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半妖精戦記 〜不吉の子と亡命の姫と女神の剣〜  作者: 近藤銀竹
第十一章  あるべきところへ
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第六十七話 『天井の文様』

 暗い水底で、『それ』は触手のように意識を伸ばす。

 じきに触手は、小さな欠片に触れた。

 透明な、石のような――いや、意思のような、欠片。どこの陸地からこぼれ落ちたのか。微かな苦痛と悲しみを湛えた、欠片。

『それ』は悟った。

『子供達』は、『それ』の下にやって来る前に、壊されたことを。


「……許さない」


『それ』は――水の御使いミルスは、全身を怒りに震わせた。

 海がそれに呼応するかのように、波を逆立てた。





   ***





 ロベルクが眼を醒ますと、眼前には既に見慣れた文様――草の絡むような文様が天井一杯に広がっていた。即座に跳ね起き、隣の寝台を確かめる。袖壁の格子の向こうにセラーナの寝顔を見つけ、安堵の息を吐いた。

 彼女の胸元に目を遣る。

 薄くて軽そうな布団がゆっくりと上下している。よく眠っているようだ。


 ロベルクは微笑むと寝台を下り、応接セットへと向かった。

 机には小さな盆が置かれており、水差しと薄い硝子で作られた高価そうな杯が乗っていた。昨夜の内にハウスメイドが置いていった物だ。

 水差しを取ろうとしたとき、寝台で衣擦れの音がした。見ると、セラーナがゆっくりと身を起こしているところだった。ロベルクは杯をもう二つ取って水を注ぐと、セラーナの寝台へと向かった。


「……どれくらい眠っていた?」


 まだ眠気があるのか、セラーナは緩慢とした口調で聞いた。


「一晩。今はあの夜の翌朝だよ」


 ロベルクはセラーナに片方の杯を手渡すと、向かいの寝台に腰を下ろした。


「抜かったわ。あの睡眠薬を……金にものを言わせて、あんな無駄遣いをするなんて……」

「いや、セラーナが毒を見抜けたから僕達は無事にここまで辿り着けた」

「……うん」


 セラーナは安らいだ表情で杯の水を飲んだ。

 ロベルクは、昨夜セラーナが眠った後の話をした。そして、明日、リンノを迎えに行くこと、そしてロベルク達も同行すること等を伝えた。イハルから滲んでいた危うい雰囲気についても合わせて言い添えた。


「どうもイハルは、あわよくばウモンを副伯の座から引きずり下ろそうとしているように感じるんだ」


 話を聞いたセラーナは、こめかみに指を当てて考え込んだ。


「何か引っ掛かることがあるのかい?」

「うーん、確かにイハルの庇護の元で暮らせば安全なのだろうけど、果たしてリンノは首を縦に振るかしら……」

「確かに。彼女はトーゾーさんのことをとても大切にしているようだったからね」


 扉がノックされ、会話は中断された。

 どうぞ、と声を掛けると、ハウスメイドが入ってきて朝食の準備が整ったことを告げた。


「まあ、明日になればわかることか」


 二人はハウスメイドに案内された食堂へと向かった。


 食堂ではすでにイハルが上座に着席していて、何を考えているのかわからない表情で二人を待っていた。


「おはようございます。ロベルクさん、セラーナさん」

「遅れたか」

「いえ。たった今、用意が調ったところです」


 ロベルクとセラーナが腰掛けると、パーラーメイドが椀に茶を注いだ。

 急に訪れたヴィナバードの評議員邸ではキッチンメイドが給仕をしていたことを考えると、いかにイハルがロベルクとセラーナをもてなすのに心を砕いているかがわかる。


「では、いただきましょう」


 イハルの宣言で食事が始まる。

 朝食ということもあって、食事はすべて机の上に並べられていた。煮た白穀とあつものというファス・トリバー風の朝食に、シージィ風に焼いた魚の切り身の皿とだし汁で茹でた葉物野菜の小鉢が添えられていた。


「お口に合いますか?」

「美味しい」

「素材のよさがわかるわ」


 イハルの言葉にロベルクとセラーナは満足げに答えた。


 食事を終え、三人が二杯目の茶を注いでもらおうとしたとき、食堂の扉が乱暴に開かれた。

 そこには昨日の男が玄関から全速力で走ってきた様子で立っていた。


「何事です」


 イハルは落ち着き払った声とともに苛立たしげな動きで椀を置いた。

 男は三対の視線に刺されながら息を整え、報告する。


「船頭ギルド役員、トーゾー殿の屋敷が何者かに襲撃された模様です!」


 ロベルクとセラーナは同時に立ち上がった。

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