第百三十五話 『お前はどうしたいんだ』
父との邂逅を終えたロベルクは、会談に使ったレイスリッドとミーアの部屋を後にし、自分の客室に戻った。
陽は落ち、室内は闇が支配していた。ロベルクは精霊に命じて燭台に火を灯す。
鎧戸を閉めるべく、あまり滑らかではない硝子が嵌った窓を開けた。
刺す様な冷風が吹き込む。と、一枚の紙片が部屋に飛び込んできた。筒状に丸められた紙片は細い紐で結んである。部屋への侵入も含めて人為的なものであることは明らかだ。紙片は蝶のように羽ばたいて、寝台の上に落ちた。
ロベルクは紙片を見つめる。特に攻撃的な精霊の気配はない。というより、部屋への侵入を成功させたら風の精霊は精霊界に帰るよう指示されていたらしい。
(随分手が込んでいる……)
紐を解き、紙片を開く。
森妖精語だ。同族でなければ、ほぼ読むことはできない。
『中央広場にて待つ』
ロベルクに用があり、居所を知っており、精密な精霊魔法を使いこなし、名乗らない。イオテニフの可能性が高い。
ロベルクは剣を身に付けマントを羽織ると、部屋を出た。
中央広場には人影はなかった。この季節、深夜に広場で夜を過ごしたりしたら、翌朝には凍死体ができあがってしまう。
ロベルクは広場の中央に立つと、精霊力を探る。微弱な火の精霊を探知すると、同時にそれを感知した相手が細い路地から姿を現した。
イオテニフだ。
「広場は定期的に衛兵の巡回があるから、身を隠していた」
「父上、街を出てはいなかったのですね」
イオテニフが口角を吊り上げる。物腰も若々しく、人間だったら三十代といったところだろう。明らかにロベルクの成長の方が速い。いつか自分は父を追い越して先に冥界へと赴くのだろう、という未来がロベルクの脳裏を掠めた。
イオテニフは風の精霊を召喚すると、周囲に音漏れを防ぐ結界を張る。
「宿営地にまっすぐ戻ろうかと思っていたのだが、気が変わった。ちょっと聞きたいことがあってな……お前がこれからどうしたいのか」
ロベルクは直感した。父は息子がヴォルワーグ皇子と事を構えようとしているのに気付いている、と。
「……どう……とは?」
慎重に、父の出方を窺う。剣の間合いはぎりぎり外だが、熟練の精霊使い同士である以上、視界に入っているのは即ち互いの首に手を掛けているに等しい。
「お前は大切な人を奪われたそうだが、一体なにをしていたんだ?」
「それは……彼女の意思で……」
「その人は単に別なものを守ろうとしていたのではないか? もしかしたら、お前のことかも……」
「ち……ちがう! 彼女は民衆が傷つくことを嫌った!」
「そして今のお前の力……それを持ちながら、おめおめと想い人を奪われたのか? その力があれば、やりようがあったのではないか?」
「っ!」
イオテニフの辛辣な言葉に唇を噛むロベルク。
イオテニフは虚無的な表情を消すことなく、再び言葉を投げかける。
「彼女の気持ちは置いといて……お前はこれからどうしたいんだ」
「僕は」
喪失感に視線が落ちる。
そのとき、右手首で何かが揺れた。
紐だ。
セラーナが別れ際に結んでくれた、赤い紐。
ロベルクの脳裏に、出会ってから隣で見続けてきた様々なセラーナの姿が激流の様に溢れかえった。
命を救われ――
互いの理解を深め合い――
想いを伝え合い――
そしてセラーナは、彼女自身を捨て、その他の全てが守られた。
(違う。違う違う違う! 彼女にそんな結末が待っているのは断じて許されない!)
ロベルクの翠眼に激烈な意志の光が灯る。抑えきれない精霊力が冬の広場をさらに凍てつかせる。そこにはさっきまでの打ちひしがれたロベルクはいなかった。
「……僕は彼女を奪い返す。彼女が身を賭して守ろうとしたものが、いくら大きかろうとも……その気持ちごと、全てを……奴から奪い返す!」
イオテニフは満足げに頷いた。
「いい面構えになった。よし……俺からひとつ、息子の成長祝いに手助けをしよう」
「手助け……ですか」
「そうだ。日中、メリコトカ伯爵が援軍を拒んだという話をしていただろう。ウインガルド貴族であれば出し惜しみこそすれ、助力を拒むのは不自然だ」
「ラーティは国境も近いので、難しい舵取りをしているのかも知れません」
「聡いな」
イオテニフは一瞬だけ、息子の姿に眩しそうな眼差しを送ったが、その柔らかみはすぐに浮力を失い沈んでいった。再び虚無的な表情になると、口を開いた。
「恐らく理由は二つ。伯爵や左右の者がお前たちの異常な実力を推し量れなかったこと、そして……西の国境を扼して一万のジオ軍が侵入し、ラーティを落とすべく駐留しているということ」
「!」
「そこで俺からの祝いに……ジオ軍を国境線の手前まで下げる。するとメリコトカ伯爵は西方への防備に力を注ぐ必要がなくなり、ウインガルド貴族として行動を起こすことができる。もしかしたら王都リアノイ・エセナに向けて出兵して、皇子殿下から女を助ける手助けをするかも知れないぞ」
「なぜ……それを……?」
誰ひとり詳しい話をしなかったにも関わらず、こちらの内情をほぼ理解したイオテニフに、ロベルクは舌を巻いた。
「簡単だ。ひとの女を奪う奴はたまにいるが、お前と、元大将軍と、あの聖職者もとんでもねえ……そんな面子で奪い返しに行かねばならない相手は、俺が知る限りひとり――ヴォルワーグ皇子殿下だ」
「父上……」
ともすれば敵になるかも知れない息子に、ここまで与えることができるのが父か。
ロベルクは、精霊力では互角と感じていた父が、気付けば何歩も先を歩んでいるように感じた。
「生きて奪い返せ。俺のようにならないことを祈っている」
「必ずやり遂げます」
迷いのなくなった息子を見て、イオテニフは微笑んだ。
「じゃあ、今度こそ別れだ。達者で暮らせ」
「父上も、お健やかに」
二人は互いに背を向け、それぞれ夜闇に消えた。
翌日、ロベルクは父から聞かされた話をレイスリッドとミーアに伝えた。
レイスリッドはイオテニフの謀について「息子にでかい贈り物をしつつ、手を汚さず第二皇子に打撃を与える――イオテニフ殿らしく抜け目のないことだ」と評した。
さらにその翌日、いよいよ出立と旅の準備をしていたロベルクたちは、客室に向かって騒がしく階段を上る足音を聞きつけて手を止めた。
メリコトカ伯爵麾下の兵であるとの名乗りに、ロベルクが扉を開くと、三名の兵士が部屋に飛び込んできた。
勢いに飛び退き、聖剣の柄に手を掛けるロベルク。
部屋の中央辺りまで駆け込んだ兵たちは、ロベルク、レイスリッド、ミーアに包囲され、狼狽えるかと思いきや、肩を撫で下ろし「間に合った」と呟いた。
「随分と乱暴な訪問だな」
ロベルクの言葉に我に返った兵たちは、漸く無礼に気付くと、扉の前まで交代して敬礼した。
「大変失礼した。先日ご訪問いただいた件について、メリコトカ伯爵からお話があるとのことで、ご招待にまいった」
「謹んでお受けする」
(本当になにか起こった……)
ロベルクは驚きながらもそれを表情に出すことはせず、招待を受けることにした。




