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第百二十九話 『誰がための王家』

「あたし……あたしは……王女」


 不意にセラーナの足に力が籠もった。まだ震えの残る上半身を無理矢理捻り、ロベルクと向かい合う。


「ロベルク……力を貸して……」


 セラーナは急に振り向くと、隣に立つフィスィアーダを気に留めず、背伸びしてロベルクの首に腕を回した。セラーナの冷えた唇が、ロベルクの唇に重なる。


(急に一体なにを……)


 ロベルクはその疑問を口に出すことはしなかった。ただじっと、セラーナの唇を温める。

 セラーナの閉じた目尻から、涙が一筋落ちた。


 セラーナの唇に体温が戻り、頬に紅が差す頃には、彼女の身体の震えも収まっていた。

 唇を離したセラーナの瞳には、強い光が戻っていた。


「ありがとう……」


 囁いたセラーナは無理矢理口角を持ち上げ、笑顔を作った。まるでロベルクの脳に笑顔を焼き付けようとするように。


「セラーナ……」

「ロベルク、あたしに勇気を与えてくれてありがとう……大好きだよ」


 はっと目を見開いたロベルクから視線を外し、片方の髪を結んでいた赤い紐を外すセラーナ。彼の右手首を取ると、愛おしそうに結びつけた。


「これはあたしの本当の心。あたしの心はいつもあなたの元に」

「だ……だめだ……」


 セラーナは呆然とするロベルクの耳元に唇を寄せた。


「あたしは今から嘘つき。次にあなたの名を呼ぶまで、あたしの口から出る言葉は全て嘘……どうか忘れないで」

「! な……なにを……」

「呼ぶから……必ず、呼ぶから……」


 最後に一瞬だけ笑うと、セラーナは踵を返して背を向ける。その手を掴もうとしたロベルクの指は空を切った。





「やめなさい!」


 広場にセラーナの声が響く。

 民衆が、ジオ兵が、城の中の重鎮までもが、口を噤んだ。全ての目が、声の主であるフードを目深に被った緑のマントの少女に向けられた。

 誰もが声の主に見当がつかなかった。ただ、その圧倒的な威光に気圧され、後ずさった。


 人の群れが左右に割れる中、セラーナはバルコニーへ向かって胸を張って歩く。フードを外し、マントを脱ぎ捨てて赤い短衣姿になると、片方の髪だけ結ばれた紐を解き、後頭部の中央でひとつに結び直した。その髪型はセラーナ王女の象徴でもあった。


「やめろ……やめてくれセラーナ……」


 ロベルクが声を絞り出す。

 セラーナが振り返る。その夜闇を溶かした瞳には、冷たい光が灯っていた。


「気安く呼ぶな、下郎!」

「!」


 氷のように冷えた声を浴びせられ立ち尽くすロベルク。

 セラーナはロベルクに背を向けると、バルコニー上のヴォルワーグに向かって叫んだ。


「わたくしはここにいます、ヴォルワーグ皇子!」

「お……おお……おおおセラーナ姫セラーナ姫セラーナ姫っ!」


 ヴォルワーグは先刻までの尊大な態度をかなぐり捨て、想い人の名を唾を飛ばしながら連呼した。

 セラーナはその反応に口角を吊り上げると、さらに叫ぶ。


「わたくしを……文明国であるウインガルドの王女を求めるなら、いまそこで行っている、ジオらしい畜生じみた蛮行をやめ、即座にメイド長を解放しなさい! そのような穢らわしい手でわたくしに触れることは許しません!」

「も……勿論だセラーナ姫! 全てはあなたを探す為。今すぐやめる! ……兵たちよ、姫をこちらへご案内しろ!」


 ヴォルワーグの号令に、ジオ兵が一斉に動き出し、セラーナを取り囲む。ひとりの兵が腕を掴もうとするのを、セラーナは叩き落とした。


「無礼者が! 王族に気安く触れようとするとはなにごとですか! そこは我が城。案内などいりません!」

「おお、許してくれセラーナ姫! ささ、早く我が元へ!」

「まだです!」


 矛槍に囲まれてなお、威厳のみで兵を寄せ付けないセラーナ。


「なんだいセラーナ姫? 久しぶりの再会だ。大抵のことは聞くぞ」

「広場の民衆をひとりも傷つけず解散させなさい。できないならここで自害します」

「そんなことはお安い御用だ。兵たちよ、セラーナ姫が登城なさる。ご案内しろ。ただし、姫に指一本でも触れたら死罪だぞ」


 セラーナは橋を渡り、城へと消えた。


 ややあって。

 バルコニーに立つヴォルワーグの口から奇妙な笑い声が漏れ始めた。


「ふ……ふへへ……ふへへひゃひひ……」


 その王らしからぬ奇異な声もまた、広場に拡声される。笑い声が最高潮に達しようとしたとき、彼の隣にセラーナが姿を現した。


「なんですぐに来てくれなかったんだ?」

「ついさっき、ご招待に気づいたのです……」


 セラーナはヴォルワーグへの返答もそこそこに、広場の民衆に呼びかける。


「……すぐに駆けつけられず、大切な臣民から二百もの被害者を出してしまったこと、申し訳なく思います」


 広場は静まり返った。あちこちから啜り泣きの声が聞こえる。それは愛する女性を失ったことと、最後の希望が敵の手に落ちたことのふたつが元となっていた。


 そんなことは全く理解せず、ヴォルワーグははしゃいで宣言する。


「遂にセラーナ姫を手に入れたぞ! 俺はセラーナ姫と結婚し、ウインガルドの王となる!」


 即座に押し止めるセラーナ。


「気が早すぎます。ウインガルドの王族は冬に向かう時期に結婚式など行いません。特に散月(ちりづき)など縁起が悪い」

「お? ……おお、そうか。では来春だな。楽しみだ」

「わたくしが城に戻ったのです。まずは領民の女性を拉致するのをやめると宣言してください」

「も……勿論だよ」


 ヴォルワーグは民衆を見下ろすと、努めて厳かな声色を作って宣言する。


「今日、この時を以て、市井の女性を夜伽役として連行するのを終了する!」


 おお、とどよめきが上がる。喜びの声ではない。半分は安堵、もう半分は手遅れだった愛する者への嘆きだ。


 ヴォルワーグは領民に対する慈しみの感情など持ち合わせていない。頭の中は捕縛したセラーナのことで頭が一杯だ。彼はひらひらと手を払う仕草をした。


「解散だ、解散。俺の気が変わらないうちに仕事に戻れ……あ、そうだ」


 彼はセラーナと行動を共にしていた半妖精を指差した。


「その半妖精は領民ではない。セラーナ姫を拉致していた罪人だ……殺せ」

「!」


 セラーナもまた、感情の見えない瞳でロベルクを、そして影のように付き従うフィスィアーダを見ていた。ロベルクと長旅を共にしたセラーナには、彼の周囲で起こっている精霊の異変が見えていた。冷気の渦、少し早い雪、そして絶望を体現したかのような空気の揺らぎが、広場一面に広がろうとしていた。


(ロベルク……今にも爆発しそう……)


 このままでは、今まさに矛槍で突こうとしているジオ兵だけでなく、広場を中心とした広範囲で死者が出る。それだけは避けねばならなかった。


(あたしも……ヴォルワーグに殺されるかも……)


 セラーナはそれ以上迷わなかった。風の拡声も当てにせず、精一杯の声で絶叫する。


「フィスィアーダ! ()()()を街の外に出してぇっ!」


 フィスィアーダはこのとき、ロベルクに力を貸す心づもりだった。しかし、セラーナの叫びを聞いて考えを改める。


「わかった」


 言うやいなや、フィスィアーダは肩にロベルクを担ぐ。石畳が割れるほどの力で地を蹴ると、一瞬も経たずに広場から走り去る。


 しばらくして――

 南東の城壁の向こうで輝く霞と虹が立つ。

 数瞬後、大地が折れるような奇妙な音の地響きが街を包む。

 残酷すぎるほど美しい光景に、セラーナは心が耐え切れず、目を背けた。





 翌日――

 リアノイ・エセナ南東の丘陵の麓に、いつの間にか氷の山が聳え立っているのが発見された。

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