第二十四話 『新たな段階へ』
ヴィナバードの冬は穏やかだ。
徒歩で数日の距離の差とはいえ、内陸にあり、標高も若干高いレスティカーザは冬は雪害に悩まされることが多い。一方ヴィナバードは、気温こそ下がるが、雪はあまり降らない気候であるため、人々は様々な活動をすることができた。
吸魂鬼騒動から帰還して間もなく、ロベルクは剣術の訓練を再開した。
レイスリッドによる太刀筋の矯正と、ヒュールとの一戦を経て、ロベルクの剣は急に凄みを持ち始めた。もはや、試合で聖兵から星を取りこぼすことはなくなっていた。
試合が間もなく千人に達するかというある日、ロベルクの前に聖騎士隊長レナが近づいてきた。
「私も手合わせ願おうかしら」
言うなりレナは、愛用の長剣を鞘から抜き放った。ロベルクにも己の剣を抜くよう促す。
聖兵たちはどよめきつつも、二人の為に場所を空けた。
ロベルクの不可思議な剣とレナの精密な剣、ぶつかった時にどんな試合になるのか、皆興味津々と言った表情を見せていた。
「そろそろ自分の剣の微妙な間合いや癖を覚える時期よ」
レナは自分の剣を振って見せた。彫金の施されたやや細身の剣であるが、それにしても動きが軽やかすぎる。彼女の聖剣に施された『聖別』の恩恵であろう。
剣はそのままくるりと回転し、ロベルクの眉間に向けられた。
ロベルクも一歩下がって構える。
双方の呼気が、晩秋の訓練場に白く散る。
二人の呼吸がぴたりと重なった瞬間、試合は始まった。
レナの電光のような斬撃と突きが、小手調べとばかりに肩と肘に打ち込まれた。全ての攻撃が、防具に隙間ができる関節に向けて正確無比に繰り出される。
ロベルクはその全てを、まるで巨大な見えざる盾があるかの如く受け流す。経験の浅い聖兵にとっては、まるで二筋同時に放たれているように見える程の絶え間ない太刀筋だが、ロベルクはそれを無駄のない動きでいなしていく。刀身で、柄で、柄頭で。そしてほぼ同時に反撃の剣が、背後から跳ね上がるように弧を描く。
それをレナが紙一重の最小限の動きでかわし、双方が飛びすさった。
聖兵たちから歓声が上がる。
しかし、もはや彼らには何が起こっているのか理解できていなかった。
「何て恐ろしい技……敵でなくて良かったわ」
レナは頬にかかる内巻きの短い金髪をかき上げると、試合中であるにも関わらず値千金の微笑みをロベルクに与えた。
一方ロベルクには、それを拝領する余裕はなかった。顎から汗が滴り落ちる。
(『形』は、寸分の狂いもないはずだ……)
ロベルクとて、怪我をさせることを心配しながら打ち込める程度の相手ではないことくらい分かっている。いやむしろ、腕の一本くらい斬り飛ばす気迫でなければ、こちらが大怪我をするだろう。
軽やかな足捌きと結ばれては離れる二つの切っ先。見るものには、まるで二人がダンスを踊っているかのごとき優雅な身のこなしに見えた。
ロベルクはありとあらゆる死角から斬撃を放ったが、レナの身体は遠かった。
と、レナの突きが、ほんの僅かに揺れた。
聖兵程度では気付かないその隙に、ロベルクは迷わず切っ先を滑り込ませる。
そのはずだった。
霊剣の刃は死角に隠されたまま、動かなかった。
いや、何かに引っかかって動かせなかったと言った方がよい。
間合いの僅かに内側で、同じくレナが剣を突き出した姿勢で止まっていた。
一瞬の後、ロベルクは寒気と共に、何故二人の動きが止まったか理解した。
今まさに繰り出そうとした霊剣の柄頭を、レナの聖剣の切っ先が、がっちりと押さえ込んでいた。
「勝負あった、かしら?」
「……参りました」
二人はゆっくりと離れると、剣を掲げて礼をし、試合は終了となった。
「半年前まで素人だったとは思えないわ。あの隙に気づくなんて」
レナがロベルクに手拭いを放ってよこした。その言葉を聞き、頭の中で意味を解した時、ロベルクは手拭いを取り落としそうになった。
「では、あの隙は……⁉」
「ええ、罠よ」
事も無げに答えるレナの顔をロベルクは凝視した。
その瞳は深く涼しげだ。
一瞬、魅入ってしまいそうになったが、思い出したように一礼すると、顔に吹き出していた運動の汗と冷や汗が混じったものを拭った。
一方でレナは、首筋に汗が輝いてはいるものの、その表情はまだ余裕のある指導者のものだった。彼女は丁寧に手拭いを折り畳むと、部下が欲してやまない笑顔をロベルクに惜しげもなく与えつつ、助言を与える。
「私があなたに負けない理由は、経験の差……これに尽きるわ。剣術自体の力や技術の差だけでなく、あらゆる面から自分に有利なものを探すの。それが経験の差ね」
「もし、何も見つからなかったら?」
「さあ?」
ロベルクの問いに、レナは軽く肩をすくめて見せた。
「戦場では、剣でないものも使うでしょう」
レナはそう答えると、宝石が輝くような笑みを見せた。
「また、しましょうね」
そして、軽い嫉妬と羨望の表情を見せる聖兵たちに訓練の終了を告げた。
その夜、レイスリッドは大神殿の、主に軍事を取り仕切る者を集めた。彼の直属とされているロベルクにも、召集がかけられた。
ロベルクは全員が集まる前に、一応、日中にレナ隊長に試合で敗れたことを伝えた。
「今のお前では勝てない」
レイスリッドは、分かっていたかのように言った。
「『形』を会得してから、一度負けておく方がいいと思ってな……俺がレナ隊長に頼んだ」
ロベルクは抗議の言葉を口に出そうとしたが、止めた。自分の剣術訓練が、新たな段階に進んだことに気づいたからだ。
「確かに、総合的な剣技はヒメル隊長が秀でている。だが、『月の剣』と最も相性が悪い相手は、あのお嬢様だ。警戒する目を養うことも大切だ」
レイスリッドは教授しつつ、俺なら勝てるけどな、と付け加えることも忘れなかった。
そうこうしているうちに、主だった者が続々入室してきた。
顔ぶれは、聖騎士を含む全ての聖職者を統括するミーア総主教、大神殿のナンバーツーであるエルボン府主教とその直属の大主教たち、肩書きは一応軍師のレイスリッド、そして聖騎士団長のラインク、隊長のヒメル、マイノール、レナである。
まずミーアが、先の吸魂鬼討伐への労をねぎらう言葉を改めて述べた。その上で、現在の各都市の状況についてエルボンに問うた。
「猊下から、通行許可に感謝する旨の親書が、ワルナスのセンディラット卿に出され、卿からは、被害拡大を阻止したことに感謝する手紙を携えた密使が参りました。レスティカーザは城壁外の復興に着手し始めました」
ミーアは安堵の溜め息で返事をした。暫くは北西諸都市の脅威に怯える必要はないようである。
エルボンはミーアの表情を確かめてから、それともう一つ、と話を続けた。
「ダストン男爵が、一族郎党を連れて出奔した模様です」
「ダストンが?」
ヒメルが反応した。
「確かなのですか?」
「現在、レスティカーザの軍事はドラヌーヴ卿という者が取り仕切っておる」
レイスリッドは黙って聞いていた。自身も同じ情報を得ていたので、口を挟む必要はなかった。
「しかし、レスティカーザにダストン以上の将はいないでしょう。そこまでしてレスティカーザ伯は王への忠誠を見せたいのか、ダストン自身が伯爵を見限ったのか……」
「……あるいはその両方か」
エルボンがヒメルの話を引き継いだ。
「何にせよ、北西の街道沿いは小康状態であるということだ」
危機は去った、と言えないのが、エルボンとしても辛いところだが、それは集まった皆が分かっていた。だが、どうやら穏やかな新年を迎えられそうだという点で、全員の胸の内は一致していた。
この時点では、さらに上を望んでいたのはレイスリッドだけであった。
「では、いよいよ北東の街との関係について考えていこうと思う」
レイスリッドの言葉に、皆は驚愕した。




