第三十五話 『膠着する野戦』
渡河を行って数日後。
ママドゥイユ軍はいよいよ、リグレジーク郊外に陣を並べた。
事前の情報通り、リグレジークの街並みは無残に破壊され、瓦礫で塁が築かれていた。
「街外れの住民は否応なしに住処を追われたのか」
侯爵は荒涼とした風景に悲痛な表情を浮かべた。
「これが、クラドゥ体制の現実です。さあ、始めましょう」
レイスリッドが、開戦を促した。
侯爵は開戦の宣言をすると、ラッパが高らかに吹き鳴らされた。
街の中に陣取る、敵の陣地からも、呼応するようにラッパの音が吹き鳴らされた。塁の間から敵兵が溢れてくる。塁の前に集まって再度隊列を整えると、ゆっくりと迫ってきた。魔法使い、弓兵、そして歩兵と騎士、兵法通りの順序だ。
ママドゥイユ軍も奇抜なことは狙わず、ロベルク、そして彼の率いる妖精隊と、比較的魔法使いの比率が高いモエとマイルキーの師団が先鋒だ。ロベルク隊とマイルキー師団は攻撃を、モエ師団が防御を担当する。
「召喚始め」
「集中始め」
各部隊で魔法の準備が始められる。敵陣でも精霊の召喚が始まっているようである。指揮官であるロベルクは、不測の事態に備えて召喚を行っていない。
突然、城の尖塔にあるバルコニーに光がともった。
「何だ、あれは!」
兵たちが騒ぎ出す。
「城が光っている!」
「いや、火だ!燃えているぞ!」
「落ち着いて。城に火がついたわけではない。召喚を続けて」
ロベルクは目を凝らした。そこには数十を数える火球が浮かび上がっていた。通常の火精霊が放つ火球だとすれば、一つで十歩を半径とする範囲を爆破するはずだ。それが数十個、城に浮かんでいる。
遠すぎる。しかし、自分やレイスリッドと同等か、それ以上の精霊使いであれば……
「氷の王シャルレグの名の下に、出でよ、水精霊!」
ロベルクの叫びと、火球が発射されたのは、ほぼ同時であった。
急速にロベルク隊を水膜が覆う。
直後、ママドゥイユ軍の前線に火球が降り注いだ。
耳を裂くような爆音が辺りを包む。
間一髪で水精霊の護りが功を奏し、火勢は弱まったものの、その衝撃でロベルクの部隊は丸ごと薙ぎ倒された。ロベルクも吹き飛ばされ、地面にしたたかに打ちつけられた。
砂煙が舞い上がり、目の前すら見えない。
「大丈夫か!」
ロベルクが声の限りに叫ぶ。
周囲から返事が返ってきた。
「召喚を維持している者は、攻撃の命令を。当てる必要はない。敵の足を止められれば良い!」
命令は即座に復唱され、部隊から石礫、電撃、火球などが発射された。
マイルキーの陣からも魔法が撃ち出される。精霊使いの人員としてはロベルク隊の倍以上いるはずのマイルキー師団であったが、発射された魔法はこちらとほぼ同数のようだ。
「土精霊よ、舞う砂を地に還せ!」
ロベルクは魔法で砂塵を強引に収めた。
周囲を見渡せば、大部分の火球はモエ師団によって被害を緩和され、さらにレイスリッドの魔法によって、迎撃されていた。
むしろ突出していたロベルク隊とマイルキー軍の被害が大きく、特にマイルキー師団は防御の範囲外に陣があったため、兵の半数近くを失っていた。周囲の草木には火がついて、焼け野原だ。兵たちも己の服に点いた火を叩き消すのに必死になっている。
「これも……ナイルリーフかっ!」
ロベルクは周囲の将兵が驚くほどの叫びを上げた。
ナイルリーフの巨大な影が、国王と王軍の前に立ちはだかっているような錯覚を覚えた。
ナイルリーフを除かない限り、クラドゥの暴政を終わらせることができない、そのような感覚さえ抱かせる存在感を発していた。
(僕がやるべきは……)
ロベルクは城のバルコニーを睨みつけた。
やおら、地鳴りが響き始める。
見ればクラッカワーとアンドニアディスの師団から騎士が突出し、移動を開始していた。
マイルキー師団の乱れを見た敵将は、弓兵の斉射を省略して突撃を仕掛け、たたみかける作戦のようだ。こちらは前線をコットーの師団と入れ替える最中である。いくら精鋭の弓兵を擁するコットー師団でも、騎士の突撃は防ぎきれないだろう。
「ほう、なかなかやる」
本陣のレイスリッドはひとりごちた。
「聖騎士団を前へ。ロベルク隊の後退指示と、ローツィヒ師団の前進指示」
レイスリッドの命令に、聖騎士団は雄叫びを上げた。
約三千はいるかと思われるリグレジークの騎士団に、味方を小さく迂回して前衛に躍り出た六百の聖騎士団が飛びかかった。兵力の差は五倍にも関わらず、互角に押し合っている。聖騎士団の戦意は最高潮だった。さらに右翼からは、騎兵のみで編成されたママドゥイユ最速のローツィヒ師団が襲いかかった。
敵に傾いた優勢は再び味方へと揺り返す。
各隊の奮戦で、ようやく敵兵を弓隊の射程外まで押し返した。戦況を何とか五分に戻したところで、この日の大きな戦闘は終了した。
「どうなんだ、我が軍は!」
クラドゥは苛立って傍らのナイルリーフに怒鳴った。
「ご覧の通り、五分五分といったところです」
紫のローブの上に、宮廷魔術師の藍色のマントを羽織ったナイルリーフは、国王の怒りなど意に介さず、優雅に頭を下げた。
「何故だ! 我が軍はノルディプル公の軍を除いても敵の二倍弱も居るのだぞ! その上、お主の魔法の助力もある。それでなお五分とは!」
「五分であることが大切です、陛下」
ナイルリーフはクラドゥを慰めた。
「双方に五分の被害が出続ければ、最後に生き残っているのはこちらです」
「何とも……非生産的な戦いだな」
クラドゥは黒いマントを乱暴にたぐって玉座にどかりと座った。
「御意。しかし、それが大軍同士の戦というものでございます。親族を一人ずつ殺していく作業とは異なりますれば」
クラドゥは一瞬肩を震わせたが、ふん、と不愉快そうに鼻を鳴らしてナイルリーフを玉座の前から下がらせた。
次の日も、戦闘が行われた。
兵法の定石通り、魔法の応酬から矢の打ち合い、そして騎士と槍兵の戦いが行われた。ママドゥイユ軍の奮戦により、数で勝るリグレジーク軍と互角の戦いをすることができていた。
双方決め手を欠き、三日目は睨み合いが続いたまま、一日が終わった。
まさにナイルリーフの言うとおりの展開になっていた。
しかし、同規模の被害が出れば、ママドゥイユ側は徐々に不利になってくる。しかもリグレジーク側は、後方にノルディプル公レブモスの軍団が控えているのだ。侯爵の表情に、僅かな焦りが見えた。侯爵はレイスリッドを近くへ呼び、周囲に聞こえぬよう小声で話しかけた。
「どうするつもりです? 私は貴公が勝てる公算を持ってきたから兵を出したのですぞ」
「おっしゃる通り。では、数日の内に勝利を導く献策をご用意いたしましょう」
レイスリッドは意気揚々と侯爵の前を辞すると、側近に病だと告げて自分の天幕を固く閉ざした。
その夜、ロベルク隊は軍議を開いた。
「妖精の傭兵団を集めてきてくれたのは、君だね」
「ああ」
ロベルクに問われたのは、一人の森妖精だ。彼は森妖精でありながら、髪の色は蜂蜜のような金髪である。そして引き締まった筋肉を持ち、長剣を佩き盾を背負った姿は、森妖精とは思えない、がっちりとした体躯であった。
「今後、我が隊は、マイルキー隊の援護を行う」
「どういうことだ?」
「僕はやらねばならない事ができた。少し軍を離れねばならない。そのため、明日から、僕が戻ってくるまで、マイルキー殿の命令で動いてほしいんだ。」
「それは構わんが、お前はいいのか? 手柄を捨てるようなもんだぞ」
「構わない。離合集散の妙技こそ傭兵団の強み。それに、魔法を担当する彼の師団は大きな損害を受けている。我々の傭兵団が力を貸すことで、軍団の均衡が完成するんだ。よろしく頼む」
「勝手だな」
金髪の森妖精は眩しそうに目を細めて笑った。
「だが、それが英雄ロベルクのやり方なんだろう?」
ロベルクは頷いた。