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半妖精戦記 〜不吉の子と亡命の姫と女神の剣〜  作者: 近藤銀竹
第二十二章  手を携えて
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第百三十九話 『その花は飾られない』

 セラーナ王女がリアノイ・エセナ城に入ってから、一度もその姿を民衆の前に見せることはなかった。何の消息も伝わることなく、日取りだけが周知され、有無を言わさず準備が進められた。





 氷月こおりづき一日――


 ジオ皇子ヴォルワーグとウインガルド王女セラーナの結婚式当日。

 ロベルクは夜明け前から宿の屋根の上に上がり、城を観察していた。

 積雪や除雪の山は全て精霊使いによってきれいに片付けられていた。城の屋根に残った雪もまた跡形もない。

 周囲を見回すと、早くも窓辺や屋根の上で挙式を待っている影がちらほら確認できる。


 空が白み始めた頃には、以前更地にされた広場にジオ軍が整列を終えていた。

 水堀の前、つまり一番内側に楽隊が並ぶ。その前には黒一色のフェル・フォーレン聖騎士団と聖兵団、そして青いドラゴンと左右に並ぶ四体のワイバーン。最も外側は騎士と兵士だ。


 既に街路の先頭を陣取っている人々がいた。手に手にジオの国旗を持っている。よく見ると、衣服の着こなしがぎこちなかったり、立ち方が威丈高だったりと、普通の領民ではない。明らかに偽客であると同時に、暴動を鎮圧するための要員でもあるのだろう。その後ろから、ジオ兵に先導されてウインガルド民衆が詰め込まれていく。

 遅い日の出を迎えた頃、レイスリッドとミーアが屋根に登ってきた。レイスリッドは念のため、フードを被って赤い鬣の様な髪を隠している。


 鐘が鳴る。

 楽隊の演奏に合わせて、急ごしらえの広場に整列したジオ軍が動き出した。一糸乱れぬ人間の行進。少数ではあるが、己の頭ほどもある金槌や斧を軽々と担ぐ山妖精や、森妖精の周辺に精霊がちらちらと見え隠れする。それらの姿は、無理矢理呼びつけられた旧ウインガルド臣民の心胆を寒からしめた。聖騎士団聖兵団と魔獣たちは城門の左右から動かず、厳重な警備態勢を敷いていた。


 音楽がやみ、行進が終わる。

 偽客たちが歓声を上げ、旗を振る。気付けば、城の周りをジオ兵が外向きに並び、鼠一匹入れまいとする警備態勢が完成した。


 広場から見えるバルコニーに、フードを目深に被った長身の人影が姿を現した。

 風の精霊による拡声魔法が掛かる。


『ただ今より、ジオ帝国皇子ヴォルワーグ・メルスドリア殿下と、ウインガルド王女セラーナ・シルフィーネ殿下の結婚式を執り行う』


 声を聞き、レイスリッドが囁いた


「あれがフェル・フォーレン聖騎士団大将軍、フォラントゥーリだ。今なら分かる……あいつは御使(みつか)いだ」


 バルコニーには、さらにふたつの人影が現れた。

 民衆はどよめき、偽客が歓声を上げる。


 ヴォルワーグとセラーナだ。


 ヴォルワーグは黒い礼装に身を包み、収まりの悪い金髪を撫で付け、紺鼠色の目で押しかけた見物人を睥睨する。

 その横ではセラーナが寄り添い、笑顔を振りまいていた。白一色のドレスは、彼女の意思のない目と相俟って、まるで死に装束の様だ。


「くっ……」


 ロベルクが唸り声を押し殺す。


「まだだ……まだ……」


 ロベルクは空を見て深呼吸をすると、再びバルコニーへと視線を向けた。





 セラーナは眼前に広がる広場を眺めていた。

 ひと月前、城に入ったときより広場が大きい。平民の住宅地が一部取り壊されている。彼女はその様子を窓から見ていることしかできなかった。それでも彼女は笑顔を浮かべ、民衆の心をを慰撫していた。


 ふと、視界の端に貧民街が見えた。

 貧民街は、そこに通じるあらゆる道が、他より多くのジオ兵によって封鎖され、行進や式に入り込まない様に締め付けられていた。

 だが、人の動きは封じ込めることができても、そこにある物、そして彼らの王女に対する敬意は完全に視界から排除することはできなかった。


 赤い布が掲げられたあばら家――

 赤い塗料が雑に塗られた屋根――


「あ……か……?」


 セラーナが無意識に呟く。


「ん? どうしたセラーナ姫? 不安なら俺に掴まるといい」


 ヴォルワーグがへらへらしながら肘を寄せて促す。

 セラーナはそれに返事をすることはなかった。じっと赤い貧民街の姿を見つめている。煤で埋められたような瞳が一瞬、光を湛えて結晶する。


「赤……」

「赤?」

「わ……わたく……あたし、行かなきゃ」

「民衆が多すぎて緊張しているのか? 姫は俺の横で笑っていればいい」

「わからない……行かなきゃ……!」

「どこへだ? 式中だぞ?」


 そこで初めてヴォルワーグが花嫁の異変に気付く。

 セラーナは振り返り、花婿の叫びに耳を貸さず室内へと駆け出す。近衛騎士の間をすり抜け、全員ジオ人になったメイド達を飛び越える。

 ざわつく臣民。偽客も釣られて隣と顔を見合わせる。

 幸福の絶頂にいたヴォルワーグと、離れて結婚式を取り仕切っていたフォラントゥーリは、反応が一歩遅れた。異常を理解したときには、セラーナは既に控えの間を飛び出していた。


「ふ……フォラントゥーリ!」

「花嫁を捕まえろ。俺も行くぞ!」


 ようやく近衛騎士と近衛兵たちが、弾かれた様に駆け出した。

 残されたフォラントゥーリの口元が歪む。


「なぜだ。王女の言葉に嘘はなかった……まさか、自分の本心をも欺き続けていたとでもいうのか……?」





「……いかなくては」


 セラーナの逃走に、宿の屋根にいたロベルクは立ち上がった。


「セラーナを……取り返す!」


「行ってこい、ロベルク。あの腐れ横恋慕野郎から、全て奪ってこい!」


 レイスリッドがロベルクの背を叩いた。

 ロベルクは一つ頷くと、水堀の前で無残な平面を晒している広場に向かって氷の橋を架けた。 ロベルクもまた、駆け出した。

 




 セラーナは階段を駆け上がる。

 階下は脱走防止のために厳重な警備がなされていることは分かっていた。

 私室へと向かう。

 彼女が軟禁されせいた私室は最上階であり、警備は手薄だ。

 部屋に飛び込み、鍵を掛ける。

 立て籠もったわけではない。

 セラーナは壁に飾ってあった小剣を取った。柄にウインガルド王家の紋章が彫金されたそれを鞘から抜き放ち、床を引きずる程長いドレスの裾を切り裂く。

 続いて椅子を持ち上げると、力任せに窓へと投げつけた。粉々に砕け散る硝子。寒風が部屋に吹き込む。

 セラーナの部屋はバルコニーがない。足場はないが、最上階であるということは、すぐ頭上は屋根であるということである。

 剣帯を巻いたセラーナは窓の縁を掴むと、反動を付けて飛び上がる。大地が引く力など存在しないかの様に彼女の身体はふわりと浮き上がり、一回転して屋根の上に着地した。


 ひとりの子供が東の屋根の上を指さした。

 それに気付いた民衆が次々と視線を指さす先に向け――

 城の前は静まり返った。


 一歩間違えば命はない。

 王家の者がそんな危険な場所で動けるはずがない。


 下の窓からジオ騎士が頭を出し、剣を振り回しながら何事か喚いている。騎士が顔を引っ込めると、今度は軽業の得意そうな兵士が数人現れ、急斜面の屋根に鈎付きの縄を掛け、王女を捕縛すべくよじ登り始めた。


 王女が助かる道はない。

 棟まで登った王女が、踵の高い靴で一歩を踏み出した。

 見守る民衆から声にならない悲鳴が漏れる。


 一歩――

 一歩――


 よじ登ってくるジオ兵を尻目に、セラーナは棟を進む。


 そして――

 駆け出した。


 追うジオ兵がひとり、またひとりと滑り落ちていく。

 東の塔に繋がる歩廊の真上まで到達したセラーナは、駆け寄ってきたジオ兵を振り向きざまに斬り伏せる。


 倒れ落ちる兵士の向こうに、セラーナは信じがたい光景を見た。

 ヴォルワーグ自身が屋根に登ってきたのだ。

 危なっかしい手つき足つきで――ではない。

 壁や急斜面に対し、まるで手足が貼り付いているかの様に容易に登ってきたのだ。よく見れば裸足である。


「……っ!」


 息を飲むセラーナ。


「どうしてそんなに逃げるんだセラーナ姫。悲しくなるではないか」


 昆虫の様な四つん這いですばしこく屋根の上を歩き回るヴォルワーグ。その顔だけが穏やかな微笑を浮かべていた。その姿は、人間の言葉を話すのが奇妙に見えるほど

(おぞ)ましかった。

 ヴォルワーグは先行するジオ兵に向かって叫んだ。


「早く姫を捕らえよ。貴様らは軽業に秀でていたから取り立てられているのだ。下級民に戻りたいのか!? 殺しても構わない。剥製にして愛でればいいんだぁ!」


 ヴォルワーグの姿と言葉に恐れをなしたジオ兵は棟の上を駆け、セラーナに迫る。もはや数人が屋根から落下しても誰も気に留めない。


 セラーナは城の屋根から歩廊へと飛び降り、歩廊の屋根を駆ける。

 目の前にはそびえ立つ東の塔。

 行き先はここしかなかった。

 セラーナはヴォルワーグに背を向け、全速力で走り始めた。精一杯の力で屋根を蹴りつけ、跳ぶ。石組みの塔のの乏しい凹凸を的確に足先で捉え、一階層分程ある壁を駆け上がると、塔の屋上へと着地した。

 広い屋上だ。有事の際は大型弩砲や精霊使いや魔導師が並ぶことが想定されており、リアノイ・エセナ城の東半分を見渡すことができる。逆に、そこはどこにも逃げ場のない袋小路であった。


 矢狭間を切られた塔の縁に、縄の付いた鈎がいくつも爪を立てる。


「……っ⁉ ……くっ⁉」


 セラーナがせわしなく周囲に視線を走らせる。貴族街、貧民街、平民の暮らしを犠牲にした広場……


 そこに彼女は見た。

 いつも自分に寄り添い、大切にしてくれた人。

 いつも自分を守り、肩を並べて戦ってくれた人。

 右腕に巻かれた赤い紐――自分が巻いた紐までもが、なぜかはっきりと見えた。

 その瞬間、セラーナの心の奥底に隠し、自分でさえその在処を消し去っていた記憶が、思い出が、一気に溢れ出してきた。


 ぎし、と縄に荷重がかかる。

 セラーナは思い切り息を吸い、広場に降り立った姿に向かって声の限り叫んだ。


「ロベルク! あたしはここよ!」

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