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第二十話 『評議員邸』

 家宰は、聖騎士隊長達が突入してからレナが退室するまでの事を話し終えると、カップを持ち上げて、既に冷めてしまった茶を口に含んだ。

 話を聞きながら怒りを滾らせていたロベルクも、乾いた口内を湿らせる為に、家宰に倣って茶を飲む。ほろ苦い液体が喉を通り過ぎると、噛み締めるように言葉を紡いだ。


「セラーナは無事だ、という事ですね?」

「はい」


 家宰は落ち着いて答えた。


「ツェルスニー長司祭とその一派は謹慎。追って降格等の処分が下される事でしょう。自由と身勝手の履き違えや、他人の自由を奪うのは、ラウシヴの使徒としては禁忌ですから」


 家宰は、ロベルクの怒りを収める為に、ツェルスニーの処分とラウシヴ大神殿の姿勢について強調して語った。話を聞き、ロベルクも激情を鎮め、座る姿勢も若干緊張が解けた様子になった。

 その様子を確かめた家宰が、おもむろにベルを鳴らす。小さくも甲高い音が奏でられると、先程のパーラーメイドが静かにドアを開け、入室する。


「さて、話が長くなってしまいましたね。ここらで昼食にしましょう。……あ、そうそう。服も洗濯させましょう。それと、大神殿に連絡しなくては。皆さんきっと安心する事でしょう」


 家宰がロベルクに話した事から指示を理解したメイドは、一礼するとまた音もなく退出する。その過剰なもてなしように、ロベルクは内心首を捻った。


「連絡なんて……僕が直接戻れば済むのに、そんな手間を掛けさせては申し訳ない」


 立ち上がろうとするロベルク。しかし家宰はそれを押し留めた。


「いえいえ。『ロベルクさんを発見したら、大神殿側の詫びの意思が伝わるようにしっかりもてなせ』との、お嬢様からの指示ですので。このままあなたを大神殿まで歩かせでもしたら、私がお叱りを受けてしまいます。今、大神殿に使いを走らせております。あちらも何かとゴタゴタしているようでして、整い次第、連絡を下さるとの事ですので、何卒」


 そこまで言われてしまっては、流石にロベルクも逸る気持ちを抑えねばならなかった。新たに現れたハウスメイドに案内され、客室に通される。一部屋でレスティカーザの小屋を上回る面積がある客室に目を丸くしていると、メイドは二つの籠を持ってきた。片方には衣服が畳まれて入っている。


「こちらに洗い物を入れてください。洗濯中は、こちらの服をどうぞ」


 言い残すとメイドは静かに扉を閉めて出て行った。


「ふぅ……」


 ソファの背もたれに剣を立て掛け、一息吐く。街の要職の屋敷だけに、着替えの世話までされたらどうしようかと危惧していたロベルクだったが、一人残された事に逆に安堵し、汚れた服を脱いで用意されたものに着替えた。


 食堂に通されると、すでにグラスとカトラリーが用意されていた。ロベルクが長大なテーブルに近づくと、学問所を卒業して数年しか経っていなさそうな幼いキッチンメイドが椅子を引く。勧められるままに腰掛けると、料理が運び出されてきた。

 魚のマリネ、サラダ、スープと続き、バターの香りがする柔らかなパンを口に運ぶ。広い食堂で一人黙々と食事をしていると落ち着かない気持ちになってくる。ロベルクは、近くに行儀良く控えていると見せかけて興味津々といった視線を向けているキッチンメイドに声を掛けてみた。


「ねえ……」

「あ、はい! 追加のパン、お持ちしましょうか?」

「いや……」


 半森妖精の、人間を半歩踏み出した美貌に見とれていたキッチンメイドは、悪戯がばれた子どものように慌てて厨房へ駆け込んでいった。かと思えば、何食わぬ顔で肉料理を受け取ってテーブルに置いた。


「『新鮮な枝角鹿(えだつのしか)の肉が入った。幸運な客人に食べてもらえ』とのことで、枝角鹿えだつのしかのベリーソース添えです」


 眉間に皺を寄せてだみ声で料理の説明をするキッチンメイドに、ロベルクは軽く吹き出した。


「君は、人の観察が得意なんだね」


 ロベルクに褒められ、幼いメイドは頬を染める。


「い、今のは料理長の真似で……」

「ごちゃごちゃ言ってないで、次の盛りつけに掛かれ!」


 料理長の怒鳴り声にびくっと肩を振るわせるメイド。しかし直後には「ね、似てたでしょ?」と小声で囁き、厨房に消えていった。


 草食の枝角鹿えだつのしかは、雑食の旋角鹿めぐりづのしかと比べて肉が美味だとされている。そんな食材を供されて、ロベルクはエリュティアの心遣いに感謝しながら、口の中でほどける肉を味わった。


 絶妙な間隔で、最後の皿が運ばれてきた。


「『急な来客で、大した物が用意できなくて申し訳ない』と料理長が申しておりました」

 キッチンメイドは、好評だった料理長の物真似をしながら菓子と果物の合い盛りをテーブルに置き、茶器を準備する。

「君のお陰で、楽しい食事を摂る事ができたよ」

「そんな……楽しんでいただけて嬉しいです」


 ロベルクの言葉に、小さな給仕は顔を真っ赤にして身体をくねらせた。彼女はロベルクの心に芽生えた棘をいくらかは取り除いたと言う点で、意図せずに職域以上の働きをしていた。





 その日は結局エリュティアは帰宅しなかった。

 ロベルクは剣の稽古をしたり、メイド達の茶会に招かれたりして、ゆったりとした一日を過ごした。その夜、彼は生まれて八十余年間の中で体感した事のない柔らかな寝台で眠りに落ちた。





 次の日。


 天気はさらに回復し、未だ厚い雲の間から時折日差しが、まるで金の糸を垂らしたように細く差し込んでいた。


 サンドイッチと茶の朝食をいただき、客室で剣の素振りをしていたロベルクの耳は、エリュティア帰宅の報を捉えた。


 腰に剣を吊ると、早足でホールへ向かう。


 エリュティアは大神殿の中と同じ司祭衣に身を包んだままでソファの一つに腰を掛け、春の日溜まりのように穏やかな佇まいを見せていた。

 ロベルクがエリュティアを視界の中に確認するのとほぼ同時に、彼女もロベルクの姿を見つけ、立ち上がる。

 エリュティアの顔には、複雑な微笑が浮かんでいた。


「ロベルク、元気そうで良かった」

「エリュティア様、この度はご足労をお掛けしました。さらに、こんなに歓待していただいて……」

「何を言うのです。余計な苦労を掛けたのはこちらだと言うのに」


 エリュティアは深く頭を垂れた。ゆったりとした司祭衣が身体の稜線を覆い隠しているが、金髪から垣間見える白い首筋がロベルクを一瞬どきりとさせる。


「今回の一件は、自由神のお膝元にも関わらず、自由が力尽くで奪われるという、大神殿として恥ずべき事態です。猊下は神殿内での意思統一ができていないことに酷く心を痛められ、直々に詫びられると仰っていたのですが、色々と忙しくて……私が代わって参りました。まずは大神殿として謝意をお伝えします」


 エリュティアは、ミーアが「ホント御免。滅茶苦茶御免って伝えて」と言ったのを荘重に意訳してロベルクに伝える。


「ミーア様にもご心配をお掛けしてしまいましたね」

「いえ……ただ、猊下は意味もなくあの男を相談役にしていたのではないという事もご理解ください。様々な考えを持つ事は自由であり、教団の行く末が極論に至らないよう、敢えて意見の食い違う私とツェルスニーを相談役に据えていたのです」

「分かっています。その心意気は、素晴らしいと思います」


 そこまで話し終えると、エリュティアは自分の向かいのソファをロベルクに勧め、自身も背後のソファに腰掛ける。流れる動作でベルが鳴らされると、昨日のパーラーメイドが茶器を運んできた。


 二人の前にカップが置かれると、エリュティアはメイドが退室するのを待って、ロベルクに向き直った。


「……そして、今回の騒動の結末についてなのですが、ツェルスニー及びその一派は、現在軟禁中。追って降格の沙汰が下される予定です」


 エリュティアの、いつもは控えめに伏せられている碧眼が、力強くロベルクを直視している。相当重い処罰だと言えるだろう。だが、ロベルクにとって、自分を陥れた者達に対する罰の重さよりも、自分の事を気遣ってくれる人がこれほど居てくれるということが、何よりありがたかった。


「ありがとうございます。本来なら、自分の自由を守る為に、僕が力を振るわなければならなかったのに……」

「いいえ。教義に背く事に対してはもっと重い罰が科せられるものです。でも、先程も言いましたが、様々な考えを擦り合わせて舵取りをしていくのが、ラウシヴのやり方。これ以上の処分は難しいのです……」


 エリュティアは一瞬眼を伏せたが、意を決したようにロベルクの翠眼を見つめた。柔らかそうな頬を若干紅潮させ、息を大きく吸って言葉を紡ぐ。


「……それでも、わた……いえ、我々は、あなたに戻ってきてほしい。もう暫く、力を貸してもらえませんか?」


 言い終えると、エリュティアは眼を伏せ、総主教の諮問を受ける立場とは思えない気恥ずかしそうな表情を浮かべてうつむいてしまった。


「……エリュティア様」


 ロベルクはそんなエリュティアの額にかかる金髪を見ながら、逆に問うた。


「……僕は、大神殿に戻ってもいいんですね?」


 エリュティアの目が見開かれる。次の瞬間には満面に安堵が溢れていた。


「ええ、もちろん!」


 エリュティアは願ったり叶ったりの返事に舞い上がった。早速大神殿に戻る馬車の準備を命じるため、鼻歌交じりでベルを摘む。

 次の瞬間、ベルの音をかき消すように、玄関の両開きのドアが乱暴に開かれた。


「何だ⁉」


 ロベルクは咄嗟に剣を掴み、エリュティアの前に立ち塞がる。


 全開になったドア枠の中央には、男が一人立っていた。

 鈍く光る黒い鎧。

 緑のマント。

 薄褐色の鬣のような長髪。


「レイスリッド!」


 ロベルクとエリュティアの叫びを物ともせず、レイスリッドはホールにずかずかと入り込み、エリュティアを庇うように立っていたロベルクに歩み寄った。


「その様子だと、まだ大神殿に力を貸してくれるようだな?」

「あ、ああ。宜しく頼む」


 前触れのない登場にやや呆気にとられていたロベルクに、レイスリッドは一瞬ニヤリと笑う。しかしそれを一瞬で収めると、鬼気迫る表情でロベルクに詰め寄った。


「よかった。早速だがまずい事になった。手を貸せ」

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