男に軽く突き飛ばされ、再び倒れた。
「ぐふ」
「さぁ、もういいだろう」
「よ、くねぇ、こんなことが許されるか。オ、レがケンカで負けるはずない、負けていいはずがない」
「ケンカ? そうか、お前は何かはき違えているようだな。いいだろう。これがそんな生易しいものでない事を教えてやるよ」
リーゼント男はそう言うと、銀色のリングに爪を突き刺した。
「く、例のパワーアップか」
「ああ。これはドーピングといってな、ワルデットのみが使える肉体強化術だ」
「え、意識があるのか」
「上級のワルデットであれば、意識を保ったままのドーピングが可能だ。さぁ、眠たい目を覚まさせてやる」
リーゼント男は素早く前進し、その後は何が起こったのか、よくわからなかった。
無数の何かが攻撃してきたのが一瞬だけ見えた後、俺は血まみれで地面に倒れていた。
「うそ、だろ」
「さてと、茶番は終わりだ。失礼する」
「はぁ、はぁ。ま、てよ。俺は生きてる。だから、負けてない」
「屁理屈を言うな、お前は負けたんだ」
「負けてねぇ。負けたことにしたいならトドメをさせよ」
「お前みたいな意味なくケンカするだけのクズの首をとってもしょうがない。バカに関わった俺が恥をかくだけだ」
「う、うう」
「ゴミ掃除はしない主義でね」
リーゼント男はそう言い残し、屋敷の主人を連れて、森の中へと消えた。
その数分後、突然降り出してきた雨により燃えていた屋敷の火は消え、無残な焼け跡だけが残った。
そしてその傍らにはこれ以上ないくらいボロボロにされ、さらには痛烈な言葉を浴びせられて地面にうずくまる俺の姿。
体にも心にもどうしようもない痛みが走り、思わず大量の涙がこぼれてしまった。
「ちきしょう、ちきしょう。何なんだ。俺はケンカしか取り柄がなかったのに、それにまで負けちまったら、どうすりゃいいんだよ」
それは俺が今まで持っていたケンカに対する絶対的な自信がもろくも崩れた瞬間だった。
「う、うう。どこだ、ここ」
目を覚ますと、そこはベッドの上で、消毒液のようなにおいもする。
壁面には、見覚えがある電話機と照明のスイッチがあるし、さっきのエイキュウカンパニー第九支社の医務室だと思われる。
手や足には包帯が巻かれているし、おそらく、俺はあのリーゼント男との戦いで気を失った後、ここの社員に発見され、運ばれてきたのだろう。
しかし、戦いの事を思い出すと、急に怒りがこみあげてきた。
「俺、負けたんだな。あの戦いでボロぞうきんのようにされて......ははははははは」
俺は、起き上がると、奇声を発しながらベッドを叩き割り、足で何度も踏みつけた。
そして、周りにおいてある椅子や棚を片っ端からぶっ壊していき、壁に頭を何度も打ち付けた。
「ちがぁぁぁぁう! こんなことがあっていいはずがない! これは夢だ! 夢に決まってるだろぉ!」
俺は暴れ続けるが、本棚の横にあったテレビのコードにつまずき、窓ガラスに頭から突っ込んでしまった。
体に激しく伝わる衝撃と音。
もはや、夢を見ているというわずかな希望は完全に断たれた。
「終わったな。ははは」
俺は気が抜けたように倒れ、その後に駆け付けた社員たちに拘束具をつけられ、別の医務室へと連れていかれた。
その際に、頭を冷やせと一喝されたが、冷えるはずもない。
とにかく、今の俺は負けた自分に対する怒りでいっぱいだった。
それは、あのリーゼント男に対する憎しみ以上で、抑えたくても抑えようがなかった。
「なぜ負けた、なぜ負けた。弱いからか。違う。違うけど、違わねぇ」
「ずいぶんと苦しんでるようだな」
「ああ?」
顔を上げると、軍服を着た初老の男がやってきた。
その表情は穏やかだったが、俺には嘲笑っているようにしか見えなかった。
「ぐぐ」
「そう悲観せんでもいいじゃないか。私は、別にお前をみじめだとは思わんぞ」
男の話によると、あのリーゼント男はボルガンという炎を操る上級ワルデットで、この支社も以前からマークしていたという。
そして、そのボルガンが襲った屋敷の主人はワルデット専門の科学者で、以前から狙われているという情報があったため、前もって社員たちを近辺に待機させていたが、結果は全滅。
だから、単独でボルガンに挑み、命を拾っただけでもすごい事だそうだ。
しかし、俺が命を拾ったのは、ボルガンがただトドメを刺さなかったというだけで、やろうと思えばやれたことに変わりはない。
正直、その事実も俺にとっては、耐えがたいほどの屈辱だった。
「ちくしょう。おっさん、たのむから一人にしてくれ。これ以上、何か言われてもみじめになるだけだ」
「......そうか、すまんかったな」
「くそ、くそぉ!」
俺は虚しく叫び続けた。
おそらく、今の俺には、どんな慰めも効果がないだろう。
何を言われても、他の誰かに敗北したという事実は変わらないのだから。