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第二話 『妖精狩り』

 ロベルクとミゼーラが住むレスティカーザ伯爵領は、リグレフ王国の中央よりやや南西の内陸部に位置する、一万人強の人口を持った中規模の領地である。城を中心として商工業地区や居住地区が放射状に並び、それを城壁が取り囲んでいる。城壁の外は耕地が広がっており、農業を営む者や、さほど裕福ではない者の家が点在していた。東西は森に阻まれており、西は侵すべからざる妖精の森、東の森にはママドゥイユ侯爵領へと続く獣道のような小道が、森を縫うように続いているだけである。そのため、実質的な支配の及ぶ領土は南北に長く延びた形になっていた。北は王都リグレジーク、南には風神ラウシヴの大神殿を擁する自由都市ヴィナバードへと続いている。王国の黎明期に幅の広い街道が造られ、安全性もそれなりに高く、また一万人規模の軍の移動も容易に行うことができる。近年は東のママドゥイユを通る交易路が整備されつつあり、安全性も高まり、さらには数日分近道になるとあって、旅人や行商人の人気は東回りの街道に移っている。レスティカーザは斜陽の宿場町といった雰囲気になりつつあったが、古くから人付き合いのある者や、歴史の古い商店の者は、伝手を重んじてレスティカーザに立ち寄ることも少なくない。おかげでこの街は、交易路の中継点としての機能と面目を何とか保つことができていた。


 ロベルクとミゼーラの小屋は、城壁からさほど遠くない小川の畔にある。城壁の外ではあるが、かなり便利な立地であると言えよう。ミゼーラの勤める店からは、普通に歩けば四半刻(約三十分)もかからない場所であるが、目の不自由な彼女にとっては半刻(約一時間)の道だ。


 ロベルクの勤める土木建築ギルドは、小屋から半刻程歩いた、レスティカーザの東方に広がる森の入り口に佇んでいた。ここでは、城壁の建設から普請、街道整備、民の薪の調達まで幅広くこなす。ロベルクは、開墾と薪作りを担当する『伐採部』に所属していた。


 ロベルクが第二の異変に気づくのに、そう時間はかからなかった。


 伐採部の仲間が妙によそよそしい。挨拶がやけに丁寧な者、大げさに廊下を譲る者、壁に背を預けて小声で囁き合う者。そして彼ら全てが、ロベルクにちらりちらりと遠慮がちな視線を向けてくる。


「ロベルク、大親方がお呼びだぞ」


 ロベルクと長いこと森林の伐採に携わっていた男が周囲に促されて、何故か恐る恐る声を掛けてきた。


「ああ、ありがとう」


 ロベルクは努めていつも通りの声色で返事を返すと、大親方の執務室へと向かった。扉をノックすると、「入れ」という声が聞こえてきた。


 執務室に入り、礼儀通りに、腰に下げた護身用の剣を扉の横の壁に立てかける。

 狭いが小綺麗な部屋は、大きな机と、巻物を収納した棚が、大部分を占拠していた。


 土木建築ギルドの大親方は白髪混じりの髪を短く刈った初老の男で、叩き上げらしい剛胆さと、上に立つ者らしい品格を兼ね備た風貌を、日焼けした顔に滲ませていた。

 彼はいつも通り机の向こう側で、偉ぶる様子もなく腰をかけていた。日頃は巻物が広げられている机には、膨らんだ背負い袋が一つ。


「伐採部のロベルクです」


 ロベルクは机を隔てて大親方の向かいに立った。


「ロベルク。お前、妖精だな」


 いきなり大親方は切り出した。責めると言うより、確認をとるような口調だ。


「はい。両親とも森妖精です」

「そうだよな」


 大親方はそこで溜め息を一つ吐いた。


「ロベルクよ、お前を今日付でクビにしなくてはならなくなった」

「は?」


 ロベルクは急に重大な話をされて戸惑った。朝から二度目だ。自分を位置付ける何本もの錨が次々と切断されていくような感覚を感じる。


「王都で……リグレジークで最近、極端な妖精排斥が行われているのは知っているな」

「はい」

「ここでも今朝方、『妖精を雇ってはならない』というお触れが来た」


 さらに通達には、妖精を雇い続ける場合はギルドの存続を認めず、さらに責任者を捕縛するという厳しい内容が記されていたという。つまり妖精を雇い続けるギルドの構成員は全員、職を失うということだ。


 レスティカーザは、その立地の割には総人口に対する妖精の比率は低い。これはリグレフ王国の政体全体が妖精を冷遇する体質を持っているからでもある。それでも数百からの妖精を失業に追い込めば、レスティカーザ全体の経済にも少なからず悪影響が出ることは明白だ。このような馬鹿げた政策を行うということは、領主より上の身分の者、つまり国王から何らかの命が下ったと見てよいだろう。


 悪報はさらに重なる。


「これは俺の知り合いの貴族から得た噂だが……」


 そこで大親方は声を潜めた。


「レスティカーザで妖精狩りが予定されている。予定日は……今日だ」


 ロベルクは首筋を冷たい物で撫でられたような感覚に襲われた。


 レスティカーザの妖精が、皆殺しにされる? 馬鹿げているにも程がある。内密の情報のようだが、知り得たところで誰が信じよう。だが、大親方はそんなたちの悪い冗談を言う人ではない。大親方は苦渋の決断を強いられ、ロベルクには身の危険が迫っているということは確かなようだ。


 大親方は机上の背負い袋を目で指した。


「これには旅の用意が入っている。ロベルク、今すぐレスティカーザを脱出しろ。東のママドゥイユは侯爵が日和見だから駄目だ。まず南のヴィナバードに行け。他の妖精は、もう出発している。お前で最後だ」

「しかし……」


 ロベルクは今朝の結婚話を大親方に説明した。自分が急に姿を消せば、万一ミゼーラが結婚を断った場合、目の不自由な彼女は一人で暮らすことになる。


「そうか。だが、今日を逃せばお前は狩りの獲物にされるんだぞ。それに……これは俺の推論だが、ヴェイラー氏はこの事態を察知して、結婚の期限を今日にしたのではないだろうか。お前を――妖精を養ったミゼーラに危害が及ばないように」


 大親方の言葉は一理あった。このままミゼーラに会っても、自分の危険に彼女を巻き込むだけのようだ。


 ロベルクは意を決した。


 ミゼーラの幸せはリット・ヴェイラーに任せれば大丈夫だろう。ならば自分は身を隠すべきだ。自分が死ぬことでミゼーラの結婚に水を差すわけにはいかない。


「……大親方、今までの給料から、羊皮紙を売ってくれませんか……」


 ロベルクは深々と頭を下げる。


「それは構わんが」

「……手紙を書きます。彼女に読んで聞かせてほしいんです」


 大親方は羊皮紙とペン、インク壷を机上に用意した。


 ロベルクは自分が置かれた状況を手短に記し、リットと幸せになるよう結んだ。


「もし結婚がうまくいかなかった時は、任せておけ」

「ありがとうございます」


 大親方の申し出に、ロベルクは再度深々と頭を垂れた。そして万一の時は土木建築ギルドの大親方を頼るよう、追伸した。


「終わったか? じゃあ、こいつは今日までの給料だ」


 大親方は小さな巾着をロベルクの前に投げた。巾着はひと月分にしては随分と重たい音を立てた。


「こんなに沢山!」

「餞別込みだ。紙代はまけといてやる」


 大親方は、さっさと行け、と顎で促した。


「重ね重ね、ありがとうございます」

「ミゼーラの親父……マッジオには、お前の事を頼まれていたが、流石にギルドの全員を路頭に迷わすわけにもいかない。許せ」


 ロベルクは背負い袋に巾着をしまい込み、剣をくくりつけ、肩紐の具合を確かめると、恩人に再度頭を下げた。


「生きろ」

「はい」


 大親方の思いが、その一言に込められていた。


 執務室の扉を開けた時、今までロベルクの存在を位置付けていた錨は全て外れる。


 ロベルクが扉に手を掛けた。


 だが、その手が取っ手から乱暴に引き剥がされる。

 扉は同じ伐採部の男によって激しい勢いで開かれた。


「お話中に失礼します! ……ロベルク、お前の家の方から黒い煙が上がっている」

「何だって⁉」


 ロベルクは執務室から駆け出そうとした。


「待て。今から行っても、多分……」

「色々ご配慮ありがとうございます。でも、あの小屋には……命を掛ける価値があるんです!」


大親方の制止を遮ったロベルクは、荷物を背負ったまま一礼すると、執務室の扉も閉めぬままにギルドを飛び出した。


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